悠久の風 2 〜時の息吹〜
  



「えーと、じゃあまずはー」
「やっぱ乾杯だろぉ〜〜!」
「うん、そうだよね!じゃーあッ」
「おおー!」
「うむ」
「…………」

「かんぱーーーーーいッッ!!!!」

 爽やかな青空の下、ガコン・と音を立てて3つの木の杯がぶつかった。
 <ヨークランド>ではこういう時は木の器を使うのが一般的だ。ガラスや陶器と違い多少乱暴に扱っても壊れる心配がないし、紙と違い使い捨てではないから資源にも優しい。ブリキやプラスチックでは食材によっては風味を損なう。
 幸いにも森林資源も豊富だったので、木の器は一般的な物でもあった。
 だが。

 いくら何でも14年もののワインを飲むには、ちょっと雰囲気に欠けるはずではあったのだが。

 けれども、飲んでいる4人中3人がそんな事は気にも止めず。
 残る1人はそんな事を気に出来ない程に不機嫌であったので。
 特に何の問題もないままに、乾杯は行われていた。



 辺りを取り囲む賑わいは収まる気配もない。
 ステージの上で芸人がジャグリングを披露して喝采を浴びている。
 別なテーブルで起こる大きな笑い声。
 子供達が大はしゃぎしながら駆け抜けて行った。



「…………ぉいしーーーーーーーーーッッッ!!!」
「…………ゥンンめえええぇえぇ!!!!」
 乾杯と同時に杯の中身を一気に開けて、ルージュとリュートが歓声を上げる。
 その様子にブルーは呆れた様に溜息を吐いた。
「………………乾杯のグラスを飲み干すヤツがあるか」
 向かいでヌサカーンは相変わらず何が楽しいのか含み笑いを浮かべている。
 ブルーはゆっくりと2口目を飲もうとして。
 左右から思い切りどつかれた。
「ブルーッてばー!何、チビチビ飲んでるのー!!ほら、飲む飲む!!もっとぐぐーッと!!」
「お前はたった1杯で酔うぐらいなら飲むな!」
「たぁーーっく、いかんぞぉ、ブルー!!祭りの酒は、ほら、一気にぐびーーーーッッと飲むモンだぜぇ〜!!」
「貴様は飲まなくても酔っぱらい同然なんだから飲むな!鬱陶しい!!」
 怒鳴り返しても酔っぱらいに効く筈もない。
 左右の2人はお互いに2杯目を注ぎ合って、またもや一気に飲み干す。
 珍しい酒じゃなかったのか、これは・と内心訝しむが、どうでもいいか・と直ぐに考え直す。
 酒よりも、今日の予定が崩れてしまった方が重要だった。
 正直に言って、さっさとこの場を抜け出してしまいたかったのだが。
「ごはん!!おつまみだけじゃ足りないよねー!!やっぱ食べる物も欲しいーーーー!!!」
「おーーー!!よっしゃー、<ヨークランド>名産品、かっさらって来るかぁぁ!!!」
 急増酔っぱらいと元来酔っぱらい同然の2人が同時に立ち上がる。
「ブルー、食べ物取って来るから待っててよ?!!」
「おぅ!!旨いモン、山のよ〜〜〜〜〜〜〜ぅに喰わせちゃるぞぉぉ〜〜〜!!!」
 左右から乱暴に肩を叩かれて。
 挙げ句の果てに、ルージュが言い放つ。
「勝手に帰ったらダメだからね!!そんな事したら、当分、ごはん作んないからねッッ!!!」
「よぉぉぉっっし、行ってくらぁ〜〜!!いぇーーーーい、喰いモン喰いモン旨いモン〜〜〜♪♪」
 嵐の様に走って行く2人を見送って。
 そしてブルーは最早癖になっているかの様な深い溜息を吐いた。


「……………………阿呆か」
 溜息と共に漏らした一言。
 リュートのノリは何時も通りとはいえ、ルージュはあんな台詞が脅しになってると本気で思っているのだから、対処に困る。
 アレが血を分けた弟か・と思えば、尚の事、頭が痛い。
 こめかみを押さえていると、テーブルの反対側から声がかかった。
「構わんのかね?」
 視線を向けると、ヌサカーンが相変わらず薄い笑みを浮かべてブルーを見ている。
 眉を寄せると目を細めて言葉を続ける。
「私は君が席を立っても、別に止めはしないが」
 真意を測りかねる一言。
 ブルーは真直ぐにその瞳を見返した。
 妖魔の瞳は底が深く、人よりも遥かに読み辛い。
 祭りの喧噪が物言わぬ2人の傍を静かに通り過ぎた。
 ふ・とブルーが息を吐く。
「……今、姿を消すと、後でもっと面倒な事になる」
 そう言って杯の中身を空ける。
 ヌサカーンは面白そうに笑ってブルーに次の杯を勧めた。
「君も変わったな」
 差し出されるデキャンタグラスに一瞬眉をひそめてから、ブルーは杯を持ち上げる。そもそも何処からデキャンタグラスなど持ち出したんだ・とも思うが、疑問に思う意味すらない気もする。どうせまともな答えは返って来ない。
 必要のない答えは返さずに2杯目に口を付ける。正直、酒の善し悪しは解らない。酔った記憶すら無いのだから。
 ヌサカーンが皿に山の様に盛られたつまみの中から杏を一つ手に取った。
 残りをそのままブルーの方へと押して寄越す。基本的に妖魔は食事を必要としないが、それは「食べなくても死なない」という意味であって、食べる事すら出来ない訳ではない。口にする事自体は問題ない。
 ブルーは皿からナッツを一粒口に放り込んだ。幾種かのナッツにチーズ、ハムとソーセージ、クラッカーに野菜のマリネ、そして果物。よくこれだけ集めて来たと改めて思う。
 しかも、これでは足りない・と言って、更に食料を取りに行ったのだから、一体どれだけ食べる気なのか疑問だった。
 再度、口を吐いて出た溜息に、ヌサカーンが不意に聞いた。

「成果は上がっていないのかね?」

 不意打ちの質問。
 ブルーの手が止まる。
 ざわめきが2人の間をゆっくりと通って行く。
 2人の傍でだけ止まっていた時間は、ブルーの声で動き出した。
「……貴様の書庫がもっときちんと整理されていれば、もう少しはかどるんだか」
「私には問題ないからな。全て把握している」
「元々、他人に開放するつもりも無いんだろうが」
「必要とされた事も無かったからな」
 ヌサカーンは喉の奥で笑った。
 ブルーは2杯目の中身を空ける。
 とん・とテーブルに杯を置く音が響いた。
 それはこの喧噪の中で、奇妙に大きく聞こえた。

「………情報が足りない」

 ブルーの呟きは奇妙な乾きを持ってテーブルに落ちた。
 杯を持つ手に力が籠る。
 落とした視線は一点を貫き動かない。
 その様子にヌサカーンは小さく首を傾げる。
「<外>に求めても無駄だと思うが」
「まだ戻るつもりは無い」
 硬質の答えに、ふむ・と小さく頷き、ブルーの杯を改めて満たす。
 液体の流れる音が止み、ゴトリと重いグラスを置く音が響いた。
 引いた手を胸の前で組む。
 空気の動きが止まった時、不意にブルーがヌサカーンを睨んだ。
「それに、貴様にそれを言われるのも腹が立つ」
 混ざり気の無い深い蒼がきつく見据えてくる。
 一瞬目を見張ってから、ヌサカーンは笑いを零した。
「君は自分で得た知識しか信用しないだろう」
 ブルーの瞳が小さく揺らいだ。
「……だから、私は何も言わない。それだけだ」
 口元を笑みの形に結ぶ。
 視線は外さない。
 深い蒼はすぐに落ち着きを取り戻し、真直ぐに視線を受け止める。
 祭りの喧噪とは異なる時間が流れていた。


「……貴様の言い分はもっと腹が立つ」
 ブルーが眉間を押さえて呻いた。
 不意にステージの方から大きな歓声が上がる。芸人が何か大技を成功させたようだ。
 遠くのテーブルで掴み合いが始まっている。喧嘩も周りに被害が出ない限りは誰も止めない。むしろ楽しそうに囃し立てている。
 3杯目の杯にブルーはゆっくりと口を付けた。
 ヌサカーンが面白そうに笑う。
「頼りたくなったら何時でも来たまえ」
「永遠に断る」
 仏頂面で言い切るブルーに、一層楽しそうに笑った。
「……やはり、君は興味深いな。ブルー」
 何時の間に空にしたのか、ヌサカーンが自分の杯にワインを注いだ。
「ヒューマンの時間は我々に比べれば一瞬だ。だからこそ君たちは過去より未来に重点を置いているのだろう?」
 ブルーは目を閉じる。
 その閉ざされた瞳をヌサカーンは覗き込んだ。
 口元から笑みが消えない。根性の悪い顔。ブルーが目を開ければそう評するだろう。
「君が求めている物の先に興味がある」
 笑みを含んだ声で尋ねる。
 答えを求めた訳ではなかった。
 それに、この強情な若者が答える事も無いだろう・と思っていた。
 だか、予想に反してブルーは目を開けた。

「過去を踏まえなければ手に入らない未来もある」

 真直ぐに見つめ返し。
 真直ぐに返った答え。


 この狡猾な妖魔が珍しく不意を喰らった瞬間だった。


「それだけだ」
 あっさりと視線を外して、ブルーがクラッカーを手に取る。
 ステージから大きな拍手と喝采が起きた。どうやら芸人のショーが終わった様だ。
 近くのテーブルで母親と子供が他愛も無い言い合いをしている。どうしてお前はお菓子ばっかり取って来るの、ちゃんとご飯も食べなくちゃ。いいじゃん、今日ぐらい。だってせっかくのお祭りなのに!でも今はお昼を食べに来たのよ!お菓子は後にしなさい!
 通り過ぎる女性達が楽しそうに笑う。知ってる?さっきのピエロさん、メイクを落とすとすっごいハンサムなんだって。ええ、どうして知ってるの?今朝、リーザが偶然、見ちゃったんだって!本当?!覗きに行っちゃおうか!
 他愛の無いざわめき。楽し気な喧噪。笑っているような怒鳴り声。
 明るい音楽が流れ始め、ゆるやかに歌声が広がって行く。
 辺りを取り巻く時間が戻って来た。
 ブルーも何事も無かったのかの様につまみを口にしつつワインを飲む。
 その様子にヌサカーンは苦笑した。
「……成る程」
 返ると思わなかった答えの真意を知る。
 得られる筈の無い情報を自分に求めるような言葉を口走ってしまった事への、彼なりの詫びの形だと。
 別段、そんな物を求めたつもりは無かったのだが。
 強情なくせに、妙な所で律儀。
 この素材に、改めて興味を惹かれた。
 ふと耳に響いた声に顔を上げる。
 そして目にした光景に、ヌサカーンは笑いを零した。
「どうやら、その未来の一角が帰って来た様だぞ」
 訝し気にブルーが顔を上げる。
 ヌサカーンは笑みを崩さずに1点を指差した。
 その方へと視線を転じて、ブルーは思い切り眉を寄せた。

 そこには溢れんばかりの食べ物が乗った大皿を両手に抱えて、やたらと嬉しそうに笑いながら駆け戻って来るルージュとリュートの姿があった。





28th. MAY, 2007


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ブルーとヌサカーンの会話。
なんで、必要最低限の言葉しか口にしないんですか、君らは……。
これで通じてるのが恐ろしい。
それと、ヌサカーンを信用していない訳でないのですよ。
ただ、ヌサカーンから聞いて得た情報に対して、元を取りに行くのは確実なので。
だから、ヌサカーンにとっては、
「二度手間になるだけだから最初から自分で調べて来なさい」と言う所なんでしょう。
なんだか、根性の悪い教師と意地っ張りの生徒・って気がしてきたw

ウチのルージュは、飲兵衛です。
1杯目で酔っぱらいますが、その後はどれだけ飲ませても潰れません。
でも、次の日は二日酔いです。
ある意味、タチが悪いですなー(笑)



2007.5.28





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