切り立った崖を昇るホーンシープの群れを見下ろして。 岩場にしがみつく様にして生い茂る高山植物の乾いた葉をざわめかせ。 向い来る鋭い峰を眼下に躱す。 そして、一気に開ける視界。 山岳地帯を抜けた先には、荒野が何処までも広がっていた。 「おー!見えたぞー!!」 彼方に見えるアルバーナの姿に、ルフィが歓声を上げた。 王都アルバーナは山岳地帯の裾野に位置する。 王城を最北部に構え、その下に貴族達の住む地区があり、そしてそれを囲む様に城下町が広がっている。 山裾の自然の傾斜を利用して造られた街は5段の階層からなり、その内部でも幾段もの段差を持つ。 侵入者防護壁を兼ねた城下壁が複雑に張り巡らされ、外敵の侵入を拒んでいる。 そして更に、王都全体を3重の城壁が取り囲んでいた。 山岳地の裾野を利用して造られた堅固な城塞都市は、見事な建築美を併せ持ち、見る者を圧倒する。 その姿は空から眺めると、また圧巻であった。 遠くにあったはずの王都が、見る間に眼下に迫って来る。 その迫力を楽しんでいたルフィが、ふと首を巡らせた。 きょろきょろと何かを探す。 そして、ゾロを見上げた。 「ソロ?どこで宿営してんだ?」 「あ?」 ゾロは眉間に皺を寄せてルフィを見下ろす。 「宿営って……今日はやってねェぞ?」 そう言われてルフィは目を見開く。 「へ?だっていっつも、城外に集まって訓練するだろ?」 「そりゃあ、戦術訓練の時はな。今日は飛行訓練だからその必要はねェよ」 怪訝そうに答えるゾロに、ルフィの頬が引き攣った。 「え?……じゃあ、今日、戻る先って……」 顔を強張らせて訊くルフィを、少しきょとんと見下ろして。 そしてすぐにゾロは、口の片端を上げて笑った。 「……竜舎、だな」 その返事にルフィは一瞬、石化して。 そして、凄まじい絶叫を上げた。 「降りるーーーーーーッッ!!!!」 それはもう、荒野の果てまで届きそうな声で。 「おお、おッ、降りるッ!!!!おれ、ここでいい!!降ろしてくれーッ!!!」 「もうムリだな。……城下に入っちまった」 叫ぶルフィにゾロは妙に意地の悪い笑みを浮かべて答える。 「じゃ、こっから飛び降り……!」 「いくらお前でもここから飛んだら死ぬぞ。そしたら、おれの責任問題になるんだろうなぁ」 「えええぇ?!!!あ!ウソップんとこ寄りたいんだけどッ!!」 「あのな、飛竜が城下町に降りれるワケがねェだろうが」 「いぃッ?!!え、えと!じゃあ……ッ!!!」 「……いい加減に諦めろ。もう城だ」 「ぎゃあああぁぁ!!!!」 もう既に目の前に迫っている王城の姿に、ルフィはまた絶叫を上げた。 ゾロが笑いながらその頭を軽く叩く。 ラゼルはゆっくりと城を巡る様に旋回した。 直ぐ側を流れる城の外壁に、ルフィは密かに決意を固める。 そして、ゾロに気付かれない様に、そっとベルトを外し始めた。 ……着地したら速攻で飛び降りて逃げよう。 そう固く決意して、息を飲む。 そんな事を考えていたから、窓辺によろめきながら駆け寄る少女の姿に気付かなかった。 少女は目と口を大きく開いて飛竜を見つめている。 その視線に気付いたゾロは、軽く笑みを返した。 竜舎は王城に隣接する施設である。 東の一角に、飛竜を休ませる為の建物と離着陸する為のちょっとした空間がある。 王の住む城に隣接して飛竜の暮らす場所を作っている・と言う事が、飛竜がどれだけ大切に扱われているかを物語っていた。 その竜舎に、ラゼルがゆっくりと舞い降りて来る。 兵士達が、わらわらと走り出て所定の位置に着いた。 大きな翼が風を抱きとめる様に弧を描く。 尾でバランスを取りながら、翼を僅かに動かして風を逃して。 両足が軽い地響きを立てて、地面へ降りた。 「……よし」 ゾロが軽く息を吐いて、手綱から手を離す。 それを見ると同時に。 「……今だッ!!!」 ルフィはベルトを外して飛び降りようとした。 ……のだけれども。 「どこ行く」 「ぅげッ?!!!」 行動は読まれていたらしい。 飛び降りようとした瞬間、ゾロが左腕でルフィの身体を捕まえていた。 しかも、ゾロが腕を回して来た位置は、ちょうど腹部である。 飛び降りようとした勢いに、引き止めようとした力が相乗される形で、思い切り鳩尾を強打してしまったのだ。 余りの衝撃に、一瞬、呼吸すら出来なくなり。 その間に、荷物よろしく肩に担ぎ上げられてしまって。 ゾロはそのまま、ルフィを肩に担いで鞍から飛び降りた。 それを待って、兵士達が駆け寄って来る。 その様子にルフィは慌てて背に落ちていた帽子を被り、更に顔が見えなくなるぐらい引き下ろした。 「やや、やべッ!!」 じたばたしているルフィにゾロは苦笑しただけで、降ろそうとしない。 その間にも駆け寄って来た兵士達は2人を囲んでしまっていた。 「お疲れさまでした、竜騎将閣下!」 「急な訓練でしが、大丈夫でいらっしゃいますか?」 「おや?そちらの方はどうされたのですか?」 ソロが肩に誰かを担いでいる事に気付き、兵士達が怪訝そうに声をかけようとした時。 不意にラゼルが小さく一声鳴いて、そのままゆっくりと倒れ込んだのだ。 どぉっ・と地響きを立てて地面に突っ伏してしまう。 そのまま目を閉じ、荒く息を吐いて。 その姿に、ゾロの視線が柔らかくなった。 「ちょっとムチャもさせたからな。……水をやってくれるか?15分休ませてから、竜舎に戻してくれ」 「了解しました」 指示に兵士達が動き出す。 ゾロはラゼルに歩み寄り、その額にそっと手を乗せた。 ラゼルが薄く目を開いてゾロを見る。 「よく頑張ったな。後はゆっくり休め」 軽く額を掻いてそう言うと、ラゼルが鈴の様な声を立てて、大きな頭をゾロへと擦り寄せる。 ゾロは優しく笑んで、その頭を撫でてやって。 その様子を見たルフィは、思わず声をかけていた。 「お疲れ、ラゼル!また乗せてくれよな!!」 つい、隠していた事も忘れて顔を上げてしまったので。 次の瞬間、兵士達の間にどよめきが起こった。 「お、王太子殿下ッ?!!!」 「し、しまったぁッ!!!!」 慌てて帽子を引き下ろしたが、既に時遅く。 ゾロが、あほ・と呟くのも聞こえたけれど、それに返す暇も無く。 「殿下ッ?!!!な、何故、こちらにいらっしゃるのですか?!!!」 「ど、何処からいらしたんですか、殿下ッ!!!!」 「どうして閣下の飛竜に同乗されてるのですか?!!」 「一体、何故、殿下が飛竜に……?!!」 「陛下にこの事は……!!!」 「飛竜に乗ってはいけないと、以前、陛下からその様に言われたのでは……!!!」 「大体において、今までどちらにいらしたのですかッ?!!!」 「ぅぎゃあああぁぁ!!!」 凄まじい勢いで兵士達から質問責めにあい、ルフィは増々帽子を引き下ろしてしまう。 「ちち、違うぞッ!!!!おれはそんなんじゃねェから!!!同姓同名の他人のそら似だーーーーッッ!!!!」 「……お前、それ説得力ねェから」 溜息を吐いてそう言うゾロに、兵士が向き直った。どうやらルフィよりは返答が得られそうだと判断したらしい。 「閣下、どちらで殿下と合流されたのですか?」 「そうですよね。確か、お1人で出られた筈でしたし」 兵士の問いにゾロは軽く首を捻って答えた。 「あぁ。荒野をうろついてたから拾って来た」 「拾っ?!!!」 その返事にルフィが弾かれた様にゾロへと顔を上げる。 「ゾロ!!!おれは落とし物じゃねェぞ!!!」 その怒鳴り声を気にも止めずに、ゾロは続ける。 「で、家出人は保護者に引き渡すのが道理だからな。そう思って連れて来た」 「家出人ーーーーッッ?!!!」 更に続いた暴言に、ルフィが絶叫を上げる。 兵士達も、思い切り返事に詰まってしまう。 「は…ぁ」 「いやそれはその」 「……まぁ、そうですが」 顔を見合わせている間に、またもやルフィが絶叫した。 「家出じゃねェぞ!!!ショコクマンユーの旅って言うんだ!!!!」 その台詞にゾロはがっくりと頭を落として。 「あー……。取りあえず、その言葉を知ってた事は褒めてやるから、意味、調べとけ」 溜息を吐いてそう言うと、ルフィを担ぎ直して兵士達に声をかける。 「家出人を保護者に引き渡して来るから、ラゼルを頼む」 「……あ!はい!!了解しました!!」 「だから、家出って言うなーーーッ!!!おれは家出じゃねェっての!!!!」 慌てて敬礼する兵士達を尻目に、ルフィは尚も叫び続ける。 ゾロは少し呆れた様に溜息を吐いて歩き出した。 「あのな。親の許可なく家を出てく事を家出って言うんだぞ。知らねェのか」 「ぅぐッ!!!」 一瞬、言葉に詰まったが。 それでも、ゾロの肩に手をついて身体を起こして、ルフィは反撃した。 「…それ言うなら、ゾロは迷子だろッッ!!!迷子に家出人って言われる筋合いねェぞ!!!」 「な…ッ?!!誰が迷子だ、誰がッ!!!!」 ゾロがぎょっとしたように振り返って怒鳴る。 勿論、ルフィも怯んだりはしないが。 「ゾロがだ!!!13歳の時にとーちゃんとはぐれたって言ってただろ!!!親とはぐれた子供は迷子なんだぞ!!!!」 「ふ…っざけんなァッ!!!あれは、おれがはぐれたんじゃねェ!!!親父の方が戻って来なかったんだよ!!!!」 「えー?!!!何だよそれ!!!とーちゃんのせいにすんのかよ!!!」 「そうだ!!大体、あのアホ親父には、目ェ放した隙に何処でもフラフラ行っちまうクセがあったんだ!!!それでおれがどれだけ苦労したと思ってる!!!」 「だけど結局はぐれたまんまだろ?!!親とはぐれてるのは迷子だ!!!!」 「うるせェ!!!迷子ってのは6歳以下限定なんだよ!!!!」 「じゃあ家出人だって15歳以下限定だぞ!!!!おれ、17歳だからな!!!!」 「精神年齢7歳児は黙ってろ!!!!」 「ひっでーーーーッッ!!!!ゾロの若年寄!!!!」 「いい加減にしろ、万年問題児!!!!」 城内へと歩きながら怒鳴り合っているので、その声は段々と小さくなって行き。 それでも城の反響で暫く聞こえてはいたのだけれども。 その様子を思わず硬直したまま見送っていた兵士達は。 声がすっかり聞こえなくなってから、ようやくぎこちなく顔を見合わせた。 全員が、お互いの顔に、激しい困惑の色を見出す。 聞こえてしまった、2人の会話の内容に。 アラバスタ王国第1王子にして、王位継承権第1位保持者と。 かの『ロロノアの一族』の1人にして、希有の才能の所有者である飛竜訓練師との。 そんな、『珠玉の人物』とも言うべき2人の。 ……余りにも情けない内容の怒鳴り合いに。 何だか、聞いてはいけないものを聞いてしまったような気持ちに駆られて。 一体、どうしたらいいんだろう・とお互いに目線だけで尋ね合っていたのだが。 ぽつり・と兵士の1人が呟いた。 「………………聞かなかった事にした方がいいんだろうか」 その一言をきっかけに。 兵士達は、ようやく動き始めた。 それぞれが、同じ事を胸の内に決意しながら。 ……そう。 聞かなかった事にしよう・と。 変わらず怒鳴り合いながら賑やかに王城の回廊を行く2人の姿を、皆、それぞれの表情で見送っていた。 微笑ましく見守る者。 眉をしかめて目を逸らす者。 鋼の精神で平常心を保とうとする者。 反応は大きく分けてこの3通り。 ルフィが城に上がって、4年が経っている。 2人のこの姿は、城内ではすっかりお馴染みになっていた。 ルフィが自分の出生を知ったのは、12歳の時だった。 ルフィは母親と2人で、このアルバーナの城下町で暮らしていた。 父親の顔は知らない。 ルフィがまだ産まれる前に、エルマルからアルバーナへ移住する旅の途中で命を落とした、と聞いていた。 最愛の夫を失い、知り合いの1人もいない新天地で、女手一つで我が子を育てていこうとする母親に、周りの人達はむしろ協力的で。 優しくおっとりとした母親との生活に、不満は無かった。 それに、年に数回母親の義兄が遊びに来てくれるので、父親がいない事をあまり寂しく感じた事は無かった。 ウソップやサンジ、コーザやカヤを初めとする友人達にも恵まれ、特に不自由を感じる事もなく、慎ましやかでも楽しく倖せにルフィは暮らしていた。 最初の転機は、12歳になる少し前。 それまで元気で頑張っていた母親が病で急逝したのだ。 そして数日後、国王からの密使として近衛総隊長イガラムがルフィの元を訪れて。 そこでルフィは、実は自分が現国王コブラの庶子である事を知った。 ルフィの母親は本当は、国王付きの侍女だったと言う。 そして、国王と想いを交わし、ルフィを身籠ったのだ。 だが丁度その頃、コブラには王妃との縁談話が持ち上がっており。 そのため母親は、自分の存在が王家の火種になってはいけない・と決意して、王城を退いたのだ、という。 コブラは母の行方を探し出し、母子共に自分の元へ迎えようとしたが、その申し出を母は固辞したそうだ。 だが今回の訃報を受けて、1人残ったルフィの身を案じ、こうして使いを寄越したのだ。 既に第1王女ビビがいる以上、王家の1員として迎える事は出来ないが、せめてイガラムの養子として王城に迎え入れたい・と。 コブラが示してくれた事は、現国王として最大限の愛情だと理解出来た。 けれど、ルフィはそれを断った。 話が急過ぎて、実感が湧かなかった・という事もあるが、それ以上に王城での生活は窮屈そうに思えたからだ。 城下町で自由奔放に育った自分に、そんな生活が出来るとは思えなかった。 今のままで十分だった。 ウソップとサンジには、ばかだなぁ・と散々からかわれたが。 ルフィにはむしろ自分の出生より、最近よく城下町に遊びに来る仲の好い女の子が、王女ビビその人だった事の方が驚きだった。 同姓同名の良く似た他人じゃなかったのか・と言ったら、気付け!と皆にツッコまれたが。 特に、変わりは無い筈だった。 ルフィはウソップの家に下宿させて貰う事になり、変わらない生活を送っていた。 ビビとは相変わらず親しかったし、異母兄妹だと解っても友人である事は変わらなかった。 だから、このまま変わらずに暮らして行くのだと思っていたのだが。 僅か、半年足らずで、事態はまた急変する。 身体を煩った王妃が療養の為に西域へと向う途中で、何物かに襲われ命を落とした。 従者達もほとんどが共に殺されたが。 その中で、王妃に同行していた王女ビビと、数人の従者の行方が解らなくなったのだ。 知らせはアラバスタ全土を震撼させた。 国軍は元より、国民の多くも必死になって探したが、行方は杳として知れなかった。 犯行声明も上がらず、他国からの介入も無く、誘拐なのか殺害なのかすら解らない。 行方不明どころか、生死すら不明。 そんな状況が半年以上続き、多くの人がビビの生存を諦めかけた頃。 ルフィは王城へと上がった。 今度こそ正式に、国王コブラの第1子として。 アラバスタ王国第1王子の座に即く為に。 批判され、非難され。 怒りや妬み、侮蔑の視線さえ受けて。 それでも譲れなかった。 国民に人気のあった嫡出の第1王女の失踪から、僅か半年で擁立された庶出の第1王子。 ビビの失踪への不安や失望が、怒りに変換されて自分に向くのは仕方が無いと思っていた。 それでも、この立場が必要だった。 元々、王位も王族としての生活も、興味は無い。 目的さえ果せば、何時だってこの座を降りるつもりだった。 ルフィが王城に上がった理由は、只一つ。 ビビを助け出す為に。 その為には、1民間人でいるよりも、王族である方が有利だから。 ただそれだけの為に、王族の立場を利用するつもりだった。 いつもより、雨期が長かった春。 ルフィは、13歳になったばかりだった。 |