ACT6『 逢魔が時 』




 茜色に輝く雲が、夕闇の空を何処までも覆っている。
 空の色は深みを増し、その輝きに彩りを添える。
 遠く、その空に宵の明星が光を灯し。
 東の稜線には未だ月の影は無く。


 その空を、サンジは長い羽根を広げて飛んでいた。


 日没直後に魔界を飛び立ち、少しの間、大空の芸術に見入っていた。
 この時間帯の空が、サンジは特に好きだった。
 刻一刻と姿を変える雲。深みを増してゆく空。徐々に見え始める星々。
 その情景を、こうして高空から眺めるのが特に気に入っていた。
 空に包まれているような心地と、空を独り占めしているような幸福感。
 そんなものを感じながら、静かに風にその身を任せている。
 ゆっくりと紫煙が夕空に流れて行く。
 淡い金の髪が、風に吹かれ揺れた。

 ふと、その口元に笑みが浮かぶ。

「そうだ、今度ナミさんも連れて来てあげよう」
 一番気に入りの風景なのだ。
 一番大切なナミに見せるのは当然の事。
 そう思って、サンジの相好が崩れた。
「ナミさん、空は飛んだ事ねェだろうしなぁ。きっと喜ぶぜ〜。もしかして、お礼のちゅうとか……」
 その瞬間を想像してしまい、サンジの目尻がこれでもかと言うぐらい垂れ下がる。
 一頻り、嬉しそうに胸の前で両手を組み合わせて妄想に浸って。
 それから、サンジはその羽根を広げた。
「よし、さっそく今日のディナーの後で誘ってみるか!いや、何なら今夜でもかまわねェよな。何たって満月なんだしよ!月光の下のデートなんて……すっげェロマンチックじゃねェかーーー!!!」
 浮かれたまま一気に夕暮れの空を横切って行く。
 自分の想像で舞い上がってしまったのか、無意識の内に何時もよりかなりスピードを上げていて。
 気が付いた時にはもう、ナミの家の上空に着いてしまっていた。
 行き過ぎかけて慌てて舞い戻る。
 そうして、庭先へと視線を落とし。


 サンジはその特徴的な眉を思い切り寄せた。
 見慣れない人影を、その庭に見出して。






 魔界と人間界は、何処ででも行き来出来る訳では無い。
 世界に16カ所ある双方の世界の接合点だけが、互いの世界を繋ぐ門になっていた。
 そこはシンプルに「ゲート」と呼ばれていた。

 ナミの住む街に最も近いゲートは、サンジでも30分以上掛かる場所にあった。

 サンジは気付いていなかった。
 何時もよりスピードを出して飛んで来たため、ナミの家に早めに着いてしまったと言う事に。
 その時間、僅か5分足らず。
 だがそれでも、この5分がサンジの運命を変えたと言っても過言ではないだろう。






 ナミの家の、整った庭に見つけた緑と赤の色彩。
 それが人間の男だと気付くのはすぐの事。
 誰なのか・と思う間もなく、その目を見張る。
 その人影が、庭の一角に身を屈めて、何かを埋め込むのが見えたからだ。

「アイツ……!ナミさんの大事なハーブガーデンに何してやがる!!」

 ナミが大切にしているハーブは、サンジにとっても至宝そのもの。
 その大事なハーブに細工されているのか・と思った瞬間、サンジは一気に空を舞い降りていた。
 男の後ろに降り立つと、羽根をしまい人身の姿を取る。
 ナミ以外の人間に自分の正体を見せるつもりは無かったし、吸血鬼が出入りしている事が広まってナミに不利益が生じるのは本意ではなかった。
 盛大に紫煙を吐き出して、男の背中を睨みつける。
「クソヤロウ、ここで何してやがる」
 そう言い放つのと、男が振り返るのは同時だった。


 背格好はほぼ同じぐらい。
 体格は相手の方が若干良い……かもしれない。
 だが、人間如きが相手なら、腕力程度は問題にならない。
 掴み掛かって来る前に、どうとでも出来る。
 刀が3本。1度に抜けるのは2本までだから、大した問題にはならない。


 振り返った男と目を合わせる一瞬でそう判断して、そして気が付いた。
 左肩から手の甲までを覆う、銀色の装甲。
 それが普通の武具では無く、魔導装甲だと言う事に。

 魔導師が刀を持つ。そのアンバランスさ。そして、脅威。
 魔導と剣術の双方を使えるのであれば、油断が命取りになりかねない。
「テメェ……何モンだ」
 油断なく見据えて低く言い放つ。
 背筋にざわりと走る震え。首筋の毛髪が逆立つ。
 全身で感じ取る。
 目の前の相手が、相当強い・と。


 前に立つ人物は、言うまでもなくゾロであり。
 サンジがゾロに会うのは、これも当然ながら、この時が初めてだったが。
 それでもすぐに思い当たった。
 初対面の時、ナミが言った事。
「腕の立つギルドの魔導師の知り合いがいる」確かにナミはそう言っていた。
 コイツがそうか・と内心で納得する。

 あのナミが、腕が立つと言うだけはある、と。

 油断なく相手を見据え、出方をうかがう。
 静かに紫煙を吐き出して、その動きに細心の注意を払って。
 張り詰めた緊張の中、サンジが微かに息を飲んだ時。


 いきなりゾロは、溜息を吐いたのだ。
 それも、肩を落とし、がっくりと頭を垂れて、眉間を押さえ、腹の底から吐き出す様に。
 それはもう、盛大に……呆れ果てたと言わんばかりに。


「んなッ?!!!」
 余りにも想定外の反応にサンジは絶句して。
 その直後、耳に飛び込んで来た言葉に、更に衝撃を受ける事になる。
 ゾロが呻く様に呟いた一言に。

「……ナミのヤツ、何、読み間違えてやがる」

 ゾロとしては、完全に独り言であって。
 しかも、別段深く気にせずに口にした言葉だったが。
 サンジにとっては、ある意味衝撃だった。
 それはとてつもなく自分本位な意味でだったが。
「テメェ…!!!なに、クソ馴れ馴れしくナミさんを呼び捨てにしてやがるんだーーーッ!!!!」
 それはもう、実に、一方的な嫉妬以外の何物でもなかったが。
 怒号と共に蹴りかかって来たサンジから、ゾロはあっさりと身を躱す。
 そして、心底嫌そうな顔をして言い放った。
「馴れ馴れしいも何も……アイツとは産まれた時からの付き合いだからな」
 だが、ゾロにとっては何でも無いこの言葉に、サンジは激しくショックを受けたようだ。
「な……ッ、何ィィーーーー?!!!」
 世にも悲惨な絶叫を上げ、ショックで数歩よろめいて。
 そして、両手で胸を押さえて崩れ落ちる。
 呻く様に口にした言葉は。


「ナミさんと……産まれたままの姿でのお付き合いだと……ッ?!!!」


 あまりにもとんでもない聞き間違えに、ゾロの方が石化してしまう程だった。

 1拍の後、サンジのうらやましい・という呻きを耳にして、ゾロは我に返った。
「……って、不気味な聞き間違いしてんじゃねェよ!!!」
 怒鳴られて、サンジも真っ赤になって怒鳴り返した。
「う、うるせェ!!!ベツにおれはうらやましくなんかねェからなッ!!!そう、愛とは出会ってからの時間じゃねェ……!!想いの深さこそが、その全てだ!時間など一瞬で飛び越え、どれだけ深く強く想う事が出来るかこそが、愛を測る唯一にして最も神聖なる手段…!それにおいて、このおれを上回るヤツなんざ、全界総てを探したっていやしねェんだよ………って!クソ聞いてんのか、オイ!!!!」
 つい始めてしまった熱弁に、気が付けばゾロはうんざりした顔をして背を向けていた。
 足を踏み鳴らして怒鳴るサンジを肩越しに見遣って、呆れた様に口を曲げる。
「…………ワリィがおれもヒマじゃねェ。恋愛談義なら他所を当たってくれ」
「おれのナミさんへの愛は、テメェのとは比べモンにならねェって話をしてんだろうがッ!!!」
「あー、そうかよ。勝手にしてろ」
「このクソヤロウ、話を聞きやがれ!!!……ッ!!」
 怒鳴り、その直後、サンジは思わず息を飲んだ。
 うるさそうに背を向けたゾロが、また何かを地面に埋め込んだのを見て。
 埋め込んだ物が何なのかは、見えなかったけれど。
 確かに感じたのは、強い魔力。

 魔力を込めた『何か』を大地に埋める・という行為は、間違いなく魔導師が何からの術の媒介として行う事。

 神聖な力で満たされたこの庭に、魔術の仕掛けを施されている。
 それはサンジには、聖域を踏み荒らされているように感じられた。
 一瞬にして、再び怒りが込み上げて来る。
「テメェ……!!さっきからナミさんの大事な庭に何やってやがるんだ!!!!」
 怒鳴ると同時に、背後からゾロへと蹴りかかる。
 だがその攻撃をゾロは予測していたらしい。
 片腕でいなされ、更に足首を取られる。
 投げ飛ばされる・と察して、サンジはとっさに身を捻った。
 不安定な体勢から、それでも2撃目を繰り出す。
 ゾロはサンジの足首から手を離して、その蹴りを腕で弾いた。
 互いの身体が弾き飛ばされる様に離れて。
 そして、同時に着地した。
 睨み合う体勢。
 ぶつかり合う視線。

 張り詰めた気配が辺りを満たして。

 それを、サンジが先に解いた。
「……ただの魔導師じゃねェ・ってワケか」
 身のこなしを見れば、体術も相当鍛えている事は一目瞭然だった。
 刀も装甲も、飾りで身に着けている訳では無いらしい。
 そして、向こうも恐らく、自分の正体を知っているのだろう。
 自分が何者なのかも尋ねなかったゾロの態度を見れば、見当は付く。
「そうとわかりゃあ、こっちも本気出すぜ」
 口元に笑みを引いて、そう言い放つ。
 足元を軽く踏みならし、攻撃の準備を整えた時。
 不意にゾロが笑った。
 顎を反らして。

「悪ィがここまでだ」

 言い切り、右手を開く。
 その掌から零れ落ちる銀色の雫。
 光を弾く銀の球体は、真直ぐに地面へと落ちて。


 ゾロの静かな声が響いた。




「<聖印展開>」




「……ッ?!!」

 ゾロの声を聞いたと思った次の瞬間。
 サンジは物凄い勢いで弾き飛ばされていた。
 それも、地面から天へと向かって。

「な…ッ、何ィーーーーーッ?!!!」
 弾き飛ばされる時間は一瞬で。
 我に返った時には既に、街を見下ろす高空で呆然としていた。
 慌てて戻ろうと降下した瞬間、見えない『何か』にぶち当る。
 それが何なのかは、考えるまでもなく解った。
「結界かよ!!クソふざけんじゃねェぞ、このサボテン頭!!!」
 見下ろすとそこには、ナミの家だけでなく街全体を取り囲む様にして張り巡らされた結界があった。
 怒りは、結界に弾き飛ばされたという事よりも、人間の術が通用すると思われた事の方が強く。
 サンジは魔力を練り上げると、それをゾロの結界へと叩き付けた。
 人間の作った術など一撃で破れる・と。
 そう思っていたのだが。

 自身の力があっさりと霧散する様を見て、流石に衝撃を受けた。

「……ウソ、だろ?!!」
 人間に遅れを取った事は、200年近い生涯の中で1度も無い。
 所詮、存在としてのレベルが違う。そうとまで思っていた。
 ギルドの魔導師だろうと、まともに相手をした事もなかったと言うのに。

 この結界は、サンジの力を弾くのではなく消滅させた。


 それが、どれ程の事なのかは、良く解っていた。


「……テメェ、何者だ」
 呻く様な声にゾロは応えず。
 腕を組んで、眉間に皺を刻んだ。
「やっぱり『伯爵』相手にこの程度の装備じゃムリか」
「……ッ!!!」
 その言葉に、サンジは再度絶句した。
 力を消されただけではなく、爵位まで見切られたのだ。
 人間が魔族の力量を計る時に、見極めれるのは精々「上位」「中位」「下位」と言った大雑把な括りまでの筈。
 ゾロが示した力の片鱗は、その常識をあっさりとくつがえした。
 余りにも想定外の事実にサンジは、呆然とするしか無かった。

 見上げて来るゾロの視線は、ただ冷静で。


 息を飲むサンジの耳に、不意に柔らかな声が響いた。




「ゾロ?何か騒がしいけど、どうしたの?」




 弾かれた様に向けた視線の先に。
 怪訝そうに歩み寄って来るナミの姿が入った。



 





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