そして時は流れ行くけれども 上
  





 眼前には、海。
 頭上には、空。
 包み込む、風。
 過ぎ行く、雲。
 鳴り響く、潮騒。


 眩しくて、穏やかで、どこまでも綺麗で。





 だから、ちょっと、泣きそうになっただけ。










「……困ったなぁ」
 呟きを波が拾う。
 まだ足下の砂は熱いぐらいだけど。
 でも確かに、陽は傾き始めていて。
 真っ白だった雲が、少しずつ彩りを帯びて来ていて。
 夕暮れが近い事が良く解った。


 波打ち際から少し離れた砂の上に座り込んで、アイコは溜息を吐く。
 目的地はもう見え始めている。
 ……まだ距離はあるけれど。
 いつもなら走って行けただろう。
 けれど、今はそうはいかなかった。


 久し振りに家族で来た、海。
 毎年必ず、夏には来ていたのに。
 去年は来れなかった。
 ……来たくても来れない事情があった。
 まだ、思い出すには辛い事件に巻き込まれていたからだ。
 監禁されていた期間は、実際には1年に満たなかったと言うけれど、実際にはそれ以上に感じた。
 永遠にこの部屋から出してもらえないんじゃないかとすら思った。
 ようやく助け出されてからも、暫くは病院とカウンセラーに通い続けて。
 マスコミはIRPOが規制をかけてくれたお陰でそれ程うるさくは無かったけれど。
 でも、世間の好奇心までは防げなかった。
 その煩わしさも、最近になってようやく落ち着き始めて。
 そして、久し振りに来た、海。
 海水浴にはちょっと早い、そんな時期の海。
 でもそのお陰で人影はまだまばらだったから、兄と2人で思い切り遊べた。
 こんな風に何もかもを忘れてはしゃいだのは、久し振りだった。
 久し振りすぎて。
 ……少し、はしゃぎ過ぎた。

 はしゃぎ過ぎて……思い切り、足首を捻ってしまったのだ。


「兄妹そろって、運動神経は抜群よね」
 幼い頃から、周りの人達にはそう言われて来たし、自分でも運動には自信があった。
 実際、体育では5以外の成績を見た事が無いし、運動会でも上位3位から落ちた事は無い。
 それなのに、足首を捻るなんて。
 とんでもない失敗をしてしまったようで、凄く恥ずかしい。
 出来れば誰にも知られたくないけれど……今はそんな事を言っている場合じゃないだろう。
 母と兄との待ち合わせ場所の海の家までは、まだあるのだ。
 いつもなら走って行ける距離。
 でも今は、こうして休み休み行くしかない。
 少し歩いただけで、足首が痛み出すのだ。
 痛みが引くまでは、座って休むしかなかった。
 溜息を吐いて、足下へ視線を向ける。
 今、履いているのは、履き慣れた普段用の靴ではなく、今日の為に新調したオレンジ色のサンダル。
 その鮮やかな色を目にしたとたんに、耳に今朝の兄の声が響いた。

『アイコ?!お前、そんなきゃしゃなの履いてく気かよ!!いつものにしろよ!旅行に新品のクツなんて、履いてくもんじゃねぇぞ?!!』

 兄との言い争いの末、結局自分の我が侭を通したのだが。
 それをこんな形で後悔する事になるとは思わなかった。



 真新しい、オレンジ色のサンダル。
 華奢な造りのそれは、ちょっと大人っぽく見えて。
 久し振りにみんなで出掛けるんだからオシャレもしたかったし。
 それに、これからは自分だってもっと大人になって、家族を支えてかなくちゃ、とも思ったから。
 ……だから、頑張って履いてみたのに。


「…………こんなんじゃ、全然じゃない」


 ポツリと呟きが漏れた。





 母はパートに出始めた。
 兄はバイトをしながら、シップの2級整備士の資格を目指して頑張ってる。
 自分も何かやりたかったけど、母にも兄にも止められた。
 新聞配達とかなら出来ると思ったんだけど……。
 けれど、2人とも、声を揃えて言った。

「アイコのやるべき事は、ちゃんと学校に行って、勉強して、友達と遊ぶ事」

 って。
 
 



 それだけじゃイヤだったから。

 家族なんだから。

 少しでも力になりたかったし。

 一緒に支えて行きたかったのに。


 …………これじゃあまるで、自分だけが『 お荷物 』みたいで。


 だから。

 頑張って、早く大人になりたかった。





 それなのに。







「…………こんなんじゃ、全然ダメじゃない」








 小さな呟きは、潮騒が静かに流して行った。















16th. JUL., 2007


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アイコちゃんの視点です。
場所は<オウミ>。
リゾート化されてる所以外にも、こういったフツーの海水浴場なんかもあります。
小此木兄妹の、母方の実家があり、毎年夏には帰省していた・という設定です。
父も少しだけ時間を作って、一緒に来ていたのです。

子供は。
大人の思いもしない所で頑張ってるのです。
それに気付ける大人であれればなぁ・と思う様になったのは、最近の事。
大人で居るのも難しい事です。



2007.7.16





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