ACT8『 火蓋は切られた 』





 微かな震えが、大地から響いて来た。



 ナミの庭の一角で、身を潜める様に座っていたゾロは、ゆっくりと顔を上げた。
 冴え渡る月光に包まれた静かな夜に相応しくないその響きに、瞳を眇める。
「……来たか」
 小さくそう呟くと、軽く地面を叩いた。
 ゾロが手を触れた箇所が、盛り上がってやがて不思議な生き物の姿を形造る。
 魔導師が自分の魔力と四大妖精の力を練り合わせて産み出す、『ゴーレム』と呼ばれる使い魔だ。
 今、ゾロが造ったゴーレムは、ゾロの性格からは考えられないぐらい愛嬌のある姿をしていた。
 一言でいうなら、後足で立って歩く亀の様な姿である。
 小さな丸い頭、楕円状の身体、円筒の様な手足、ご丁寧に尻尾も付いていて、目の位置には小石がきょろきょろと動いている。
 大きなものは40cmぐらい、小さなものは12cm程度の土のゴーレムが、全部で7体地面から生まれ出て来た。
 その中でも一番大きなものの頭をゾロは軽く撫でた。
 傍らに置かれたティセットの乗ったトレイを指差す。
「ソイツをナミに届けてくれ。ああ、壊したり汚したりするなよ?」
 ゾロの指示にゴーレム達は頷き、手分けしてティセットを運び出した。
 こもこも・と不思議な音を立てながら、彼らが家の中へと入って行くのを見届けて、ゾロは立ち上がった。

 大地が伝えて来る震えは、徐々に大きくなって来る。


 それは、地上のものならざる獣達に踏み荒らされる大地の悲鳴の様に思えた。


 深紅の刀に手を掛け、その地響きの来る方へと視線を向ける。
 ゆっくりとその視線に力を籠めた時。

 不意に起こった新たな衝撃に、弾かれた様に振り返った。

「何?!!」
 結界に何かがぶつかる気配に仰ぎ見れば。
 そこには、凄まじい形相で結界を叩いているのサンジの姿があった。


「あ……んのヤロウ。余計な時に来やがって」


 思わず頭を抱えて呻くゾロの声は、当然だがサンジには届かない。
 サンジは血相を変えて怒鳴りつける。
「おい、クソ魔導師!!この結界を解け!!!」
 高空からの怒鳴り声をゾロはあっさりと無視した。
 そっぽを向く態度に、サンジの怒りが跳ね上がる。
「テメェ、聞こえてんだろうがッ!!!クソ無視してねェでさっさとコイツを解除しやがれ!!!」
「悪ィが出来ねェな。テメェを一晩この中に入れるな・ってのがナミからの依頼なんでね」
 ナミからの・という箇所にわざと力を込めて答えるゾロに、サンジは更に苛立ちを募らせる。
 結界を思い切り蹴り付けて怒鳴った。
「……ッ、いいからさっさとしやがれ!!人間のテメェにゃ解らんだろうがな、ライカンスロープの群れがここを目指してるんだ!!!しかもヤツらを率いてるのはアブサロムってクソヤベェ奴なんだよ!!!」
 はっきりと近付いて来る気配に、サンジは歯軋りする。
「奴の狙いは間違いなくナミさんだ!!!人間のテメェに太刀打ち出来る相手じゃねェ!!!おれが追い払うから、この結界を……!!!」
「………出来ねェって言っただろ?」
 激高するサンジを、何処までも冷静なゾロの声が遮る。
 ゾロは落ち着いた仕草で刀から手を離して。

 そして、おもむろに、コートの片袖を抜いた。


 月光に露になる、剥き出しの右腕に。
 その二の腕に彫り込まれた魔導印章に。



「…………ッ!!!」



 サンジは思わず息を飲んだ。
 魔族であれば誰もが知っている印章が、そこに刻まれていた。

「六導律章?!!てめェ、蒼天院のモンかよ!!!!」

 思わす上げた声に、肩越しに視線を寄越したゾロが笑みを引く。
 ゾロの属するギルドの銘は、魔族には脅威にすらなるものだった。
「ガキの頃に父親にぶち込まれただけだ。ま、学院は2年で放り出されたけどな」
「2……年だと…ッ?!!」
 蒼天院に入る為には、まずギルド直轄の学院での修行を終えなければならない。
 普通で10年以上、5年ですら早いと言われるその修行を、僅か2年で終えた・という事実。
 背筋に走る戦慄に、サンジは身震いした。
「バケモンか、テメェ……!」
「あァ、そんなモンだろうな」
 サンジの呻きにすら喉の奥で笑い、ゾロは深紅の刀を引き抜いた。
 その刀にもかなりの妖力が宿っている事を、サンジは感じ取る。
 ヒトには大きすぎる程の力を平然とその手にしているゾロを見て、目を見張るサンジに。
 ゾロは静かに言い放った。

「おれの『仕事』だ。手を出すな」




 向かい来るライカンスロープの群れは、もうすぐそこに迫っていた。





 迫り来る土煙と。
 眼下に立ち尽くすゾロの姿を。
 交互に見遣ってから。


 サンジは拳を固めた。


 そのまま結界の側すれすれを飛び降りる。
 街を包み込むように造られた結界は、町外れに建つナミの家の庭先までを覆っていた。
 サンジはその端、ギリギリの位置に立つ。
 ナミの家と、ライカンスロープの間に立ちふさがる様に。
「……おい」
 ゾロの不快そうな声が背中に当たった。
 ゆっくりと紫煙を吐き出し、タバコを銜え直す。
「悪ィが、テメェの仕事なんざクソ知ったこっちゃねェんだよ」
 背中にゾロの剣呑な視線が突き刺さるのを感じたが。

 それでも、男のプライドに懸けて譲る気にはなれなかった。



「テメェはそこでクソ寛いでやがれ。ナミさんはおれが護る」



 腕組みをして立ち尽くし、そう言い放つ。

 ゾロの結界がこの街を包んでいるのなら、その外で戦えばいいだけの事。
 愛する者はこの手で護る。
 サンジの細い背が、そう叫んでいた。




 決意みなぎるその背を見て。
 ナミさん命!とすら書かれてそうなその背を見て。
 正直に言って、ゾロは。

 唖然としていた。

「……いや別に、おれはアイツを争う気はねェんだけどな」
 ボソリと呟くが、サンジの背には届かない。
 なんだか、妙な戦いに巻き込まれた気がしなくもないが。
 それでもまぁいいか・とあっさり見切りを付ける。
 刀を収めると、その場に座り込んだ。
「じゃ頑張ってくれ」
 そうとだけ言って、そのまま傍観の体勢に入ってしまう。
 サンジが持ち堪えられなくなったら、自分が出て行けば済む事だ。
 仕事に横やりを入れられるのは気に入らないが、楽が出来るなら別に構わない。
 そう思っての行動だった。

 地響きと土煙は、もうすぐそこだ。


 耳に届く轟音の様な大量の足音。
 複数の獣の咆哮。
 舞い上がる土煙が、夜空を曇らせる。
 へし折られ、踏みしだかれる木々の悲鳴。
 それらを押しのける様にして、森からライカンスロープの群れが飛び出して来た。


 唸りと咆哮、蹄の音。
 殺気を込めて向けられる威嚇。

 満月の光に照らし出された異形の魔物達の姿は、並の人間なら恐怖に錯乱しかねない程恐ろし気だった。


 だが、当然、ここの2人は、この程度では動じもしなかったが。


 森から溢れ出て来たその群れに、サンジは瞳を細め、ゾロは眉を寄せる。
「……いつもの倍はいるな」
 うんざりした様にゾロは呟いた。
 サンジは動かない。
 ライカンスロープ達はアブサロムを中心に、結界に沿う様に広がる。
 彼らを従える様に前に進み出たアブサロムが、サンジと向かい合うように足を止める。
 そのまま交互にゾロとサンジを見遣って、うなり声を上げサンジを見据えた。
「何だ?この吸血鬼は」
 サンジの眉がぴくりと動いたが。
 何か言うより早く、他のライカンスロープが声を上げた。
「おれ、知ってる!この吸血鬼、最近この女の家に出入りしてるヤツだー!!」
「何……?キサマ、おいらの花嫁に手を出すつもりなのか?」
 今度こそ、サンジの額に青筋が立った。
「ナミさんがテメェの花嫁だと?!クソふざけんな!!」
「ふん。貧弱吸血鬼ごときが、このおいらにたてつこうとは笑わせる」
 胸を反らして鼻息を荒くするアブサロムを、サンジは鼻で笑った。
「脳ミソ空っぽのケモノが、ナミさん程の知的美女に近付こうなんざ1000年早ェよ。次の生物に進化してから出直すんだな」
 火花が2人の間で散るのを、ゾロは欠伸をしながら眺めていた。
 不意にライカンスロープの数頭が声を上げる。
「コイツ、たしか伯爵だ!」
「そうだ、バラティエの新しい城主だ!!」
「……ほう、聞いた事があるぞ。確か、女と言えば誰かれ構わず口説く節操なしだとか」
「レディとみれば種族問わずに盛るテメェに言われる筋合いはねェよ!」
 嘲る様なアブサロムの口調にサンジが怒鳴り返す。
 ああ・と納得した様にゾロが呟いた。
「なんだ、同類か」
「部外者はクソ黙ってろ!!!」
「こんな貧弱ヤロウとおいらを一緒にするな!!!」
「……気も合ってんじゃねェかよ」
 同時に怒鳴られて、ゾロは肩を竦めた。
 そのゾロに、アブサロムの視線が向く。
「吸血鬼、キサマに用は無い。さっさとこの場を去る事だ。おいらが用があるのは、この人間の男の方だ」
 睨みつけられてもゾロは平然と受け流す。
 サンジがむっとして口を挟もうとするよりも先に、アブサロムが1歩踏み出した。
「人間の男、キサマは2度にも渡っておいらと花嫁の逢瀬を邪魔してくれたな」
「しかたねェだろ。ナミが追い払え・っつったんだからよ」
「花嫁は試していただけだ!断られても断られても、花嫁の所に3度通ってこそ、真実の愛を示した事になるのだぞ!!」
「……何か間違ってねェか、それ」
「クソ間違ってやがるな、確かに」
「ええい、黙れーーーッ!!!」
 ゾロとサンジから同時に指摘されて、アブサロムが足を踏み鳴らして怒鳴る。
「とにかく!!!人間、キサマはおいらと花嫁の間を裂こうとした罪により、これより八つ裂きの刑とする!!!キサマの血を、おいらと花嫁の結婚式のはなむけとしてやろう!!!」
 威勢の割には普通の脅し文句に、ゾロは呆れた様に笑った。
「いや、遠慮しとく」
「するな、アホーーー!!!」
 あっさり言われて怒鳴り返すアブサロムに。
 いきなりサンジが蹴りかかった。
 鋭い上段の蹴りを、アブサロムが腕で防ぐ。
 見据える瞳と、サンジのきつい視線がぶつかる。
「……何のマネだ、吸血鬼」
「このおれをクソ無視して話を進めてんじゃねェよ」
 アブサロムが腕を振るうのと、サンジが足を引くのは同時だった。
「キサマに用は無い。失せろと言ったはずだぞ」
「テメェがナミさんを狙っていると解った以上、そうはいかねェな。ナミさんはおれの伴侶となって、ここで一緒にハーブレストランを開いて、2人で倖せな生涯を送る事になってるんだ」
 テメェの頭の中だけでな・とゾロが胸中で呟く。
「何を勝手な妄想をしているんだ。あの女は今宵、おいらの花嫁となり、輝かしい獣の女王になるんだぞ」
「ナミさんは叡智の女神の恩愛を受ける程の才女だぞ。そのナミさんが低能獣人共の女王だなんて、クソ笑えねェジョークだな」
 どっちもどっちだな・とゾロが評価を下した事など、知る筈も無く。
 サンジとアブサロムは火花を散らす。
 見据え合い、睨み合う時間は短く。

「ナミさんには指1本触れさせねェぞ!!!」
「どうあってもおいらと花嫁の邪魔をするというなら、踏みつぶしてくれるまでだ!!!」

 怒鳴り合うと同時に、2人は飛びかかる。
 ライカンスロープ達がそれに続いた。





 離れて1人静観するゾロと。
 静かな満月が勝負の行方を見守っていた。




 






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ちょこっと一言
 ライカンスロープはスリラーバークのアニマルゾンビ達のイメージです。見た目もノリもあのままでお願いしますw



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