時の歯車 第2話 4





 国王・という職務は、実のところ相当の激務である。



 朝は起床と同時に今日の予定の確認から始まり。
 食事を取りながら同時に様々な指示を出し。
 長時間に及ぶ国議、幾つもの面談、他国の大使や使者との会談、謁見、視察、時には城下に出向き直に国民に会い。
 そして、その合間を縫う様に堆(うずたか)く詰み上がった書類に目を通し決済を下さなければならない。
 寛げる時間は、就寝前の僅かな間のみ。
 家族とすら中々顔を合せられないような、そんな日々が普通だった。

 けれど、今日は少し違っていた。

 執務室で書類に目を通すコブラは、心無しか上機嫌で。
 理由に見当の付く侍従や侍女達は時折視線を合わせては笑みを交わしていた。
 署名の入った書類を侍従が慣れた手付きで纏めている。
 それに幾つかの指示を出して、イガラムはコブラの隣に立った。
「上機嫌ですね、国王」
 笑みと共に言われて、コブラは笑いを漏らす。
「いや、すまん。夕食の席を思い出してな」
「構いませんよ。確かにあれは久し振りに賑やかでしたから」
 イガラムにそう返されて、コブラは小さく笑った。

「ルフィ君1人いるだけで、城に光が灯った様だよ」

 コブラの言葉に、イガラムは大きく頷いた。


 久し振りに家族3人で取った夕食は、賑やかを通り越して宴の様で。
 病み上がりの筈のビビも大はしゃぎだった。
 本来なら控えるだけの筈のゾロやイガラム達まで巻き込んで。
 最後は大宴会になっていた。
 あんなに笑いながら食事を取ったのは、何時以来だろう。
 少なくとも、ルフィが城を空けている間は、1度も無かった。

 そこに居るだけで、自然と周りの雰囲気を変えてしまう存在。


 それ程の者を、コブラ自身もそう多くは知らない。


 ルフィが戻ってから、明るい表情をしている者の多さ。
 我が子の持つ天性の素質を、改めて目の当たりにした気分だった。

「……ビビが王位を継ぐ事になっても、補佐として王城に残って欲しいものだが」
 コブラの呟きにイガラムは複雑な表情を浮かべる。
「生半(なまなか)な事ではありませんぞ」
 解り切った返答にコブラも頷く以上の事はせず。
 代わりに新たな書類をその手に取った。

 例え継承権を放棄しても、王家の血が消えるわけではない。
 その血を持つ以上、2人が共にあることは火種を生み続ける。
 いっそ血が繋がっていなければと思った事もあるが、そうなるとルフィは王城に上がる事すら無かった訳で。
 どうして上手く行かないジレンマに悩まされた事は1度や2度では無かった。

 王家と呼ばれる場所の複雑さは、生まれた時から良く知っていたから。

 だからコブラはそれ以上の討論は求めず、書類に目を通し。
 それを知るイガラムもまた、無言で書類の整理を続けた。



 職務上の言葉だけが埋める静かな時が流れていく。



 ややあって、扉越しの控えめな声がその沈黙を破った。
 扉を少し開けて何かやり取りをしたテラコッタが、コブラの方へと進み出て来る。
「失礼致します、国王陛下。竜騎将閣下がお見えになっておられますが」
 その言葉にコブラは顔を上げて時計を見た。
 針の示す時刻に、納得を示す。
「ああ、もうそんな時間か。報告を受ける事になっている。通してくれ」
「承りました」
 一礼してテラコッタが下がる。
 イガラムは幾枚かの書類を手に取り、仕分けて侍従に渡す。
 コブラがペンを手に取った時に、テラコッタに先導されたソロが執務室へと入って来た。
 珍しく略装ではなく、正規礼装姿である。
 本人の性格にはない気遣いに、イガラムが小さく笑みを浮かべた。
 テラコッタに一礼して進み出たゾロが、机の前で踵を鳴らす。
 深く頭を下げ、口を開いた。
「御多忙中、お時間を割いて頂き誠に恐縮です」
 コブラが顔を上げ、静かに頷いた。
「構わぬ。こちらこそ呼び立ててすまない。飛竜の報告だったな。聞こう」
「承知致しました」
 頭を上げたゾロが、そのまま両腕を後ろに組む。
 傍を離れたテラコッタが、侍女達に指示を出しに向かった。
 コブラが書類にペンを走らせながら、口を開いた。
「今日の訓練は?」
「ラゼルディアルフィアスガイネルです」
「一番若い竜だったな……仕上がりはどうかね?」
 その問いにゾロは少し瞳を伏せた。
「まだ7割程と言ったところでしょうか。実戦に出すには早過ぎます」
 ペンを止めたコブラが顔を上げる。
 書類をイガラムに渡しながら首を捻った。
「7割……かね」
「はい。基礎体力と精神力の双方が不足しています。竜自身の気性もありますが、現状のまま実戦に出しても使い物にならないでしょう」
 瞳を上げてゾロは言い切った。
 コブラはその視線を受けたまま、新たな書類をイガラムから受け取る。
「ラゼルディアルは訓練を始めて1年程だと思ったが」
「1年と2ヶ月になります。あれは人を好みますので乗用への懸念は無かったのですが、何しろ集中力が続きません」
「……そうなのか」
 頷くコブラに、テラコッタがそっとカップを差し出す。
 軽く礼を言って、コブラは書類に目を落とした。
 ゾロが続けて口を開く。
「地上掃射は可能でしょうが、飛竜戦では勝ち目はありません。地上掃射にしても、ダウンバーストフレイル1撃で体力を消耗している様では心許ないです。もう半年は訓練が必要かと思われます」
 そこで軽く言葉を区切って。
 ゾロは微かに目を細めた。
「尤も、あれはまだ騎士を得ていません。実戦に出す為には、まずそちらが先となるでしょう」
 その言葉にコブラは軽く目を見開いて、大きく頷いた。
 例え訓練が終わっても、騎士が見つからない限り、飛竜は実戦には出れないのだ。
 そして、その騎士は、飛竜自身が選ぶ。
 こればかりは人間の側がどう気を揉んでも致し方の無い事だった。
「解った。引き続き頼もう」
「心得ました」
 頭を下げるゾロに、コブラは目を通した書類に署名しながら促した。
「他の竜達はどうかね?」
 その問いにゾロは再び姿勢を正す。
 イガラムは、コブラから受け取った書類を侍従に渡してからテラコッタと短く言葉を交わした。
「フェジーティエスエルディーネに付いては、一切の問題はありません。騎士ペルとの連携も変わらず良好です」
 コブラが満足げに頷いて、次の書類に署名を入れた。
 イガラムの側を離れたテラコッタが侍女達に声をかけている。
 幾つかの書類の束を纏めたイガラムは、それを侍従に手渡した。
「アディアティワイカーラフィサ、トーガザイナーデイナクタ、リーネィシグトマーヴァエルらも、皆、変調ありません。騎士アルタ及び騎士ログスとの連携についても同様です。セィアスベティアンレイゼンドの右翼末指の裂傷ですが、治癒まであと5日程といった所でしょう。治癒後の飛翔についてはまだ言明出来ませんが、恐らく差し障りはないと思われます」
 報告の間に、侍女達が礼を取って退出して行った。
 1人残ったテラコッタが、イガラムと言葉を交わす。
 コブラは数枚の書類を手に取るとその内容を見比べていたが、ゾロが続けた言葉に顔を上げた。
「カルアーセンティスヴェイルと騎士コーザの連携も上々です。まだ多少、騎士コーザに不慣れな箇所も見受けられますが、直ぐに馴染むでしょう」
「そうか」
 頷くコブラの顔に笑みが浮かんだ。

 コーザはルフィと共にビビの救出に奔走してくれた城下の少年の1人だ。
 あの1件が終わってから他の友人達と近衛隊に志願してきたのだが、1年前に飛竜の1頭に騎士として選ばれてしまい、竜騎士としての訓練も受ける事になったのだ。
 ビビにとっても特に親しい友人であり、そんな人物が竜騎士となった事にコブラは本心から喜んでいた。

 思わず笑みを零したコブラに、イガラムも僅かに口元を綻ばせる。
 イガラムから受け取った書類を整理し終えた侍従が、一礼して退出する。
 コブラは手にしていた書類を机に置いて口を開いた。
「騎士ヘルメッポについてはどうかね?」
 問われ、一瞬、ゾロの視線が止まる。
 瞳を僅かに伏せてから、ゾロは少しゆっくりと口を開いた。
「……ディオライワーゼルシェリアーラとの連携ですが、もう若干の時間が必要かもしれません」
「何?」
 驚いて顔を上げるコブラに、ゾロは真直ぐに視線を返した。
「飛竜の気持ちを読み切れていません。騎士ヘルメッポ自身が、もう少し飛竜の事を学ばなければ戦場では危ういです。ディオライワーゼルシェリアーラが彼に懐いているのが幸いですが……」
「……そうか」
 ゆっくりと息を吐いてコブラは頷いた。

 ヘルメッポはモーガンの息子である。
 父親の後継になるつもりだったヘルメッポにとって、自身が竜騎士に選ばれる事は予想外の事態だった。
 だが、選ばれた才能の持ち主と呼ばれる事に喜びはあったようで、竜騎士としての訓練は受けている。
 ただし、どちらかと言えば自尊心の強い性格が飛竜との連携を乱している事も度々だった。

 飛竜への気持ちを持たない者を、飛竜は選ばない。
 だから、ヘルメッポも飛竜に想いが無い筈はないのだが。



 ゾロは口を噤んだ。
 大体の事は見当が付く。
 ヘルメッポは自分の父親を尊敬している。
 そして、その父親は、自分を毛嫌いしている。


 簡単に推測が付く事だった。



「……まだ訓練を始めて半年程だからな。そう言う事もあるのだろう」
 不意に響いたコブラの言葉に、ゾロは視線を戻した。
 コブラは静かに笑んで、真直ぐにゾロを見ていた。
 穏やかで柔らかな笑みに、ゾロは無言で目礼を返す。
 一つ頷いたコブラはゆっくりと息を吐くと、椅子に背を預けた。
「……レフティアーシスレヴァイジアの様子はどうかね?」
 問いにゾロは少しだけ視線を外した。
 僅かな、戸惑うような沈黙が流れる。
 けれどそれも一瞬で、ゾロは直ぐに視線を戻すと言葉を返した。
「変わりありません。コロニーの『長老』として、他の飛竜達を纏めてくれています」
 そう答え微かに笑みを浮かべたゾロに、コブラは大きく頷いた。

 飛竜の生態についてはまだ不明な点が多いが、解っている事の一つに『コロニー』と呼ばれる集団を作って生活する・という事がある。
 コロニーは通常3〜9頭程からなり、とうやら血縁には関係なく気の会う飛竜同士が集まっているようだ。
 そして、5頭以上のコロニーには必ず、年長の飛竜が1頭存在していた。
 その年長の飛竜が他の竜達のまとめ役になっているらしく、その為学者達からは『長老』と呼ばれていた。
 不思議と、長老不在のコロニーは飛竜同士の諍いなどで解体してしまう傾向にあった。

 アラバスタ国軍には現在9頭もの飛竜が在籍している。
 コロニーとしては、最大の数だ。
 その竜達が争う事も無く一緒に暮らせている理由は間違いなく、レフトが長老として皆を纏めているからだろう。
 

 27年前、世界で最初に人を背に乗せて飛んだ飛竜は、人間達にとっても飛竜達にとっても、大切な存在だった。


「ならば良い。あれには少しでも長く元気でいて欲しいものだ」
 笑顔でコブラが言うと、ゾロも小さく笑みを返す。
「推定年齢35歳近い高齢です。野生下ならばそろそろ寿命ですよ」
「だからこそ、我々の手で長生きさせてやりたいのだよ。スカイピア戦線はあれの力無くして勝つ事など出来なかったのだから」
 コブラはそう言って、にこりと笑う。
 本心からの、優しくも暖かな笑顔。
 ゾロは小さく目を見開き、そして、柔らかく笑んで小さく頭を下げた。
 その様子を見守っていたテラコッタが、無言で一礼して部屋を後にする。
 軽く息を吐いたコブラが、少し考え込む様に片手を顎に当てた。
「ラゼルディアルを入れ、あと空席は2つか。埋まってくれるに越したことはないのだがな」
「竜騎士6名は他国に比べて十分に多いです。あまり欲を出しては手酷い目に会うかもしれませんよ」
「それもそうだな」
 苦笑してゾロがそう返すと、コブラも自嘲する。
 イガラムが部屋の一角に置いてあった椅子を手に取った。
 ゾロは改めて背筋を伸ばすと、踵を打ち鳴らした。
「飛竜についての報告は以上になります」
 その言葉にコブラは大きく頷いた。
「解った。苦労をかけた」
「恐れ入ります」
 深く頭を下げるソロの後ろへと、イガラムが椅子を置く。
 ゾロが頭を上げて。


 その表情が一変した。



 それまでの、『国王に雇われた傭兵』のものから、普段の……一個人としてのものへと。



「人払い、すまねェ」
 一変した態度と口調に、コブラもイガラムも動じる事はなく。
 コブラは自分の前に置かれていたカップを手に取ると、くるりと向きを変えゾロへと差し出した。
「いや、構わん。『本題』を頼む」
 ゾロは無造作に椅子に腰掛けると足を組んだ。
 イガラムが椅子から手を離し、コブラの横へと移動する。
 2人が並ぶのを待って、ゾロは口を開いた。
「……ルフィがガルドアから拾って来た情報だ」
 その声に、コブラが背を伸ばす。
 真直ぐにその目を見据え、ゾロが続ける。


「クロコダイルを確認した」


 射抜く視線を受け止める2人に、緊張と微かな怒気が走る。
 手を握りしめてそれを堪え、コブラは頷いた。
「そうか……まずはどうする?」
 コブラの横に立つイガラムは口を引き結び動かないが、その視線は険しさを増していた。
 問いにゾロは左の拳を頬に当てて答えた。
「もう少し様子を見る。どうにもらしくねェんだよな」
「というと?」
 ゾロの懸念にコブラは軽く身を乗り出す。
 少し首を捻り、ゾロが眉間に皺を刻む。
「目立ちたがり屋でハデな演出が好きなヤツらしくねェ。自分の生還を見せつけての宣戦布告なら、もっと大げさにやる筈だ。それが、あんな荒原地帯で、ルフィ1人だけに・ってのがどうにも腑に落ちねェ」
 その言葉にコブラとイガラムは顔を見合わせた。
 言われてみれば確かに、クロコダイルにしては地味な顔見せだ。
 何か、意図があると思って間違いないだろう。
 ゾロは溜息を吐くと頭を掻いた。
「……誰かブレインが付いたんだろうけどな。ったく、余計なマネをしてくれるもんだぜ」
 独り言のようなその呟きに、コブラは真剣な顔で頷く。
「言われてみれば確かに。解った、そなたの意志を汲もう」
「悪いな。目的ははっきりしてんだが、意図が読めねェってのもな……まぁ後1年は内乱に没頭してられるだろうから、出方を伺って構わねェだろう」
「1年とは?何故?」
 ゾロが明言した期間に、イガラムが不思議そうに理由を問う。
 その問いにゾロは実にあっさりと答えた。
「ウォーターセブンの市長選まで1年ぐらいだろ」
 当然の様にゾロが言った事に、コブラとイガラムは目を見開いて顔を見合わせた。
 コブラが怪訝そうにゾロへと向き直る。
「確かにそうだが、アイスバーグ氏の3期連続当選で問題ないのではないかね?」

 ウォータセブンは大陸の西端にある都市国家である。西海の彼方にある新大陸への玄関港としても有名だ。
 その都市国家を治めるのは市民に選ばれた市長であり、その任期は1期4年である。
 現市長のアイスバーグは2期目になるが、市民から絶大な人気を集めており、来年の市長選で史上初の3期連続当選を果たすだろうと言われている。

 こうしてアラバスタにまで伝わってくる程の前評判からすれば、来年の市長選に問題があるとは思えなかったが。
 しかし、ゾロは溜息と共に答えた。
「最近になって、何かといちゃもん付けて来るヤツがいるらしい。まぁ、対立候補が何とか蹴落とそうとして悪い噂を流してんだろうけどな。アイスバーグの成功を妬んでるヤツらも少なくはねェし、そっちを巻き込むとどう転がるか怪しい事になりそうだ」
 その言葉にコブラとイガラムは思わず顔を見合わせた。
 ウォーターセブンに関するそこまでの情報を、自分達は手に入れていないのだ。
 ゾロがそれだけの情報を持っていると言う事に、驚き以上のものを感じずにはいられなかった。
 当の本人は、呑気に首の後ろを掻きながら苦笑して続ける。
「こっちが内乱やってるから、向こうも政権争いなんかをやってられるんだろうけどな。まぁ、逆も言えるワケだから、皮肉なもんだけどよ」
「……それも確かにそうですな」
 イガラムが苦笑して頷く。
 その隣でコブラも複雑な表情で溜息を吐いた。
「6大国中5国までもがこうも荒れるなど、そうは無いのだが」

 大陸18カ国の中で、特に「大国」と呼ばれているのは6カ国だった。 
 ここ中央にアラバスタ王国、西方には都市国家ウォーターセブン、北方のドラム王国、南方の2大国スカイピアとシャンドラ、そして東には最大にして最古の国家である東方帝国。
 スカイピアは現王の後継を巡って世論が分かれていて、シャンドラは王室内部で意見が割れ、他国に干渉している余裕は無い。
 ドラムは3年前に新王ワポルが即位してから恐怖政治が続き、亡命者が後を絶たない状態だ。
 どの国も内部に火種を抱えている限りは、他国に手を出している余裕はないだろう。
 そしてそれはアラバスタにも言える事だったが。


 皮肉な事に、アラバスタが内乱状態にあるからこそ、他の国々も自国の問題に没頭していられるとも言えたのだ。


 その事はコブラ自身も良く解っていた。

 溜息を吐いての言葉に、ゾロが怪訝そうに眉を寄せる。
「5国?」
 そう問い返されて、コブラは顔を上げた。
「ああ、東方帝国以外は何処も……」
「はぁ?何言ってんだよ」
 半ば唖然と返されて、コブラの方が返す言葉を失った。
 隣でイガラムも首を傾げる。
「東方帝国は現皇帝が即位して以来、さしたる問題はない筈では?」
 現状では内乱に繋がるような情報は入っていなかったのだが。
 そんな2人の考えをゾロの溜息が打ち砕いた。
「幾ら何でも、即位60年を越えた皇帝がいまだに玉座に居座ってりゃあ、国民もヘンな気になってくるみたいだぜ。皇帝は真に選ばれた者なのか、それとも単なるバケモノなのかってな」
「な……んと?!」
 コブラもイガラムも驚きに目を見張った。
 東方帝国は大陸上で最も古い歴史を持つ大国で、「神の末裔」と言われる皇帝家への国民の支持は絶対とも言われている。
 その国家で、国民が皇帝を疑うなどあり得ないと思われていたのに。
「東方帝国内部でそのような意見が流れるなど……」
「だからって行きすぎもやべェって事だろ。さっさと譲位すりゃあいいモンをいつまでも玉座にしがみついてっから、とうとう皇太子の方が先に逝っちまったし。しかも、その次の候補が決まってねェときた。喪が明けたら荒れるぞ」
 イガラムが言葉を失い立ち尽くす。
 コブラは懸念を振り絞った。
「いや……皇太子には皇子が3人いたはずだが」
「全員、側室だ。正室は皇女しか生まなかったし、その娘も評判はイマイチだからな……。皇太子の弟達の方がよっぽど国民に人気があるし、その事を自覚してる。1人でも動き出せば他が黙ってねェだろう。現に名乗りをあげそうなヤツもいる。あそこの継承システムはややこやしいから、今の状態ならソイツらにもチャンスはあるからな」
 今度こそは、さすがのコブラも言葉に詰まった。
 東方帝国は大国だからこそ、その内情は滅多に外部には出ない。
 ましてや皇帝家の継承システムなど、国民であっても完全には把握出来ていない筈だった。

 それなのに、今ゾロが口にした事は明らかに内部を把握している人間でなければ解らない事であって。

 驚きに見開かれた瞳が自分を凝視している事に気付き、ゾロは軽く肩を竦めてみせた。
「随分前に……おれがまだ掛出(かけだし)だった頃に、世話になった時期があってな。あと今も何人か入ってる。悪ィが、これ以上は出せねェ」
 そう言って両手を開いてみせる仕草に、コブラは我に返った。
 遅れてイガラムも、その意図を理解する。
 微かに口の端を上げて、コブラは一礼した。
「いや、十分だ。すまない」
「構わねェよ。おれもはっきり言ってどこの国の諜報機関よりも、ウチのジジィ共の粛正の方が嫌なんでね」
 冗談めかしてゾロが笑う。
 だがその言葉が、決して冗談ではない事は明らかだった。

 傭兵の一族なのだから、敵味方に分かれて戦い合う事も珍しくはなかった。
 その状況下で彼らが持つ不文律は、『有益・不利益問わず情報は流出させない』。
 敵対国側の一族の者から受け取った情報を自国に漏らすと言う事は、自国の情報を相手国に流していると疑われても仕方がないと言う事なのだ。
 その懸念を防ぐため、一族内部で交わす情報を決して漏らす事はなかった。
 ロロノアが絶対の信頼を得る理由の一片が、そこにあった。

 ゾロがカップを手に取るのを見て、イガラムが声をかけた。
「煎れ替えましょうか」
 随分と時間が経ってしまった。中の紅茶はもう冷めているはずだ。
 ゾロは軽く笑って首を振る。
「構わねェよ。もったいねェ」
 冷めた紅茶を普通に口にする姿に、コブラが笑みを漏らす。
「まぁ、他国の介入を気にしないで済むうちに、終わらせたいものだが」
「ヤツらもそれが本音だろうな」
 カップをソーサーに置きながらゾロが返す。
 内乱中の国は他国からみればいい餌食だ。
 アラバスタ程の大国であってもそれは変わりない。
 いやむしろ、大国である程、国益をむしり取ろうと待ち構えている国は多かった。
 他の国が立ち直る前に、国勢を安定させたいと思うのは当り前の事だと思われたが。
「……むしろそこが狙いかもな」
「何?」
 ゾロが呟いた言葉に、コブラが身を乗り出す。
「今、何と……?」
 イガラムも怪訝そうに首を捻り、ゾロの言葉を待つ。
 あぁ・と小さく呻いてから、ゾロは少しゆっくりと口を開いた。
「あり得なくはねェけどよ……クロコダイルってヤツは小物のくせに野心家なんだよな」
「は?」
 思わず唖然とするイガラムに、ゾロは腕組みをした。
「普通の野心家なら、出来る事の限界を弁えてる。だからそれ程怖くねェんだが……小物の野心家ってヤツはやっかいなんだ。テメェの限界を解ってねェ」
 そう言って軽く息を吐いて。
「限界が解らねェから、普通じゃ考えねェようなバカな事も平気でやろうとしたりする」
 そこで言葉を句切り、真直ぐにコブラを見据えた。
 射抜く視線を、コブラは背筋を伸ばして受け止める。
「馬鹿な事とは、どのような?」
 ルフィと同じ色の瞳に動揺が走らない事を見定めて。
 ゾロはゆっくりと口を開いた。





「……大陸統一、だ」





 その言葉が2人の脳内にて理解されるまでは、若干の時間が必要だった。


「……ば、かな…!!」
 呻く様にコブラがそう言い。
 遅れてイガラムも我に返る。
「不可能ですぞ、それは!民族・風習・歴史・文化……全てが異なる国々を一つに纏めるなど!!」
「そうだ。そう考えるのが普通だろう」
 頷いてからゾロは顎を逸らした。
「だが、普通じゃ考えられねェ事をやろうとしちまうのが、小物なんだよな」
「……!!」
 再び言葉を失う2人に、ゾロは肩を竦めた。半ば同情から。
「この状態で真っ先に『軍事大国アラバスタ』が安定を取り戻したら、どこから攻め込むのも簡単だ。地理的にもここはほぼ中央だし……エンパライズ山脈越えをしなくちゃならねェ北方以外は攻め込むのに苦労はねェ。北は最後に残しても、他16カ国の大半を従えたあとなら、何とでもなる」
「そう簡単にいけば苦労はありませんぞ?!!軍事力での支配など、数年も保ちますまい!!!ましてや列強が大人しく従う訳が……!!!」
「だから、フツーに考えれば・な」
 噛み付いて来るイガラムに、大仰な溜息を吐くゾロを見て。
 コブラは机の上で拳を握りしめた。
「……もし、本気でクロコダイルがそんな事を考えているのなら」
 低い、這うような声にイガラムが弾かれた様に振り返る。
 そして、コブラの怒りを押し殺した形相に、息を飲んだ。
 最近では滅多に見る事の無い、この国王の本心からの激昂を浮かべた顔に。

「アラバスタは史上最悪の国家として名を残す事になる……!!!」

 語尾が、堪え切れない怒りに震えた。



 仮に一時の征服が出来たとしても。
 元々が力のある国々の寄せ集めである。
 内乱に乗じて虚を突いても、そんな支配が続く訳が無い。
 良くて数年で他国に支配される不満が溢れ、反乱が始まるだろう。
 それを押さえる為に必要なのは、力に寄る支配ではなく、寛容による統一。
 それぞれの国の持つ文化と誇りを許容しつつも制度に寄って大陸を一つに纏め上げる事だけだった。

 だが、クロコダイルがその手段を取るとは思えなかった。

 力尽くでの統一は必ず反発を招き。
 無理矢理一つに纏めた物が崩壊すれば、それはもう元に戻らない。
 国境線は乱れ、秩序は崩壊し、長く保って来た安定は失われる。
 失った以上の物を取り返そうと、どの国も躍起になるだろう。
 その元凶となるアラバスタは無事で済む筈も無く。
 大国の崩壊は、大陸全土に影響を及ぼすことになる。
 この混乱がどれ程続くかは、想定する事すら出来なかった。


 大陸統一など、何一つ益になる物は無いというのに。
 クロコダイルがもし本気でそんな野心を抱いていたら、最悪の未来が生まれてしまう事になる。
 たった1人の男の無謀な野心が、世界を崩壊させかねなかった。




 怒りに拳を震わせるコブラに、イガラムが声を掛けそびれて立ち尽くす。
 気遣う様に顔を寄せて、一言呼びかけて。
 コブラは応じる様に、1度身体を震わせてから、ゆっくりと長く息を吐き出した。
 イガラムが沈痛な表情で顔を伏せる。
 息を吐き切ったコブラが、微かにその身体を起こすのを見て。
 ゾロは静かに両肘をテーブルに付いた。
「……クロコダイルがそこまでのバカじゃねェとは思っとくけどよ」
「だがッ!!!」
 ゾロの言葉に、コブラは反射的に怒鳴りかけて。
 そして、言葉に詰まった。
 直ぐ前にあったゾロの顔に。

 その顔が浮かべていた、何時もの……口の片端を上げる、自負に満ちた笑みに。

 言葉に詰まったコブラの瞳を真直ぐに見据えてゾロは笑う。
「要はアイツがそこまで暴走する前に、おれたちが潰せば済む事だろ?」
「……!!」
 笑みと共に言われた言葉に、コブラが目を見開いた。
 ゾロは笑みを崩さずに大きく頷いてみせる。
 その視線には欠片の揺らぎも無い。
 色の薄い双瞳に浮かぶ、冴え渡る真直ぐな光。
「その為におれはここにいる」
 力の籠った声は、揺るぎない自信を備え。
 ただそれだけで、全ての懸念を払うようで。
「心配すんな」
 そう言って、顔を寄せる。
 深まる笑みに強まるのは、絶対の自負。
 揺るぎない自負はそれだけで大きな力となった。
 真直ぐな瞳のままに、力に満ちた声が言う。


「あんなヤツに友人の国を潰させやしねェよ」


 それは、信頼するに充分な言葉だった。


 
 












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