ACT4『 魔界の状況 』




 魔界……正式な名を魔族界と言うその世界でも、月は人間界と同じように巡る。
 魔界と精霊界は、人間界を挟んで若干重なり合うように存在している。
 その為、この3つの世界は同じ空の下にあり、同じ太陽と同じ月に照らされていた。

 魔族達は、魔界では昼夜の別なく普通に暮らしている。
 人間界で昼間に活動できない理由は、魔界より太陽の力が強いからだ。
 多くの者は力を弱められてしまうし、サンジ達吸血鬼のように消滅してしまう者達もいる。
 極稀に、まるで影響を受けない種族もいるが、その方がむしろ少数派だった。


 魔界ではサンジも、普通に昼間から起きて生活している。
 居住は、数年前祖父から引き継いだばかりの、大きな古城だ。
 一族の者や使い魔達を初め、大勢の者達と一緒に暮らしていた。
 今の彼らの関心は、ここ半月程、若き主人の心を鷲掴みにしている女性である。
 サンジが「人間の美女だ」と公言しているため会えない事を残念がっているが、どんな人物なのか話題に上る事が多い。
 別段他意は無く、ただ単にヒマなのだ……彼らも。
 以前、覗き見に行こうとした者達がいたが、実行する前にサンジにバレてしまい、とんでもない激怒を買った挙げ句、3日間サンジの食事を口に出来ない・という、この城では最大の罰を受けた事があった。
 それ以来城のもの達は、噂話だけで満足しているのである。
 料理が趣味のこの城の主は、城に住む全ての者の食事を一手に引き受けている。
 当初は恐縮していた彼らもサンジの料理の美味しさと、大叔父のゼフが「他にやる事が無いんだから好きにさせとけ」の一言で、あっさりと引き下がった。
 斯くして今日も、この城ではサンジの手料理が振る舞われる事になる。


 予期せぬ来訪者が来たのは、その少し前だった。





 いつもの様に私室で、オリジナルレシピを書き留めていたサンジが、そろそろ昼の支度に入るか・と思った時に、その音は響き渡った。
 何か、とんでもなく重量のある物が、地面に落下したかのような音。
 同時に城さえ揺るがす程の地響きまでして。
「なッ、何だァ?!!」
 何事か・と慌てて立ち上がったその瞬間。
 響き渡ったのは、物凄いまでの大声量だった。

「サンジーーーーーッ!!!肉、持って来たからメシ作ってくれーーーーーーーッ!!!!」

 聞き覚えのある声とその内容に、サンジは物凄い勢いで窓へと駆け寄った。
 その顔に浮かぶのは、紛う事無き怒りの形相。
 飛びついた窓を割らなかったのが不思議な程の勢いで開け、身を乗り出して怒鳴った。
「ルフィーーーッ!!!!いつも言ってんだろーがッ、ちゃんと正門から入って来いーーーーッ!!!!」
 予想通りそこにいたのは、ここ1年程サンジと親しくしている友人だった。

 サンジと違いルフィは人狼であるが、お互いに種族の違いを気にするような性格では無い。
 ルフィはよくこうして、自分で狩った獲物を持参して来て、サンジの料理をねだっていた。
 それは構わないが、正直に言ってきちんと正門から入って来てもらいたい。
 正門から入ってくれば、使い魔が来訪を告げに来るのだ。だがそれが無く、いきなり私室の前に居る・という事は、城壁を飛び越え庭を突っ切ってきたのであろう。
 侵入者と間違えられかねないその行為は、なるべくなら謹んでもらいたいのだが。

「だって、こっちから来た方が早ェじゃねェか。なぁなぁ、それよりメシ!!ほら、でっけェ肉、狩って来たからよー!!!」
 そう言ってルフィは歯を見せて全開の笑顔を向ける。
 余りにも能天気なその笑顔と、『狩って来た』という獲物に、思わずサンジは脱力した。
 ルフィの横には巨大なベヒーモスが横たわっていたのだ。
「おま……、モノには限度ってモンがあるだろーがよ…………」
 依りにも依って、ベヒーモス。巨大さだけではなく凶暴さでも知られる魔界最強の肉食獣を、何だって食材に選んだのか。
 しかも、この巨体を小柄なルフィが平然と担いでここまで運んで来て、更にあのクソ高い城壁も飛び越えてきたのだろう・と思うと。
 ……何だか空恐ろしいものを感じてしまった。
 そのぐらい、ルフィの『食』への執着は凄かったのだ。
 眉間を押さえて苦悩していると、ルフィが能天気に笑う。
「サンジー?なぁ、メシにしてくれってば!!これなら皆で食べれるだろー?!」
 笑顔で傍らに転がるベヒーモスを揺さぶる姿は、食事をねだる子供そのもので。
 サンジは肺の底から息を吐き出すと、諦めて庭に怒鳴った。
「解ったよッ!!!今、運ばせっから、テメェは中でクソ寛いでやがれッ!!!」
「やったーーーッ!!!ありがとな、サンジ!!!」
 満面の笑顔で両手を振るルフィに、サンジも苦笑を返す。
 そして、城の中を振り返ると、大声で怒鳴った。
「ヤロウども、仕事だーーーッ!!!庭のクソデケェ食材を厨房に運びやがれーーーーッ!!!」
 その声に、城内が一斉に騒然となる。
 指示を飛ばしながら、サンジの顔には笑みが浮かんでいた。
 なんだかんだ言っても結局、料理を作る事はサンジにとって最大の喜びなのだ。
 それに、人狼であるルフィは本来なら、生のまま食べても平気な筈である。
 だと言うのにわざわざ、自分に料理して欲しくて、こうして食材として運んでくれる。
 その事は、料理人としてのサンジのプライドをくすぐるには十分だった。
 その上、ルフィは並み外れた大食漢でもあったから。
 自分の作った料理を見事な食欲で大喜びしながら平らげる様は、料理人として至福を感じる瞬間でもあった。


 小一時間程掛けて、巨大なベヒーモスを余す所無く使い、城内全員の胃袋を満たしてなお余りある料理をサンジは作り上げた。
 目の前に山と積み上げられた肉料理にルフィは目を輝かせて、いただきますと言うと同時に大口開けて喰らい付く。
 欠食児さながらのその食べっぷりに、サンジは満足そうに笑った。
「うん、ウマい!すっげーウマいぞ!!」
「当り前ェだ。おれの料理をマズいなんて抜かしやがったら、オロすぞ」
「ししし!そんな事言うヤツなんていねーって!!ホントうめェよー!こんだけあるから夜まで宴だな!!」
 嬉しそうに笑うルフィに、サンジは慌てて声を掛ける。
「オイ、ちょっと待て!夜はダメだ。おれにも予定ってモンがある!」
 手を振って断るサンジに、ルフィは肉に齧り付いたまま目を丸くした。
「ふぁんうぇぁ?むぁんぁうぉおうぃくぁ?」
「……喰ってから喋れ。何言ってんだかクソ解んねェよ」
「…………んぐ。何か用事か?」
 巨大な肉の塊を、数回咀嚼しただけであっさりと飲込んで、ルフィが問い直す。
 その質問に、待ってました・とばかりに、サンジの目尻が下がった。
「よくぞ訊いてくれたぜ。……実はな、ルフィ。おれは今、恋に夢中なんだ」
「こい?」
 頬を赤らめて口元を弛め、目尻は垂れ下がり。そんな緩み切った顔でサンジはうっとりと呟いたが。
 対するルフィは不思議そうに首を傾げて。
 それから、おもむろに顔を輝かせた。
「ああ、そっか!『コイ』か!!そりゃあすげェな!!」
「おぅ、そうだとも!!そうか、漸くテメェも解るようになったか!!」
「解るぞ、モチロン!!しししし、そっかサンジが夢中になるほどのコイかー!!」
 期待に目を見開いて笑うルフィに、サンジも満足げに頷く。
 人狼としては成体になったばかりのルフィは、どうにも恋愛方面には無関心で。
 何時になったらコイツと『男同士の会話』が出来るようになるのか・とサンジは内心溜息を吐いていたのだ。
 人狼は幼少期には人より狼の体質が強いため、産まれて2年ほどで成体になるが、その分、精神的にはまだまだ未成熟なのだ。
 外見的には同世代の2人だったが、実質は親子程の開きがあると言っても過言では無いだろう。
 そのルフィも漸く恋の素晴らしさを知ったか・と、サンジは満足げに頷いていたのだが。
 ルフィは笑顔のままで言い切ったのだ。



「すっげェでけえコイなんだろなー!!やっぱ30mぐらいあるのか?!!」



 それはまぁ……やっぱり意志の疎通の欠片も無かった台詞を。
 余りにもあっさりと言われたから、サンジも思わず答えてしまったぐらいだった。
「クソ甘ェな。いいか、その体長は50mに及び、ウロコは白金に輝き、そのヒゲには魔力がみなぎり、グレート・サンダース湖のヌシと呼ばれて…………って、そうじゃねェッ!!!誰が魚の鯉の話をしてんじゃーーーーッッ!!!!」
「ぅおうッ?!!違ったのか?!!」
 思わずテーブルを踏みつけて怒鳴るサンジから、ルフィは肉の塊を抱えて椅子毎飛び退いた。
 サンジは睨み殺さんばかりにルフィを見据え、テーブルを何度も踏みつける。
「クソ違うに決まってんだろーがッ!!!恋っつったら、恋愛の恋に決まってんだろーがッ、このクソッタレがーーーッッ!!!!」
 だが、その必死の罵声にもルフィはつまらなそうに溜息吐いただけだった。
「あー……なーんだ、そっちかぁ。つまんねェの」
「つ、つまんねェだと……?!!テメェ、クソ言ってくれるじゃねェかよ!!!」
「だってサンジがオンナの話してんのなんて、いつもの事じゃねェか」
「……ッ!!!」
 言葉に詰まるサンジを尻目にルフィは肉に齧り付く。
 そのまま食事に没頭し始める様子に、サンジは手を伸ばしてその頭を鷲掴みにした。
「ぅグ?!!」
 ビックリして顔を上げると、そこには憤怒の表情を浮かべたサンジの顔。
 青筋を立て眉を怒らせて眉間に深い皺を刻み、怒りに歯を剥き出しにしたその形相に、流石のルフィも竦み上がった。
 肉を頬に詰め込んだまま固まってると、サンジがその顔をずい・と近づけて来た。
「……いいか、このクソ狼。こういう話は男に取っちゃあ最も大事なモンなんだぞ。だから、きちんとその無駄にデカイ耳の穴、ガッツリおっぴろげて聞きやがれ。解ったな?」
 目を丸くして固まったまま、ルフィは頷く。弾みで狼の耳がぴょこんと飛び出したが、本人は気付いていない。
 飛び出した耳がぺたりと倒れて、ルフィの心情を如実に物語る。
 それを見てサンジは、鼻息を鳴らすとルフィの頭から手を離した。
 ルフィは両手で口を押さえて、中に入っている肉を飲み下す。
 サンジは煙草を取り出すと火を点けて、ゆっくりと紫煙を吐き出した。
「おれが今、どんなレディに夢中か知りてェだろう?」
「ん?いやベツに…………って!いや、う、うんッ!!!知る!!知りてェぞっ!!!」
 断りかけて睨まれ、慌ててルフィは首を縦に振る。
 その様子にもう1度紫煙を吐き出して、サンジはうっとりと視線を泳がせた。
「今、おれの心を捕らえて放さねェのはな、何と人間の美女なんだ……」
「そっか。ニンゲンか。そら大変だな」
 頷きながらルフィはそっと皿に手を伸ばして。
 サンジは気付かずに、両手を胸の前で組み合わせた。
「それもタダの美女じゃねェ……その美しさは美の女神の如く。微笑む仕草は花の精霊のよう。涼やかな声は小鳥のさえずり。艶やかな髪は絹糸さながらで。澄んだ瞳はどんな宝石も及び付かねェ。その叡智は知識の女神にも勝り、慈愛の深さでは豊穣の女神をも凌ぐだろう」
「ふんふん。ほれで?」
 溢れ出る賛辞の嵐を、皿の中身を頬に詰め込みながら聞き流す。
 それでもサンジは、輝くような笑顔を浮かべると両手を大きく広げた。
「解るだろう?これだけの至宝を前に、惚れねェヤツは男じゃねェ!美しく可愛らしく賢く優しく、慎み深い……そして、健気でいて儚気。まさに、レディの中のレディとは彼女のためにある言葉に違いねェ!!お前もそう思うだろう?!!…………って」
 勢い良くルフィへと振り返り、そこでサンジは一気に脱力した。
 ルフィは頬をパンパンに膨らませた状態で、サンジの言葉に頷いていたのだ。
 しかも、視線は料理の方へと向いたままだった。
 あからさまな生返事に気付かず力説していたのか・と思うと、怒りを通り越して虚しくなってくる。
 大きく溜息を漏らすと、ルフィの向かいの椅子を引いて脱力したように座り込み、新しい煙草を取り出した。
 火を点けて深く吸い込み、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
 その間にもルフィは次々と皿を開け続けている。
 すっかり興味は料理の方へと戻ってしまったようだ。
 虚しさの溜息を吐くと、サンジは諦めたようにルフィを見遣る。
「……ったく。とにかく、そういうワケだからな。4時過ぎたらおれは彼女のためのディナーの準備に取りかからねェとならねェんだ。何しろ今は、毎晩彼女の元へスペシャルディナーを作りに行ってるんだからな」
 へらりとサンジの口元が緩む。
 『スペシャルディナー』という単語に、ルフィが反応した。
「へーッ!おれもそれ喰いに行っていいか?」
「いいわけあるかーッ!!!」
 間髪入れずに怒鳴り返されて、ルフィが口を尖らせる。
「なんでだよー。トクベツなメシなんだろ?だったら喰ってみてェじゃんか」
「クソばか言ってんじゃねェッ!!!!『彼女のための』だっつってんだろーがッ!!!他のヤツになんざパン一欠片だって喰わせねェに決まってんだろ!!!!」
「ひでー。サンジのケチー」
「ケチじゃねェッ!!!!大体に於いて、これはれっきとした『デート』なんだよ!テメェは人のデートにくっ付いて来る気か!!」
 『デート』という表現に、ようやくルフィも納得した様だ。
「そっか、『でーと』か。じゃあ、しかたねェな」
「やっと解ったかよ……。そういう事だから、それまでにテメェは帰りやがれ」
「うん、わかった」
 納得してルフィは頷いて。
 それから、料理の山を見渡した。
「じゃあ、4時までにガンバって全部喰うか」
「…………余ったら持って帰って構わねェから!」
 腕組みをして真剣に言われた台詞に、サンジは慌てて両手を振る。
 流石のルフィでも、これだけ大量に食べたら胃を壊しかねないだろう。
 自分の料理で腹を壊した・なんて言われては沽券に関わる。
 サンジが慌てて言った台詞に、ルフィは嬉しそうに目を輝かせた。
「じゃあ、包んでくれ!みやげにするからよ!!」
 満面の笑顔に、サンジは苦笑した。
 ルフィは今、本当の家族ではなく養い親と暮らしているらしい。
 以前、話してくれた事もあったが、残念ながらサンジは男の事には興味を持たないので詳しい事は忘れてしまったが。
 食事に来て、その親に手土産として料理を持って帰る事も度々あった。
「余ったらって言ったろ?それともどうする?今のうちに、土産の分を避けちまうか?」
 煙草を銜えて言うと、ルフィはちょっと考えてから頷いた。
「そうだな……そうしてくれ!」
「ヘイヘイ、クソ了解だぜ。じゃあちゃんと喰い尽くさないでおけよ?」
「おう!頼むな、サンジ!!」
 嬉しそうに笑うルフィに、サンジも容器を準備するために笑顔で立ち上がった。

 正直、ルフィに悪かったかな・と少しは思ったけれど。
 だからと言って、ナミとの時間と引き換えに出来るわけが無かったから。
 恋心の前には、男の友情も霞んで当然だろう・とあっさりと思考を切り替える。
 サンジはいっそ清々しいぐらい見事に、恋愛を取る男だった。
 それに。



 出会ってまだ半月足らずとは言え。
 既にサンジにとってナミはそのぐらい、何者にも替え難い存在になっていたのだ。













<<before        next>>
ちょこっと一言
 「人狼」「狼男」「狼人間」「ウェアウルフ」「ワーウルフ」等、呼び名が違うだけで全て同じもの達の事。性質に関しては、作中の通り。ルフィは2歳半ぐらい。中身はまだまだ子供ですw




   BACK / ONE PIECE TOP / fake moon TOP