時の歯車 4



 遥かな空を、長大な影が鋭く横切る。
 高空の蒼に映える白銀の閃光。
 その翼を一閃させ、長大な身体を翻す。
 もし地上から見上げている者がいれば、その見事さに見惚れた事だろう。
 飛竜が空を自在に駆け巡る姿は、昔から人々にとって憧れそのものだったのだから。

 長い尾を振って向きを変え。
 翼をすぼめ、一気に地表へと降下する。
 2度その身体を回転させ、尾を振り下ろすと同時に大きく羽ばたいた。
 急降下していた身体は、一瞬にして今度は急上昇を始める。
 2度・3度と翼を打ち振って、ラゼルは気流に乗った。
 その背で、鞍に付いた小さなグリップを握りしめていたルフィは、ゾロを仰ぎ見た。
 今は額当てを降ろしているから口元しか見えないが、それでもその表情がまだ厳しい物なのは解る。
「……次!」
 短い号令に、ラゼルが小さく鳴いた。
 そして、勢い良く羽ばたき、一気に加速する。
「ぅおッ?!!」
 急激な加速に思わず手が滑りかけ、ルフィは慌ててグリップにしがみついた。
 それでもゾロから容赦の無い声が振って来る。
「ルフィ!声!!」
「わわ、解ってる!悪かった!」
 飛竜の背で不用意な声を上げる事は、飛竜の集中を乱すから極力避ける様に・と言われているのだ。
 普通に飛んでいる状況でなら、多少叫ぼうが騒ごうが構わないが、今は訓練中である。
 戦闘展開の時は通常ではあり得ない様な飛び方もするため、飛竜にとっても神経を使うのだ。
 手綱の動きと僅かな言葉で、飛竜を駆る。
 それは、大陸全土でも僅か40名に満たない者達だけが持つ『才能』だった。



 飛竜は元々、山岳地帯に生息する生物である。
 体高3.5M、全長8M、最大翼長12Mの長大な身体に、全身を覆う固い鱗、頭部に3対6本の短い角を持つ。
 体色は多少の個体差はあるが、主に乳白色から灰褐色。
 前腕から進化した1対の翼を広げ、高空を自由に舞う姿は、古来から人々の憧れだった。

 飛竜がその巨体の割に人々に恐れられない理由は、哺乳類を捕食対象としていないからだ。
 そして、人懐っこくて好奇心旺盛な性質も、人々に好かれる要因だった。
 更に、知能も高く、人の言わんとする事をかなりのレベルで理解出来る。
 そんな飛竜に乗って空を飛んでみたい・と思う事は、ごく当然の成り行きだろう。
 だがそれは、中々成功しなかった。

 人が飛竜に乗ろうとすると、その場所は当然背中しかない。
 だが、飛竜にとって背は、最大の弱点でもあった。
 牙も尾も届かない背を取られる事は、飛竜には正に生死に関わる事なのだ。
 背に何か物が乗ると、飛竜はそれを払い落とそうとして大暴れしてしまうため、飛竜の背に乗ると言う事は不可能に近かった。
 では、人が乗る籠をぶら下げる事は出来ないか・と思われたが、それもやはり成功しなかった。
 その原因は、飛竜の持つもう1つの性質にあった。

 飛竜には、上記の性質を持つ反面、飽きっぽくて気まぐれな一面もあったからだ。

 仮に、籠を持たせる事が出来ても、飽きればあっさりとそれを捨てて何処かへ飛び去ってしまう。
 方向を指示しても、気が乗らなければ言う事を聞かない。
 人に害をなす訳ではないが、かといって言いなりにもならない。
 そんな飛竜に乗る事が出来るのは、最早おとぎ話か空想の中だけだと思われていた。

 それを、初めて実現させたのが、ここアラバスタ王国だった。


 今から27年前、初代竜騎士隊長ハトラが最初の騎乗飛竜レフティアーシスレヴァイジアの背に乗る事に成功したのだ。


 飛竜の背に乗る方法は、はっきりいって人間の側の根気と、飛竜自身の性質に頼る以外なかった。
 まず、鞍と人を安全な物だと認識させる事。
 それが出来る様になると、後は乗る人間との相性の問題だけだった。
 飛竜の本質が変わらない以上、飛竜に言う事を聞かせられるかどうかなのだ。
 そうでなければ、なるべく大人しくて言う事を聞きそうな飛竜を探すしかなかった。
 騎乗出来る様になるまで、手間も時間も経費もかかる飛竜が軍用となったのは仕方の無い事だった。

 アラバスタを皮切りに、他国でも飛竜を軍用に使い始める。
 現在、竜騎士部隊を持つ国は大陸18カ国中8カ国。
 そして、8頭の飛竜と6人の竜騎士を有するアラバスタが、最大規模だった。
 これに今ゾロが訓練しているラゼルディアルフィアスガイネルが加われば、9頭もの飛竜を持つ事になる。
 これは、他国の倍近い数だった。
 列国最大の竜騎士部隊と屈強な国軍を持つアラバスタは、トップクラスの軍事力を持つ国と言えた。



 空を切る翼を立て、大きく旋回する。
 肩越しに地上を見ながら、歓声を上げそうになるのをルフィは懸命に堪えた。
 飛竜の背に乗せてもらう爽快感は他とは比べ物にならない。訓練以外で乗せてもらった時は、いつも騒ぎ過ぎてゾロに怒られていた。
 だからついつい叫びそうになるのだが、今、声を上げたらこの友人は、殴って気絶させるぐらいの事は平然とやるだろう。
 手で口を塞ぎたいぐらいだが、そうするとグリップを離す事になり、鞍からずり落ちかねない。
 いくら転落防止のベルトをしていても、身体がずれてしまったら立て直すのは容易ではないのだ。
 懸命に奥歯を噛み締めグリップを握っていると、不意にゾロが頭に手を置いた。
「ルフィ、鞍に伏せてしっかり掴まってろ」
「ん?」
 言葉と同時に頭を押された。
 大人しく従い、鞍に身体を伏せる。
 ゾロも同じ様にして身を屈めて来る。
「仕上げだ。ダスタ渓谷に入る。声、出すなよ。舌噛むぞ」
「ん!」
 思わず目を輝かせて何度も頷いていた。
 視界には、山岳地にぱくりと開いた大地の裂け目。それがどんどん目の前に迫って来る。
 高山に地殻変動で出来た、巨大な渓谷地帯。複雑に入り組んだそこを、ゾロは訓練の仕上げによく使う。
 凄まじいスピードで入り、大岩を避け、岩肌を掠めながら飛び抜ける。
 迫力満点のその飛行を、ルフィはとても気に入っているのだ。
 迫り来る渓谷に怖がるどころか、わくわくする。
 その様子が手に取る様に解って、ゾロは苦笑した。
「……言っとくがな。コイツはまだレフト程、綺麗に飛べねェからな」
「んんッ!」
 忠告にもルフィは楽しそうに頷くだけ。
 ゾロは小さく息を吐いて、手綱を取り直した。
 渓谷はもう、目の前に迫っている。
「行くぞ!!!」
 号令と共に、ラゼルの巨体が爆風の様に渓谷へ飛び込んでいった。


 迫り来る岩壁をすれすれで躱す。
 大岩を飛び越え、振り下ろす翼が砂塵を巻き上げ、それが一瞬で彼方へ飛び去る。
 急旋回をして脇の細い裂け目へと飛び込む。
 極端に日差しが減り、一瞬、失う視界。
 暗闇に目が慣れるのを待っている暇は無い。
 風と音で全てを判断する。
 不意に迫る石柱に、ラゼルの身体が一瞬バランスを崩した。
「カウンターテイル!!遅い!!!」
 ゾロの怒号に慌てて翼と尾を使い、体勢を立て直す。
 岩壁を左に旋回して躱す。
「左翼をもっと伏せろ!!失速する!!!」
 すかさず飛ぶ声に、ルフィの方が思わず首を竦めた。
 ゾロは、とにかく容赦が無い。
「尾を使え!!高度が落ちる!!翼に頼るな!!!」
 ラゼルが尾を打ち振り、細かい砂礫が弾けとんだ。
 その身体が再び加速する。
 この狭い空間を翼だけで飛ぶ事は不可能に近い。
 翼と尾の双方を使いこなさないと、飛び抜ける事が出来ずに失速してしまう。
 岩壁が両側から迫って来る箇所を、翼をすぼめてすり抜ける。
 尾で身体の向きをコントロールしながら、左右の翼の角度を変えて開き、一気に旋回する。
 やや開けた場所に出て、大きく羽ばたき揚力を得る。
「……よし!いいぞ!!」
 ゾロが手綱を引き、ラゼルが再び降下を始める。
 近づいて来るのは、岩肌の一角に開いた横長の洞穴。
 幅はあるのだが、高さがまるでない。
 目を見張るルフィの口元に笑みが浮かんだ。
 大地が迫り上がって来る様な錯覚。
 岩肌に開いた空洞が一気に近づく。
 次の瞬間、その巨体が洞穴に飛び込み、風圧が爆音と共に砂塵を巻き上げた。
 羽ばたく余地の無いここでは、突入時のスピードを殺さずに尾を使い飛び抜けるしかない。
「翼をもう少し閉じろ!落ちるぞ!!」
 轟音にすら打ち勝つ声でゾロが怒鳴る。
 彼方に見える出口の明かりが大きくなってくる。
 もう少し・と思ったとき、ルフィの耳に荒い息遣いが聞こえて来た。
 ラゼルが息を切らしているのだ。
 思わず身を乗り出し、声をかけそうになった時。
「息を乱すな!!!集中が切れる!!!!」
「…ぃッ!!!」
 ゾロの怒号に、ラゼルだけでなくルフィまで身を竦ませた。
「後少しだ!!持ち堪えろ!!!」
 光はもう目の前。
 ラゼルの尾が小さく震え、高度を修正する。
 地面に転がる大岩を飛び越え、崩れかけるバランスを翼の角度で持ち直して。
 岩肌を掠めて体勢を整えた。
 光が視界一杯に広がる。
 一瞬のハレーション。
 そして。
「……抜けたぁッ!!!!」
 思わずルフィは叫んでいた。
 一気に開けた視界に、山岳地の険しい岩肌と空の蒼が飛び込んで来る。
 洞窟から飛び出して来た目には鮮やかすぎる程だった。

「お疲れさん!がんばったなぁ、お前!」
 手を振るとラゼルが視線だけで振り返った。
 微かに鈴が鳴る様な音がする。飛竜が歯と声帯を使って立てるその音は、甘えている時に良く聞かれる。
 労う様に首筋を撫でるルフィに小さく笑みを零すと、ゾロは手綱を緩めた。
「フラッター」
 その声にラゼルは数度羽ばたき、高度を上げた。
「右舷から風が来るぞ。翼を立てろ。昇る」
 ふわりとその翼が開いた。
 緩く弧を描く形で、左翼を低く整える。
 次の瞬間、強く吹き抜けた風がその身体を捉えた。
 風を受けた身体が、そのまま上昇気流に乗り、螺旋を描いて高空へと舞い上がる。
 白銀の甲冑が陽光を弾いて輝いた。

 暫く緩やかに上昇を続けてから、ゾロはラゼルに声をかけた。
「よし。戻るぞ」
 その言葉にルフィが勢い良く振り返る。
「って事は、合格か?!!」
 目を輝かせて振り返る顔にゾロは苦笑した。
 左手で額当てを引き上げながら答える。
「今日の所は、だな。まだ課題は山積みなんだしよ」
「でも、今日のはいいんだろ?!良かったなぁ、お前!鬼教官からOK出て!!」
 笑いながらルフィが言った一言に、ゾロは思わず仰け反ってから怒鳴った。
「…ッ!!だれが鬼教官だ!!!」
「ん?ゾロが」
 怒鳴られてもあっさりとルフィは返す。
 ラゼルは翼を打ち振り、アルバーナへ向う気流に乗った。
 その間にも、背中で間の抜けた怒鳴り合いは続く。
「別に普通だろうが!!訓練に手ェ抜くほど、お人好しじゃねェぞ、おれは!!!」
「それはそうだけど、でもゾロ怒鳴り過ぎ」
「な……ッ?!!」
「人間相手だと、たまに怯えるヤツもいるだろー?」
「それは、ソイツの気合いが足りねェんだろうが!!!」
「……ゾロを基準にするのはどうかと思うぞ?」
「どういう意味だ、そりゃあ!!!!」
「そのまんまだ!」
 余りにも自信たっぷりに返されて、ゾロは言葉を失う。
 ルフィはゾロを見上げたまま、嬉しそうに笑った。
 飛び過ぎる青空も、頬を撫でる風も心地良い。
 遥か彼方に連なる壮麗な峰々。
 眼下を灰色の岩肌が流れ去って行った。






「別に難しい事じゃねェ。要は、飛竜との信頼関係を結べるかどうかだ」

 以前ゾロに、どうやった飛竜に乗れるのか尋ねたら、そう答えた。
 飛竜は信用した相手なら、簡単に背に乗せる・と。

「飛竜は人の言葉を聞いて飛んでるわけじゃねェからな。人の心を感じ取ってるんだ」

 だから、飛竜を怖がったり怯えたりしている人は、絶対に乗せない。
 それと、飛竜自身に対して気持ちを持たない相手も乗せようとしない。
 飛竜を信じ、共にありたいと心の底から思う事が出来て初めて、飛竜を駆る事が出来る。
 戦場へ向う時などは、如何に殺気や高揚を押さえられるかが鍵となる。
 気持ちが高ぶり過ぎていると、飛竜にそれは不快感として伝わってしまうのだ。

 飛竜と信頼を結べた者だけが、竜騎士となれる。
 そしてそれは、人の側だけではなく、飛竜との相性にも依るものだったから。
 だからこそ、竜騎士となれる者は、天賦の素質の持ち主だと言われていた。


「そんな大げさなモノでもねェんだけどな。人間同士と変わらねェよ」


 そう言ってゾロは笑ったけれど。





 飛竜の背で風を切る心地良さは、1度味わってしまうと忘れられなくなる。
 空に包まれる様な感覚も、眼下を飛び去る風景も、地上では決して味わえない物だから。
 けれど、基本的に軍用として飼育されている飛竜に乗る機会は、滅多に無いのだ。
 だからルフィは、数少ないその機会を存分に楽しむ事にしているのだが。

 今日ばかりはちょっとそうはいかなかった様である。


「だから、どういう意味だって言ってんだよ、おれは!!!」
「えー?そのまんまだって。ゾロ普通じゃねェもん」
「おれのどこが普通じゃねェって言うんだッ!!!」
「どこもかしこも!色んな意味でゾロは普通じゃねェ!」
「……ッ!!そういうテメェも十分変だろうがよ!!!」
「えええ?!!!おれは大食いだけど、他は普通だぞ?!!」
「腹に大穴開けて走り回ってたヤツが何ぬかす!!!」
「あッ、あれは急いでたからだろ!!それにちゃんと押さえてたし!!」
「普通の人間なら死んでる所だぞ!!!」
「それ言うなら、ゾロだって似た様な事やってただろぉッ?!!!」


 怒鳴り合いはそれでも賑やかで何処か楽し気ですらあって。
 ラゼルは時々視線を寄越すだけで、特に気にせずに飛んで行く。
 これも、手綱を取る人間への信頼があってこそだという。

 『クラウン・ガード(王族特殊警護)』『剣術指南役』そして、『飛竜訓練師』。
 この3つが、今のゾロのアラバスタ国軍に於ける肩書きだった。


 『飛竜を駆る者』以上に貴重とされている、『飛竜を扱う者』。
 何億人に1人と言われる程の希有の才能。
 それを持ち得た、列国が目の色を変えて欲しがる人材だと言うのに。
 ゾロ本人には、呆れる程その自覚が無かった。


「まだ珍しいだけだ。じきに増えるさ」


 周りがどれだけ気を揉もうとも、ただそう笑い飛ばすだけで。
 王家が引き止める為にどれだけ無心しようとも、軽く受け流して。

 気が向けば何処へでも行ってしまうのだろうと、誰もがそう感じる程に。



「竜を扱う事が出来るのは風だけだ、と言う事だろうな」



 コブラが諦めと共に呟いた一言が、全てを表している様だった。









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