ハピネス 後編
  


 茜色の夕焼け。
 暗緑色の木々。
 彼方で影に沈むビル。
 夜の涼やかさを運ぶ風。

 そんな風景を背負って。


 振り返った視界には、怪訝そうに首を捻るブルーの姿。
 金の髪が風を孕んで揺れた。



「ブ…ルー……?」

 どうしてブルーがここにいるのか解らなくて。
 いつもなら、1度、本に掴まってしまったら最後、数日間は読み耽っているのに。
 あれからまだ半日足らずで、書庫を後にするなんて。

 余りの心細さに幻を見ているのかと思ってしまう。
 目を見開きその姿を凝視する。
 揺れる金糸を惚けた様に見つめて。
 目の前のこの兄の姿が、実物なのかどうか、判別し損ねていると。
「そんなに不味いのか?診療所で食べたヤツは普通だったが」
 そう訊きながら、ブルーがベンチを回り込んで隣にすとん・と腰を降ろした。
 隣に座るその姿は、実物以外の何物にも見えないけれど。
 それでもルージュは呆然とブルーを見つめている。
 その輪郭を、揺れる髪を、光を弾く瞳を、視線で辿る。
 幻にしてはあまりにもリアルなその姿を。
 まじまじと見つめている内に、ブルーが左手を伸ばして来た。
 箱の中のタルトを1個、摘まみ上げると、一口齧る。
 そして、眉間に軽く皺を寄せた。
「……別に不味くはないと思うが。普通に美味いぞ」
 そう呟いて、もう一口食べる。納得した様に頷いて。
 その様子をルージュは呆然と見つめていたけれど。
 ブルーがタルトを飲込むのを見て。
 ようやく、その瞳が輝いた。

 遅れて浮かぶ、満面の笑み。


 それは本当に、花が一気に綻ぶ様な笑顔で。


 ルージュはいきなり右手を伸ばすと、ブルーの左手を掴む。
 驚くブルーが身を引く暇も無く、ルージュはその手を引き寄せて、ブルーが持ったままのタルトに噛み付いた。
 一口食べて、嬉しそうに笑う。
「うん!美味しい!!」
 さっきまでの気落ちした表情は何処へやら。上機嫌で頷くルージュにブルーが顎を落とす。
「お、前……!人の食べかけに口を付けるな!」
「いいじゃなーい。減るもんじゃないし」
「減ってるだろう!!!」
 怒鳴られても気にせず、ルージュはもう一口食べようと顔を近づける。
 それを見て慌ててブルーは、ルージュの頭を押さえた。
「止めろ、馬鹿者!!その箱の中にまだ一杯入っているだろうが!!!」
「えー?だってコレが美味しそうだもん」
「同じだ!!!だから止せと言っている!!!」
「やーだ。ねー、ブルー分けてちょーだい?」
「阿呆か!!猫撫で声を出すなッ!!!」
「んふふふ〜。却下します〜〜」
「何をふざけているんだ、いい加減にしろ!!!!」
「……いやホントだな」
 いきなり降って来た声に、2人は驚いて同時に振り返った。

 そこに居たのは、呆れ顔のヒューズ。
 そして、IRPOのパトロール隊の皆だった。


「あれー?!どうしたの、勢揃いして!」
 ルージュが驚いた声を上げる。手が離れた隙にブルーは残りのタルトを口に放り込んだ。
 その様子に笑みを浮かべながら、ドールが身を屈める。
「<オウミ>でちょっと事件があったのよ。今まで手伝っていたのだけれど、こっちにもちょっと用があってね。でも、それももう片付いたから、地元のメンバーに引き継いで来た所なの」
「あ、そっかぁ!じゃあ、もう帰れるの?」
 昼に受付で聞いた話を思い出して、ルージュは手を打った。彼らも、1度事件に関われば軽く数日は拘束される身だ。こうしてその日の内に切り上げて来れる事は珍しいだろう。
 ルージュの問いにドールの頬が軽く引き攣った。
「ええ。後は、コレに始末書を書かせれば・ね」
「いっでぇぇえぇえッッ!!!!ドール、何しやがるッ!!!」
 言うや否や耳を摘み上げられ、ヒューズが絶叫を上げた。
 ドールは答えもせずに、よりきつくその耳を捻る。
「コレがもっと不手際を起こさないでくれれば、私の仕事もずぅっと楽になるのに。ねぇ?」
「あででででッ!!!!」
 ヒューズが更に絶叫を上げ、ルージュは流石に笑顔で固まってしまう。
 状況が飲込めるだけに、どうやって宥めたものか解らないのだ。
 隣のブルーは気にしている訳も無いし。
 困っていると、レンが話題を逸らす様にルージュの手元を覗き込んで来た。
「どうしたんだい、そのケーキ。美味しそうだね」
 レンの隣からサイレンスも身を屈めて来る。瞳を大きく見開き、背中の羽根がパタパタと動いている。
 その問いに、ルージュが表情を輝かせた。


「そうだ!良かったら、食べない?貰ったんだけど、沢山あってどうしようかと思ってたんだ!」


 元々、IRPOにはお裾分けに行くつもりだったのだから。
 だったらここで上げても構わないじゃないか、と。
 そう思い立って。

 箱を持ち上げて差し出す。
 それを見て、レンとサイレンスが嬉しそうに笑った。
「いいのかい?」
「もちろん!疲れてる時には、甘いものが好いんだからー」
 ルージュがにこにこと差し出すタルトに、2人が早速手を伸ばす。
 サイレンスは直ぐに口に運び、レンはまだ騒いでいるヒューズとドールへと振り返った。ふわふわと寄って来たコットンも1個手に取って齧り付く。
「ドールと先輩もどう?美味しそうだよ」
「あら、本当。頂こうかしら」
「キュキューーー!」
 ドールはヒューズを放り出すと、ルージュの方へと歩み寄って来た。その横でコットンが喜びの声を上げる。
 ルージュは満面の笑みでタルトを皆に差し出す。遅れてヒューズも耳をさすりながら寄って来た。
「……甘そうだな」
「程々だよぉー。ホラ、ブルーも食べてるし」
 眉を顰めるヒューズにルージュはブルーを指差す。ブルーも2個目のタルトを口に運んでいる。
 その様子を見て、ヒューズがへぇ・と声を上げた。
「お前が喰ってんならイケるって事か」
 ブルーは意外と食べ物の好みがうるさく、味が悪いと絶対に食べようとしない。そのブルーが食べているのだから大丈夫だろうと判断したようだ。
 箱に手を伸ばして1個取り、齧り付く。直ぐにその顔が笑顔になった。
「羨ましいです。私も食べられれば良かったのに」
 皆が美味しそうに食べている姿に、ラビットが残念そうに呟いた。
 ルージュが笑って首を捻った。
「うーん、レオナルドに改造してもらう?」
「そうだねぇ。味覚プログラムを作ってもらえばいいのかな」
 レンもそう言って首を傾げて、ルージュと頷き合う。
「アホな事、言ってんじゃねぇっての。メカにメシ喰わせてどーすんだよ。……って、おい、サイレンス!お前、何個目だ!!」
 呆れた様に呟いたヒューズが、いきなり絶叫をあげた。
 その声に皆が驚いてサイレンスを振り返る。
 全員の注目を集めながらも平然としたまま、サイレンスは新しいタルトを口に運んで。
 それから、おもむろに首を傾げて天を仰ぎ見た。
 ゆっくりと指折り数える。
 1度、右手の指が全部折れ曲がり、それから小指が持ち上がった。
 その姿勢で少し止まり、納得した様に頷く。
 それを見たヒューズが又もや唖然として怒鳴る。
「6個だとー?!!幾ら何でも喰い過ぎだろ、お前!!!!」
 そう言われてもサイレンスは不思議そうに首を傾げるだけで。
 ルージュはもちろん、流石のブルーも驚いた顔で固まってしまった。
 ドールがそんな2人に笑いかける。
「サイレンス、甘い物が大好きなのよ。良くケーキバイキングにも一緒に行くしね」
 ドールの言葉にサイレンスは満面の笑顔で頷いた。背中の羽根が喜びを表す様にパタパタと動いている。
 だからってなぁ・とヒューズが呻いているが、それを無視して話は盛り上がっていて。
「えー!そうだったんだー!いいな、僕も行きたい!!」
「あら、いいわよ。ね?サイレンス」
「…………」
 無言だが笑顔のまま、サイレンスは何度も頷いた。ラビットがまた、羨ましい・を連発している。コットンはルージュにしがみついた。
「キュウ!キュキュー!!」
「うん、もちろん、コットンもね!」
「キューーー!!」
 コットンが空中でくるくる周り、ルージュも嬉しそうにブルーを振り返る。
「ね、ブルーも一緒に行こうねー!」
「……俺はいい」
「賢明だぜ。こんなのに付き合ってたら胃がおかしくなっちまう」
 眉間に皺を寄せるブルーの肩に手を置いてヒューズが呻く。胃を押さえる仕草までしてみせる。
 ドールはその様子を冷ややかに見つめて、ブルーに微笑みかけた。
「そうね。ブルーにはバイキングよりも落ち着いて食べる方が向いてるかしら。リラの新作が出たら一緒にどう?」
 ブルーの眉が微かに上がった。ドールを見る視線が和らぐ。
「……それなら構わんが」
「何いぃぃぃ?!!」
「じゃあ、決まりね。連絡はルージュに入れるわね」
 ヒューズは絶叫を上げて飛び退り、ルージュは嬉しそうに手を叩いた。
 そんな状況を気にしてないかのように、レンがタルトの箱を覗き込む。
「本当に美味しいな、これ。1個貰ってもいいかい?エミリアにも食べさせてやりたいや」
 その台詞にルージュの顔が輝いた。
「わああ!もちろん!喜ぶよぉ!!じゃあ2人で一緒に食べれる様に、2個持っていった方がいいよね」
「3個残ってるじゃないの。それ箱ごと貰ったら?」
 ドールがそう提案し、レンも笑顔で頷く。
 タルトの箱はルージュの膝からレンの手に渡った。
 既に1箱は空になっている。殆どサイレンスが食べ尽くしたのだが。残りは1箱だけだ。
 それを見つめて、ルージュが大きく頷いた。
「さて、と。じゃあそろそろ、私達は行きましょうか」
 そう言ってドールは、すかさず逃げようとしたヒューズの腕を掴んだ。
 レンは苦笑し、サイレンスは何時も通りの顔で、コットンは上機嫌で頷く。
「ごちそうさま、2人とも。美味しかったわよ」
「うん!ありがとう」
「キュキュキューーー!!」
「………………」
「お心遣い、感謝します」
「てか、いてーんだよ、ドールッッ!!!!」
 捕まえられた腕を更に捻り上げられ、ヒューズが叫んだが。
 当然、それを気にするような人は居なくて。
 ルージュは笑顔で、ブルーは表情を和らげて、去っていく皆を見送った。
 ヒューズの叫ぶ声が、遥かに遠ざかって聞こえなくなるまで。

 そうして、また2人きりになって。
 改めて気が付く。


 もうすっかりと夜も更けている・と言う事に。






「……まだ1箱、残ってるのか」
 ルージュの手に抱えられた箱を見て、ブルーが少し呆れた様に呟いた。
 押し付けてしまえば良かったのに・と続けるのに、ルージュは笑顔で振り返る。
「ね、これ、お店に差し入れに行こうよ。ついでに晩ご飯も食べて帰ろう?」
 エミリアがあの時間からバイトしていたと言う事は、今日は夕方までなのだろう。それなら、もう、あの騒ぎも治まっている筈だ。
 店が落ち着いているのなら、差し入れに行っても迷惑は掛からない。
 笑顔で小首を傾げると、ブルーは少し考え込んだ。
 そして、ゆっくりと頷く。
「それもそうだな」
「じゃあ決まりだねー。ブルー、もしかしなくても、お昼食べてないでしょ?」
「…………大した事じゃない」
「あー、やっぱり食べてないんだ」
 図星だったようで、僅かに頬を赤くしてブルーがそっぽを向く。
 その反応にルージュはまた笑った。
 笑われて悔しいのか恥ずかしいのか、ブルーはそのまま背を向けて歩き出そうとする。
「さっさと行くぞ」
「あ、うん!じゃあ……」
 ルージュは手を伸ばすと、歩き出したブルーの腕を捕まえた。
 そして、その手をかざす。


「『Open the "GATE"』!!」


 詠唱に、ブルーがぎょっとして振り返った。
「待て!!!シップを使えば済むだろうが!!!」
 怒鳴っている間にも、魔力が2人の前で渦巻き閃光と化して。
 その光を受けながら、ルージュはにっこりと笑った。
「だって、僕もお腹減ってるもの。早くご飯にしたいじゃない?」
 渦巻く光が全色彩の輝きを放ち、瞬時にして膨れ上がる。
「そんな理由で術を使うなと、何回言えば…ッッ!!!!」
 ブルーの怒鳴り声は続く呪力の炸裂音に掻き消された。


「『Region<KOOLONG>』!!!」


 光が一気に解け8本の帯となり、そして2人の姿を包み込んで。
 そして螺旋を描いて渦巻き、閃光を放って消えた。
 後には僅かな残響が残り。
 それも、ほんの数秒で消え去る。




 静けさを取り戻した公園に、ゆっくりと夜の帳が降りて行った。








 逆に、賑やかになったのは<クーロン>のイタメシ屋。

 思いもよらない差し入れに厨房は喜びに沸いて。
 夕食の席に着いた2人には、お礼のデザートがサービスされた。
 ルージュはまた、満面の笑みを浮かべてそれを頬張っている。
 その様子にブルーが呆れた様に口を開いた。
「あんなに不機嫌だったくせに、現金だな」
 溜息混じりのその言葉にも、ルージュの機嫌は崩れない。
「だって、美味しい物は皆で食べたいじゃない」
 独りで食べたって、美味しく無いんだよ・と笑う。
 そんなものか?とブルーは首を捻った。
 ルージュは笑顔で、何度も頷いた。
 あのタルトも、このジェラードも、『誰か』と一緒だから、美味しいのだ。
 独りきりで食べたって、美味しくも何ともないのだから。



 誰かと一緒に、美味しい物を食べる倖せは、何にも変えられない、と。
 そう実感しながら。
 ルージュはまた一口、ジェラードを頬張った。
 心から倖せそうな笑顔で。







3rd. JUN., 2008

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随分前からネタはあったのに、何故かずっと書けずにいた話です。
今回、ようやくのアップ。書けなかったのが鷽の様に一気に書けたんだけど……何故でしょ?
食べ物の幸せ・というネタは、ワンピの方と被りかな・と思いつつ。
背景の写真は、札幌にある「Fruitscake Factory」のタルトです。美味しいんですよ〜、コレも♪

サイレンスが甘い物好き・という設定は、おそらくたずみさんの影響かと。
ドールと良く、あちこちのケーキバイキングに行ってます。
ヒューズは甘いものダメだと思います。酒飲みだからw
ブルーは甘ったる過ぎるとダメです。ワガママなのでww

ヒューズがブルーを何て呼んでいるのか、ちょっと想像がつかなくて。
以前見かけたサイトで「大将」って呼んでた所があって。それが結構、気に入ってたんですけど。
真似しちゃ悪いなぁ・と思って自粛しました。
名前で呼ぶのも、何故かしっくり来ないんですよねぇ。なんででしょ?



2008.6.3





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