過ぎ行く日々に手を振って 2
  


「僕もテレビで見ただけだったんだよねぇ。1度行ってみたかったんだ〜」
「…………」
「本当にね、すっごく綺麗なんだよ〜〜〜♪」
「…………」
「幻想的なんてモンじゃないから。本当にこれを人が造ったのかって思うぐらい」
「………………」
「絶対にブルーも気に入るよ。あんなに綺麗なモノ<キングダム>にはなかったもん」
「……それはどうだか」


 <マンハッタン>の人通りは大分減って来ているとはいえ、まだ途絶えた訳ではなく。
 それなりにまだ賑わっている通りを2人は対照的な表情で歩いていた。
 満面の笑みを浮かべ嬉しそうに歩いて行くルージュと。
 その後ろを完全なる仏頂面で口を頑なに結んで歩くブルーと。
 しかもルージュはブルーの左肘を掴んで引っ張っているものだから。
 どう見ても「連行されている」としか言いようの無い姿に、すれ違う人達が時折笑いを零していた。

「あ・こっちの通りは赤と緑の光で統一してるんだね。こういうのも綺麗だよねぇ」
 右に折れる道を覗き込んでルージュが言う。
 ブルーは答えずに溜息を返した。
 正直に言って、疲れる。
 何を見ても「綺麗」というルージュの言葉に偽わりは無いのだろうが、こうも頻繁に聞かされると余りにも安っぽく聞こえる気がする。
 そうでなければ、ボキャブラリーが貧困過ぎはしないかと懸念してしまう。
 はしゃぐルージュから視線を外し、ブルーはふと空を見上げた。


 高空は遥か彼方まで街の光に覆われて、星々は微かな瞬きを繰り返すのみ。






 弱々しく明滅する天上の灯火に、微かに眉根が寄った。






 光で彩られた<マンハッタン>では、星は殆ど見る事が出来ない。
 常よりそうなのだから、光量の増すこの時期では尚更だった。
 天を貫く摩天楼から更なる高みへとサーチライトが放たれている。
 まるで星々さえも射落とす様に。


 『人々が空をも席巻したリージョン』


 <マンハッタン>を揶揄する言葉が脳裏を過った。






「……ちゃんと前を見て歩かないと、転ぶよ?」
 不意に響いたルージュの声に我に返る。
 驚いて視線を向けると、小首を傾げて自分を見ている紅の瞳に出会った。
 咄嗟に言葉を返し損なう。
 ルージュはちょっと口を尖らせると、むぅ・と小さく唸った。
「ブルー、今、違う事考えてたでしょ」
「……あぁ。悪い」
「もーぅ。直ぐに考えに取り付かれるんだからぁ」
 謝ると起こったような口調が応える。
 腕組みをして自分を見据える瞳に、一瞬、躊躇し。
「……すまない」
 非を認め改めて詫びれば、1拍の間を置いて、ルージュは肩をすくめて笑った。
「まぁ、ブルーらしいって言えばそうなんだけどさ」
 呆れながらもそう言って笑う。
 その態度に何処か安堵している自分が不思議だった。

「着いたよ・って言ったの。ここだよ」
 そう言うとルージュは、もう1度ブルーの手を引いて角を曲がった。
 半ば引っ張られる様に同じ角を曲り、ブルーは思わず足を止めた。
 だがそれは目を奪われたからではなく、単純な驚きからだったが。



 視界に飛び込んで来た光の洪水。
 一瞬、何が起きたのかと思う程の圧倒的な光量。


 瞬きを数度繰り返すと、ようやく対象物が視認出来る様になった。


 角を曲がった先は、大きな公園になっていたらしい。
 その入口から続く道を、光が彩っている。
 大きなアーチ状に組んだフレームが、道を包み込む様に建てられていて。
 そしてそのアーチには沢山のライトが付けられ、輝きを放っていた。
 白色で統一された光に混ざる違う色の煌めきは、アーチに付けられたオーナメントの反射光だ。
 よく見ればフレームにも様々な装飾が施されている。
 そんなアーチが数メートル間隔で何十機となく連なっていた。

 幅10メートル近い通りを包み込む光のトンネル。
 緩やかに湾曲する道の彼方へと続いている。
 アーチの光を受けて、公園の木々が色付いている。
 その中を舞い散る雪が淡い光を帯びていた。





 隣でルージュが感嘆の声を上げた。




「……綺麗だねぇ」
 うっとりとそう呟かれて、ブルーは困惑した。
 驚きはしたが、だがそういう感想には至らなかったから。
 返答に詰まっていると、ルージュが笑顔で振り返る。
「『ブライト・プロムナード』って言うんだって」
「『プロムナード』?」
 その名称に思わず問い返した。
 ルージュは相変わらず笑顔で頷く。
 そして、光のアーチへと歩き出した。

「過ぎ行く年を見送って、そして新しく来る年を迎える為の道なんだって」

 光の中でルージュが振り返って笑う。
 それでもブルーは思い切り眉根を寄せて見つめ返した。
「何だそれは」
「えー?言葉通りだよ。<マンハッタン>ではねぇ、皆、1年の終りに必ずここを通るんだって」
「……馬鹿馬鹿しい。時間がこの道しか通らない訳ではないだろうが」
 溜息を吐いて言い捨てるブルーに、ルージュはちょっと困った様に笑った。
「うーん、そう言う意味じゃなくてね」
 そう言ってブルーを手招きした。
 ブルーは一瞬、躊躇したが、尚も手招きをするルージュの姿に、諦めた様に従った。
 近くまで歩み寄ると、ルージュは頭上を指差した。
「あそこ、見て。アーチの天辺の所。あそこのデザインね、1棟ずつ全部違うんだって」
 そう言われて仰ぎ見る。まずは頭上のアーチを、そして、隣の物を。
 改めて見ると、確かにデザインが違っていた。
 そして気が付く。
 頂点に書かれた古代語の文字に。
「……『時の祝福のあらん事を』?」
「あ・気が付いた?それはね、全部に書いてあるんだって」
 ルージュも一緒にアーチを仰ぎ見る。2人の横を人々が通り過ぎて行く。
「このアーチ、全部で52棟あるんだって。でね、それにね、今年の出来事を1週間ずつ順番に描いてあるんだって」
 そう言うとルージュは1棟目のアーチをゆっくりと潜った。
 立ち尽くしたままのブルーを振り返る。両手を後ろに組んで、身を乗り出すようにして笑いかけた。
「<マンハッタン>の人達は、この道を大切な人と一緒に通って、今年1年を一緒に振り返るんだって。そして、この1年を一緒に過ごせた歓びを分かち合って、そしてまた来年も一緒に過ごそう・って誓い合うんだって」

 微笑むルージュの周りを光の欠片が舞い散っていた。

「ここはその為の道なんだよ」



 ……まるで、祝福のように。



 小さく息を吐いて。
 そしてブルーは納得した。

「成る程、な。そういう考えがあると言う事は解った」
 そんな物言いでも、ルージュは嬉しそうに破顔する。
 そしてブルーに右手を差し出して来た。
「じゃ、行こう?僕達には本当に今までと全然違う1年だったからねぇ」
「……そうだな」
 つられる様に歩を進めて。
 それからブルーは首を傾げた。
「だが、これは他の物とどう違うんだ?」
「え?」
 いきなり問われて、ルージュが驚いた顔をする。
 そのルージュを見遣りながら、ブルーは言葉を続けた。
「お前は違うと言ったが、これと他の光の装飾と、何が違うんだ?」
 怪訝そうに訊かれ、ルージュは思わず目を見開く。
 むしろ不思議そうにブルーに問い返した。
「だってこれ、全部、人が造ったものだよ?」
 その返答にブルーの方が首を傾げた。
「……見れば解るが」
「えー・と、だから、ね。ブルーは、木は飾り付けをするよりそのままの方が綺麗だって言ったでしょ?」
 それは事実なのでブルーも認める。
 ブルーが頷くのを見て、ルージュは更に言葉を続けた。
「だから、ここに来たの。これは全部、人が造り上げた物だから」
「そういう事なら、同じような物は街中に幾らでもあったが」
「うーんと、でも、それだけじゃなくてね」
 街中に溢れるイルミネーション。
 確かに、街路樹や庭木に飾り付けた物だけではなく、モニュメントやオーナメントも沢山あった。
 ルージュは頭を掻く。
 それから、アーチを示す様に両手を広げた。

「これはやっぱり、特別な物なんだよ。だってこれは全部、誰かの為に造られた物なんだから」

 そう言ってもう1度、アーチを見上げ目を細めた。
「これは全部、デザインする人がいて、制作する人がいて、ここまで運んで来た人がいて、維持している人もいるんだよね。で、そんな人達みんなが、『誰かの為に』って造った物でしょ。このプロムナードを訪れた全ての人達が、倖せな気持ちになれるように・って」
 ブルーも同じ様にアーチを見上げる。
 微かに眇められた瞳にも光は舞い降りる。
 隣でルージュも同じ光を浴びていた。
「僕はね、誰かが誰かの為に造った物は、全部、凄く綺麗な物だと思うんだ」
 静かにそう言って、そしてルージュは微笑む。

 ……それは本当に倖せそうな顔で。


「だからこれは、本当に特別に綺麗な物だと思うよ」



 そう語る声は、穏やかな優しさに満ちていた。




 隣の声を聴きながら。
 舞い降りる仄かな煌めきを見つめながら。
 自分達を包み込む灯火の温もりを感じながら。
 ブルーは静かに空を見つめていた。

 誰かが誰かの為に造った光に籠る想いを感じながら。





 誰かに想われている気持ちに包まれている・と感じる事自体が、初めてだった。





 光に包まれた彼方に、星々は確かに霞んでいるけれど。
 でも、その光自体が星にも負けない煌めきで、世界を照らしていると解ったから。







 胸の奥底に、その光から灯された温もりがあるように感じた。







「…………そうだな」

 アーチを見上げて、ブルーが静かにそう呟く。
 それをしっかりと聞き止めて、ルージュは振り返って。
 そして目を見開いた。

 見上げるブルーの表情の柔らかさ。
 瞳を僅かに細めて。
 口元に微かな笑みの形を浮かべて。


 こんな穏やかな笑みを浮かべるブルーを見るのは、間違いなく初めてだった。


 目を見張っていると、いつの間にか何時もの表情に戻ったブルーが振り返る。
「行くんじゃなかったのか?」
「え?あ!うん!勿論!!」
 慌てて頷くと、改めて連れ立って歩き始めた。
 行き過ぎる光の記憶。アーチの下で立ち止まって出来事を確認する度に、その時の感情まで蘇る。
 1つ、また1つと思い返していれば、<キングダム>から独立して過ごしたこの1年が、どれだけ目新しい事の連続だったかを改めて実感する。
 知らなかった事。知識でしか理解していなかった事。理解していたつもりでも肌では知らなかった事。
 驚きと戸惑いと喜びの連続だった様に思える。

 それでも、2人でそんな1年を過ごして来たのだという事実が、何よりも嬉しかった。

「ね、ブルー。うちも飾り付けしようね」
「急に何だ?」
「<クーロン>式の新年の迎え方、ライザから教わって。きちんとやろうねー」
「……面倒臭い」
「ダメだよ。ちゃんとするの。そしてね、また1年間、2人で一緒に倖せに暮らせます様に・ってお願いするんだよ」

 ブルーが戸惑った顔で黙り込む。
 そんな表情も、昔と違うと実感出来て嬉しかった。
 一緒に暮らし始めた頃なら、「勝手にやれ」の一言で切り捨てられていただろう。
 けれど今はちゃんとこちらの気持ちも汲もうとしてくれている。


 過ぎ行く時は確かに変化をもたらしてくれたから。



 未来の事なんて、本当は何も解らなくて。
 でもだからこそ、願いの成就を祈るのだろう。
 流れ行く時を止める術は無いのだからこそ。
 未来で今を後悔しないように全身全霊で生きるのだろう。



 過ぎ行く日々を笑顔で見送れるように。
 戻らぬ日々へと手を振って笑える様に。



 




23. DEC., 2007

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「プロムナード(promenade)」基本的には散歩道や遊歩道のこと。
あと、舞踏会での紳士淑女の入場のことも言います。
でも有名なのは、アメリカの高校での卒業記念ダンスパーティの事ですか。
ブルーがこの名称に疑問を感じたのは、2番目の意味で捉えたからです。
確か、神戸の方でこういうイルミネーションをやってたような……気がしましたが。
うろ覚え。ごめんなさい、神戸の人達。

星が見えるのに雪が降ってますが。
天気雪ではないのです。
この時期<マンハッタン>では、毎晩、人工的に雪を降らせるのです。
リージョンスフィアの上層に水蒸気を散布して、都市部に淡雪が降る様にしているのです。
<マンハッタン>は150年程前に造られたばかりの、まだ新しい都市な上、
最初からトリニティの一端を担うために造られた人工都市であるため、非難される事もあるのです。
大地が殆どなかったリージョンに、トリニティの為に空に造られた都市。
……まぁ、政治は色々と面倒くさい物ですから。

ええ・と、私が更新してなくても、作中では時間が経ってますw
双子が<キングダム>から独立しようとしたのが、去年の秋。9月の事。
その後、<キングダム>と様々な交渉があり、手続きやら何やらで時間がかかって。
で、晴れて一緒に暮らし始めたのが今年の初め頃になります。
なので、落ち着いて迎える年の瀬は、今年が初めてなのですよ。
彼らにも1年。色んな事があったようです。
きっと来年も、色んな事が起きるのでしょうね〜。



2007.12.23





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