ハピネス 中編
  


 遥か天空は、見事な夕焼けで。
 白金色に染まった雲が、美しく空を彩っている。
 鳥の群れがその空を横切って飛んで行き。
 日差しの温もりが大部薄れた風が、さわ・と吹き抜けた。


 風に髪が揺れるに任せて。
 夕闇と同じ色に頬を染めて。
 公園のベンチに座り込んだ姿勢で。
 ルージュは、はぁ・と溜息を漏らした。

 夕闇迫る<シュライク>の公園に、ぼんやりと腰掛ける。
 その膝の上には、大きな箱が3つ。


 そう、ヌサカーンの診療所から貰って来た、あのタルトの入った箱である。



 あれはまだお昼前だったと言うのに。
 夕闇がすぐそこまで迫っているこの時間になっても。
 箱の中身は、ほとんど減っていなかった。



 箱を見下ろして、もう1度溜息を吐く。
 膝の上で、タルトの詰まった箱はずっしりと重い。
 診療所を出た時にはまるで気にならなかったけれど。

「…………ツイてないなぁ」

 溜息と共に、小さな声が零れた。
 ツイてない。
 本当に、そうとしか言いようが無かった。
 どうしてこんな日に当たってしまったのか、自分だって解らないけれど。
 でも、本当に、今日の自分は運が悪いんだろう。




 タルトを配ろうと、あちこちに立ち寄って。
 そして、その全てに振られてしまったのだから。









 最初に行ったイタメシ屋は、凄まじく混んでいた。
 今日はエミリアがバイトに出る日だったから、彼女目当ての客がわんさかと来ていたのだ。
 根強いファンの間ではエミリアがこの店でバイトしている事は有名で、彼女が店に出るととたんに情報が飛び交ってしまうらしい。
 さすがに、握手やサインや写真撮影といった行為は営業妨害になりかねないので自粛されているが、それでも憧れの人が注文を取りに来たり料理を運んでくれたりするのは、天にも昇る心地なのだろう。
 店側としても、マナーさえわきまえてくれれば大事なお客様である。騒ぎさえ起きない限りは黙認されていた。
 そして今日は特に混雑しており、店の外にまで行列が出来る程だったのである。
 当然、店内は勿論、厨房もてんやわんやで。
 その状況下で、タルトを届けるためだけに店に入るのは、流石に憚られた。

 次に向ったのは、<IRPO>である。
 パトロール隊はメンバーも多いので、ここで結構配れるかと思ったのだが。
 運悪く、<オウミ>で強盗傷害事件が起きたばかりで、メンバーはほぼ全員、その捜査に駆り出されていたのだ。
 残っているメンバー達も、ただ座っている訳では無い。当然だが後方支援の真っ直中である。
 とてもじゃないが、差し入れです・なんて言える雰囲気では無かった。
 受付のお姉さんに2個だけ差し入れて、それでルージュは<IRPO>を後にした。

 リュートは最高評議会の招集から逃げ惑っている最中で会えなかった。
 何時も一緒に遊ぶ子供達は、学校行事の遠足の日で。
 未就学の子供数人にあげて、それで<ヨークランド>を後にした。

 レオナルドは学会で留守。
 ゲンは何処かに行っててやっぱり留守。そもそも、連絡無しに会えるような人ではないし。
 零姫は針の城に遊びに行っていて。
 針の城を尋ねるには、タルトの数が少な過ぎた。上級妖魔達には行き渡るが、寵姫達の分が足りない。
 それは<ネルソン>も同様で。

 行く先々、全てに振られて。
 嬉々として出掛けた筈だったのに、1カ所毎に気持ちはしぼんでしまい。
 足取りも段々と重たくなっていって。
 タルトの箱の重みまで増していくようで。


 日が西に傾き始めると、気持ちも闇に包まれ出し。
 ふらりと寄った<シュライク>に尋ねる所も特に無く。
 こうして独り、ベンチに座って夕空を見ていると、まるで世界に1人だけ取り残されたような寂しさが募って来る。

 ……どうしてこんな事になっちゃったんだろう。

 膝の上の箱を見つめて、そんな事を思う。
 あんなにも大喜びしてたのが嘘の様。
 たった半日前には、こんな事になるなんて想像もできなかった。


 オレンジ色に染まっていく景色の中で。
 箱の蓋をそっと開ける。
 並ぶタルトは、まだかなりの数。
 とてもじゃないが、1人では食べ切れない。

 1つ手に取って、齧ってみる。
 何故か、昼に食べた時程、美味しく感じない。
 冷めてしまったからだろうか。
 疲れている時には甘い物が美味しい筈なのに。

 もう1口、かじり付く。
 妙に、もそもそとした感じがする。
 甘い筈のクリームの味を感じない。
 なんだか寂しくなって来る。


「…………美味しく無い」


 ぽそりと呟いたら、余計に寂しくなった。
 もう1口、食べてはみるが。
 噛んでも噛んでも、味がしない。
 飲込もうとすると喉につかえる。

 虚しくて、視界が滲んだ。


「……美味しく無い、よぉ」


 大好物が美味しく無い。
 さっきは美味しかったのに、今は何の味も感じない。
 美味しかった物が、美味しく無くなってしまった。
 それが悲しくて、虚しくて、寂しくて。

 無理矢理、口に詰め込む。
 強引に噛み砕いて、飲込む。
 味を感じないばかりか、喉に詰まって苦しくなって。
 胸を叩いて、しゃくり上げる様にして飲み下した。


 ようやく飲込むと、反対に零れたのは大きな溜息。
 滲む視界が溢れ落ちそうになって。


 思わず目を閉じた。



「なんで、美味しく、無い、の……っ」



 苦しい。辛い。寂しい。虚しい。悔しい。悲しい。


 そんな思いが全部ごっちゃになって。





 涙になって零れそうになって。



 だから、目を閉じた。










 その時。
















「なんだ。失敗作でも押し付けられたのか?」







「?!」

 不意に、背後から響いた声。
 驚いて振り返るとそこには、怪訝そうに首を傾げるブルーの姿があった。






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