「お断り」 氷点下の冷たさで言い切って、ナミはサンジに背を向けた。 「はい、話は終り。じゃあね、吸血鬼さん」 全身で自分を拒絶する背中に、サンジは慌てて縋った。 「いやいやいや!だからそうじゃなくて!!ナミさぁ〜ん、なんでそこまで拒絶するんだい?」 「…………なんで、ですってぇ???」 取りすがって来ようとするサンジを払いのけて、ナミは怒気も露に振り返った。 怒りのままに手にした棒を突きつける。 「何が悲しくて、見知らぬ男に肌に吸い付かれなくちゃならないのよ!!!ましてや首筋よ?!!!冗談じゃないに決まってるでしょう!!!」 その怒りにサンジは思わず身を引いたが。 「あ、い、いや、首がイヤなら手首とかでも構わないんだけど」 「手首だって吸い付かれるのは同じでしょうがッ!!!!」 慌てて取り繕った言葉は、更に怒りを煽っただけだった。 「見知らぬ男に、唇で肌に触られるのが嫌だって言ってるのよ!!!!」 ナミの怒号は天にも響き渡る程だったが。 何故かサンジは目を丸くすると、手を打ったのだ。 更には納得した様に頷いている。 「ああ、そっか。成る程」 なんだか予想外のリアクションに、ナミは眉をひそめたが。 それに続く言葉に、絶句してしまった。 サンジは実に嬉しそうに笑って言ったのだ。 「つまり、まずはお友達から・って事なんだね、ナミさん!!!」 嬉しそうにへらりと笑って言った台詞に、ナミは顎を落としてしまった。 「……って、ちょっと待った!!!なんなのよ、あんたのその自分勝手にポジティブな発想は!!!!」 大急ぎで気を取り直すと、慌てて怒鳴りはしたが。 今度はサンジも、怒鳴られても動じなかった。 「いやぁ、ナミさんってば奥ゆかしいなァ。そうだよねー。ちゃんと段階踏んでからプロポーズしないとイヤだよねェ」 「だから、何、プロポーズって!!!人の話を聞きなさいよねッ!!!!」 「うん、確かにおれが悪かった。初来訪にして、いきなりちゅうってのは男女の礼節にもとる振る舞いだもんなァ」 「ちゅうってナニ!!!誰がそんな真似するっていうの!!!!」 「ごめんごめん。ナミさんみたいな奥ゆかしい貴婦人相手に礼節を欠くなんて。おれとしたことが、焦っちまったんだろうなァ」 「だから、人の話を聞きなさいって言ってるでしょーーーッ!!!」 へらへら笑いながら自分だけの理屈を並べるサンジに、とうとうナミは手にしたままだった魔道具を叩き付けてしまう。 けれどサンジも今度は慌てて身を躱した。 「おぉっと、ヤだなぁ、ナミさん。そんなに照れなくたっていいのに」 「テレてない!!!さっさと出てけ!!!!」 「うん、解った。今日の所はおいとまするよ」 窓を指差すナミに笑って、サンジは頷く。 そして、言った。 「じゃあまた明日の夜に」 「2度と来るな、バカッ!!!!」 「だからテレなくていいってば。ああ、時間が悪いんだね?そうだよねー、こんな夜更けじゃ寝不足になっちゃうもんな。睡眠不足は美容の大敵なんだし」 「だから、そんな話はしてないって言ってるのよーッ!!!」 いい加減、怒鳴り疲れて来た。 どうにもさっきから目の前のこの吸血鬼のペースに乗せられっぱなしのような気がする。 荒く息を吐くナミに、サンジはにっこりと笑いかけた。 「ナミさん、嫌いなものってあるかい?」 その問いにナミは迷いの欠片もなく答えた。 「……あんたたちみたいな魔族全般」 呻く様にそう言っても、やっぱりサンジは動じなくて。 「つまり、食べ物の好き嫌いはないんだね?良かった、じゃあ明日の晩はおれがとびきりのディナーを振る舞うからね」 周りにハートマークを飛ばしながらサンジが笑う。 その様子にナミは本気で脱力してしまった。 脱力すると同時に、半ば諦める。 ……どうせ、吸血鬼の言う事なんか、当てにならないんだから、と。 そんなナミの心情を知らずに、サンジはにっこりと笑いかけた。 「それじゃあ、明日の夜、日没後に」 「……あ、そう。勝手にして」 「素っ気ないナミさんも可愛らしいなァ。楽しみにしててよ?腕に寄りをかけるからさ」 「…………はいはい」 顔を背けて素っ気なく返事をする。 そんな様子にもサンジは懲りずに笑った。 「あと、おれの名前。テレないでちゃんと呼んでくれないかな?」 「……知らないわよ、あんたの名前なんか」 「サンジだってば。ちゃんと名乗ったじゃないか〜」 「…………そうだったっけ?忘れたわ」 「そんな事言って、本当は忘れてなんかいないんだよね〜。ホント、ナミさんは奥ゆかしいなァ」 「……あー、もう勝手にして」 気配でサンジが笑っている事は解ったけれど、敢えて振り返らず。 さっさと行きなさい、とばかりにひらひらと手を振った。 サンジはそんなナミに深く一礼して。 そして軽く床を蹴って、窓枠へと舞い上がった。 飛ぶと言うよりは、舞うと言った方が正しい様な、そんな優雅な仕草で。 真直ぐに伸ばす背筋。 淡い月明かりの下、漆黒のマントが大きく広がる。 それはそのまま蝙蝠のような羽根の姿になった。 その羽を広げて、サンジはナミを見つめる。 それは本当に静かに。ただ真直ぐに。 「おれ、本気だぜ?ナミさん」 その言葉に、ナミは眉を寄せて振り返った。 けれど、自分を見つめるサンジの余りにも真直ぐな瞳に、言葉を失って。 サンジはその透明な瞳で静かに笑った。 「ナミさんは美しいし、気高くて奥ゆかしく、そして優しい。おまけに博識だ。これ以上は無い、最高の貴婦人だよ」 「……それはどうも」 引き寄せられそうになる瞳をサンジから外して、ナミは口先だけの礼を言う。 サンジはくすりと笑った。 「おれ達の事、こんなに詳しい女性には初めて会ったなァ」 「好きで詳しいわけじゃないわ。知り合いにギルドの魔導師がいるのよ。ソイツの受け売り」 「へ…ェ?」 ギルドの魔導師・という言葉に、サンジの特徴的な眉がぴくりと上がった。 その気配を感じて、ナミが口元に笑みを乗せる。 どこか、攻撃的な笑みを。 「もう来ない方が身のためかもしれないわよ?アイツ、バカみたいに強いから、あんたなんか一瞬で吹っ飛ばされるかもね」 ナミの挑発的な言葉に、それでもサンジは笑った。 「おれの心配をしてくれるのかい?やっぱり優しいなァ。でも大丈夫だぜ」 そう言うと、不意に笑みの質を変えた。 それまでのものとは正反対の、挑む様なものに。 「人間ごときにはやられねェから」 その瞳に滲む、圧倒的な自負。 言葉を裏打ちする、確かな力。 それを感じ取って、ナミは思わず息を飲んだ。 けれどその気配も一瞬だけで。 直ぐにサンジは、また元の柔らかな態度を身に纏って、ナミに笑いかける。 胸に片手を当てて、ゆっくりと一礼して。 「では、ナミさん、良い夢を」 優雅な仕草で挨拶をして、大きく羽根を広げた。 そして、その羽根を一振りして、サンジは窓から飛び去って行った。 羽音も立てずに、静かに夜の空へと消えて行く。 そうしてまた、部屋を静寂が満たして。 開いたままだった窓が、再び緩やかに閉まり。 鍵も、手を振れていないのに、かちりと締まった。 カーテンさえも静かに窓を覆う。 その様子をナミは無言で見ていたけれど。 やがて。 大きく溜息を吐いて、ゆっくりと立ち上がった。 改めて見渡せば、いつもと変わりない自分の部屋。 まるで、夢だったのかと思ってしまうが。 でも、夢では無い証に、自分の手には護身用の棒が握られたままで。 それに、魔道具の袋の中からは、電撃呪力を封じた玉が2つなくなっている。 今の出来事が、確かな現実だった証。 あの風変わりな吸血鬼が、確かにこの部屋にいたのだ・と。 改めてそう確認して。 それでもナミは、伸びを一つするに留めた。 「……人騒がせなのよ、もう」 そう呟いて、ベッドへと戻る。 ガウンを脱ぐと、再び護身用具を傍に眠りの体勢に入った。 シーツにはまだ温もりが残っていて、直ぐに柔らかな眠りに誘ってくれる。 安堵の吐息と共に、眠りに身を委ねようとした時。 「それじゃあ、明日の夜、日没後に」 不意に脳裏を過った声に、再び覚醒しそうになったが。 敢えてそれを無視して、眠りへと気持ちを向ける。 ……吸血鬼の約束なんて、アテにならない。 多分、いやきっと、あの吸血鬼はもう来ないだろう。 吸血鬼とはそういうものなのだ。気が多く、何にでも直ぐに興味を惹かれてしまう。 今日は本気であっても、明日もそうだとは限らない。 それを知っているからこそ、あの約束を覚えておく気はなかった。 勿論、あの吸血鬼の名前も。 優しい眠りに緩やかに絡めとられながら。 そう思った、その自分の考えが。 実に甘かったという事を。 次の日、ナミは思い知ることになる。 |