高く低く、響き渡る鐘の音。 辺りを見渡して、これが夢である事を実感する。 今、居るのは学院の図書室。 広く静寂に満ちたここの空気が好きで、よく入り浸っていた事を思い出す。 夢の中の何処か虚ろな意識の中で。 忘れ去ったつもりの風景の中に佇む。 それは不思議な心地だった。 現実感の無い、何処か心許ない風景。 それでも懐かしさと共に呼び起こされる。 書棚に納められた本の1冊1冊に記憶が宿る。 触れる装丁の質感も、古い紙とインクの混ざった香りも、全て覚えている。 本の色や風合いさえも、その記憶に刻み込まれている。 ここには本当に良く来た。 授業が終われば直ぐに来て、殆どの自由時間を此処で過ごした。 学院で過ごした11年間の、最も多くをこの図書室で過ごしたと言っても過言では無い。 緩やかに指先を本へと近づける。 そっと触れると、懐かしい感触。 時代を経た古い装丁は、それでも未だしっかりとしている。 そっと書棚から引き出し、その手に納める。 しっとりとした質感。手にかかる重量。描かれた飾り文字の美しさ。 装丁を撫でると、小さな傷の1つ1つまでもが記憶から呼び起こされる。 懐かしさを感じる事自体が不思議だった。 牢獄のように感じていた此処にも、心を残して来た場所があったのか・と。 今更ながら、軽い驚きと共に感じる僅かな納得。 確かにこの図書室だけは、気に入っていただろう。 学院へと進学したのは、12歳になる年だった。 <キングダム>に産まれた子供達は、6歳になる年に学校へと通い始める。 その中でも、特に優秀とされる子供達は<キングダム>に12ある学苑(がくえん)へ入学する。 その学苑で学ぶ子供達から、学院に進学する子等が選ばれる。 毎年、12の学苑から12人ずつ、計144名の子供達が、12歳になる年に学院の門を潜った。 そして、22歳で修士課程を修了するまでの11年間を、学院の敷地内で過ごした。 学院は全寮制だ。教務過程を終了するまで、どんな事情があろうとも敷地から出る事は許されない。 生活に関わる一切は政府から支給される。 『個』という物に重きを置かない<キングダム>では、別段、奇異な事だとは思われなかった。 学院とは<キングダム>の将来を担う人材を育成する為の、王位直属の特殊機関。 表向きはそう謳われていたし、実際、主席修了者以外は必ず<キングダム>の中枢への道が用意されていた。 特殊な運命を担うのは、修士過程主席修了者のみ。 そして、それは代々、『偽わりの双子』が背負って来た。 鐘が鳴る。遠く。遠く。 静謐を震わせて響くその音は、儚くも重々しい。 まるで<マジックキングダム>の辿った命運の様に。 この地が生まれながらにして背負った宿命を嘆くかの様に。 遠い鐘の音は鳴り止まない。 その鐘の音に、微かな声が混ざった。 自分を呼ぶ声が。 名を呼ばれる。 微かに。 それでも理解した。 その声の持ち主が誰なのか。 そして。 改めて、これが夢である事を。 「 …… ルージュ 」 呼ぶ声は微かで。 けれど、強い意志を秘め。 …………あぁ。 霞む意識の淵で思う。 やっぱり、これは夢。 だって。 ……彼女はもう、居ない筈だから。 「 ルージュ 」 懐かしい声。 少しハスキーがかったメゾソプラノ。 常に強い意志を持った声。 同期で学院に進学し。 共に最終年次まで残り。 常に主席を争った。 ……というよりは、彼女が一方的に競って来た。 ルージュにしてみれば、さして興味の無い事だったのだけど。 彼女は、恐らく。 <キングダム>の崩壊に巻き込まれた。 優秀だった。自分の成績が彼女より良いという事が、自分で不思議な程に。 修士課程最終年次まで残れたと言う事が何よりの証拠だろう。 学院に進学した子供達全てが最後まで在籍出来る訳ではないのだ。 19歳になる年に修士課程へ進む際に、その数は半分近くまで減らされる。 その後は、毎年進級する度に半数かそれ以上が脱落する。 そして、最終年次には12名にまで絞られるのだ。 彼女はその内の1人に残れる程、優秀だった。 それに面倒見も良く、1人になろうとする自分を皆の元へ引きずって行った。 彼女は双子ではなかったから、<キングダム>が無事だったならきっと、最高評議会の1員にまで登り詰めたに違いない。 双子でないと言う事は、命題を背負う義務が無いという事でもあるから。 魔力が高い子供達全てが双子処理されるわけではない。 様々な要因から、処理に向かない子供もいる。 そういった子供達は、そのまま1人として育てられる。 双子処理をされた子供も、厳密には『2人』になる訳では無い。 あくまでも、本人であるのは『1人』のみ。もう1人は、魔術の高位応用による幻体に過ぎない。 その幻体と本人を同調させた上で意識を分離し、幻体にもあたかも「これが自分自身である」かのように錯覚させる事によって、ヒトであるかのように仕立て上げる。 だから、時が至れば術を解く事によって、また1人へと戻せる。 主席終了者以外の双子処理された者達は、皆そうやってまた1人へと戻されていた。 当然の如く、守秘義務と共に。 ルージュの在籍した『左の学院』には、その幻体の方が集められていた。 それが、左の学院が「裏の学院」として扱われる最大の理由だった。 自嘲にも近い思いが込み上げる。 ここまでして、<地獄>を封印出来る人材を造り上げようとしていたのに。 そんな事をずっと続けて来たというのに。 結果として、その努力は実らなかったのだから。 ……ただ、犠牲を強いて来ただけ。 全てを知った今だからこそ解るその事実は、残酷すぎる様にも思えた。 「ルージュ」 自分を呼ぶ声が懐かしい。 彼女は結局、<キングダム>の犠牲者となってしまった。 あの学院に居た頃の、数少ない友人の1人。 最も、本人にそう言うと必ず、友人ではなくライバルだ、と言い返されたが。 それでもルージュにとっては、友と呼べる人物だった。 弔ってすらいないのだ、と。 改めて、そう思う。 それを咎めに来たのだろうか。 ……いや、そんな事を気にする様な人ではなかったけれど。 「ルージュ」 強い意志を秘めたこの声で名を呼ばれる事は、嫌いじゃなかった・と。 今だからこそ、改めてそう思う。 あの頃は、苦手に思う事もあったけれど。 叶わない事だけれども、もし、今もう1度話し合う機会があるならば。 ……きっと、あの頃よりは、解り合える様な気がする。 「ルージュ」 どうしてこんな夢を見ているのか、解らないけれど。 この声をもう1度聞けたのなら、それだけで充分かな・と思う。 鳴り止まない鐘の音の中で。 声の主にそっと謝罪する。 きっと、この鐘は彼女の為の物。 ……だってこれは。 「ルージュ!!」 不意に響いた強い声。 視界に割り込むはっきりした暗緑色の瞳と豪奢な赤毛。 柳眉が怒りを湛えて跳ね上がっていて。 ……そうだ、よく。 こんな風に、怒った顔で睨まれたっけ。 いきなり目の前に現れた顔に、そんな事を思ったが。 次の瞬間、その顔に威勢良く怒鳴られてしまった。 「器用ね、ルージュ。立ったまま眠ってるの?それも、目を開けて」 「リ……ズ?」 夢とは思えないリアルな声に面食らう。 瞬きしてその顔を見つめると、呆れた様な溜息が返った。 「貴方ねぇ……何回、呼んだと思ってるの。こんな日ぐらいはしっかりしてくれない?」 片手で髪を掻き揚げる。見事な赤毛が零れ落ちる。 尚も鳴り続けている鐘の音に、何故か奇妙な不安を感じた。 記憶の何処かにある筈の風景。 それにどうして不安を覚えるのか? 「……聞いてるの?それとも、まだ寝てる?」 「あ……う、うん」 頷きながら、でもこれは夢だし・と思う。 何かが不安を煽る。 ……不安。 そう……この夢は、見てちゃいけない。 目の前の彼女は訝し気に自分を見つめ返して。 そして溜息を吐いた。 「………それなら好いけれど。そろそろ行くわよ。礼典の間ぐらいはちゃんとしてて頂戴」 「……!」 その言葉に、戦慄が走った。 彼女が身に纏っているのは、学院の冬期礼服。 普段は平服で過ごしていた彼女は、式典でもない限りはこれを身に付けなかった。 そしてそれは、ルージュも同様で。 その自分さえもが、礼服を纏っている。 鳴り響く鐘の音。 その音階に記憶が蘇る。 この音色は特殊な時にしか鳴らない。 普段の鐘とは違う、この時だけの音階。 これ は。 鎮魂の鐘 の 音だ …… !! ふいに、カツンと背から響く足音。 そのリズム。 その、歩調。 意識を満たす、危機感。 目を覚まさないと……! 『 これ 』は、最終年次に聞いた鐘の音。 あの年、最高評議会のメンバーが1人、崩御された。 これは、その時の夢だ。 どうして今更、あんな時の夢を見るのかは解らないけれど。 でも、このままこの夢を見続けたくは、無い。 …………だって、この後に … …。 「ルージュ」 名を呼ぶ声に、背筋が凍った。 鳴り続ける鐘の音の中。 記憶の淵を漂いながら。 眠りと目覚めの狭間で。 思い出したく無い言葉が蘇りかけて。 そして。 目を覚ました。 |