鬼と少年〜人の戯事〜










 もしかしてこれは、おれのじんせいで『さいだいのなんかん』ってヤツなんじゃないのか。







 目の前にででんと積み上げられた『それ』を見て、ルフィは本気でそう思った。
 いや実際には、10cm四方程度のそこそこの大きさの木の入れ物と、その中に軽く小山を作っている薄茶色の丸い小さな球状の物に過ぎないのだが。
 けれど、今のルフィにはそれは目の前にそびえ立つ超え難い試練の壁そのものに見えていた。
 眉間に皺を寄せ、口をへの字に結んで、拳を握りしめ。
 そんな苦悩の表情で、ルフィはそれを見据えている。
 耳の中では、隣に住む幼なじみのナミの声が響いていた。

「いーい?今年はおじさんもおばさんもいないんだから、あんたが1人でガンバらないとダメなのよ」

 母親のベルメールと一緒にやってきて、夕飯とこの『難関』を置いて帰ったナミの声が頭から離れない。
 幼い頃から……というか今もまだ幼いのだが、とにかく、産まれてから1度たりとも口では勝てた事の無いナミにそう言われては、逆らう訳にはいかないと思うのだが。
 でも、実際、今のルフィに『これ』はとんでもない大問題だった。
 世間一般から見れば、別段大した事の無いものではあったが。


 目の前に置かれた物は、升(ます)とその中に盛られた大豆。


 そう、今日は2月3日。
 つまり節分であった。





 それがどうして大問題なのか・というと。





 ルフィの両親は仕事が忙しく、家を空けがちだった。
 それを寂しいと思わなかったのは、隣に住むナミの家によく出入りしていたからだったし、近所に祖父や従兄のエースもいたからでもあった。
 そして、もう1人。
 ルフィだけが知る『家族』がいたから。
 だから、まだ小学生のルフィでも、1人で留守番していても平気だったのだ。

 けれど、その『家族』と言うのは。


 じっと見据えていた豆の山から目をそらして、ルフィは声を上げた。
「ゾロー?いるか?」
 くるりと視線を巡らすが、返事は無い。
「ゾロ?なぁなぁ、いねェの?」
 別にゾロが天井に住んでる訳では無いが、どうしても上を向いて呼んでしまう。
「ゾーーローーーーー?」
 呼ばなくても居る時は勝手に出てくるから、ここに居ないという事は留守なんだろうが。
 ゾロが居ない事に更に困って、ルフィは大きく溜め息を吐いた。
 もう1度、豆の方へと視線を落とす。

 節分の、豆まきのためにベルメールが用意してくれた、大豆の山。
 恵方巻と夕飯のオムライスとハンバーグと一緒に置いていってくれたのは、10分程前の事で。
 大好物の夕飯も、恵方巻も嬉しいが、その前にこの『難関』を済ませなくてはいけない。
 『豆まき』という、大難関を。
 豆まき自体は嫌では無い。去年はエースと2人でやったが、最後はエースに散々豆をぶつけられて痛い思いをした。まぁ、いい思い出だ。
 今年は両親が居ないしエースも来れないから、ルフィ独りだと言う事も大した問題ではない。
 『豆まき』をする事そのものが、問題なのだ。

 豆を見据えたまま、口を尖らせる。
「……豆まきって、オニたいじなんだよなぁ」
 そのまま恐る恐る手を伸ばして、豆に触れ、慌てて引っ込めた。
「オニを追い出すために、やるんだよな……」
 呟くと両手を握り締める。
 眉間の皺が深くなり、瞳に泣きそうな色が差した。

「…………豆まきしたら、ゾロ、出てっちゃわねェかなぁ」

 そう呟いたら、瞳に涙が込み上げて来た。
 『難関』とは、その事。




 ルフィだけが知る、もう1人の『家族』。
 ゾロは、この土地に住んでいる鬼だった。




 初めて会ってから、そろそろ1年。
 家の中に知らない人が居た事も、その人の頭に角が生えていた事も驚きだったけれど。
 不思議と怖さは何も無くて。
 むしろあっさりと懐いてしまった。
 ここに800年程前から住み着いていて、ルフィの家系をずっと見て来たらしい。
「お前んち、面白いヤツが多いからな」
 そう言って頭をくしゃくしゃに撫で回した手は、大きくて暖かかった。

 金棒の代わりに真っ白な刀(正式には太刀という)を持っていて。
 ナミの家のヒナ人形みたいな変わった服(これも正式には直衣という)を着ていて。
 頭の両側から生えた角は細長くてくるくる巻いていて、まっすぐ上に向いて伸びていて。
 絵本の鬼とは違っていたけれど、それでも鬼だと言っていた。



 鬼なら、『豆まき』したら出て行っちゃうんじゃないのか?



 豆まきはしなくちゃいけないけど、ゾロが出て行くのは嫌だ。
 そんな2つの考えの間で、ルフィは板挟みになっていた。

 それは本当に、小学校1年生のルフィにとっては『じんせいさいだいのなんかん』だった。




 悩んでいても、目の前の豆の山が消えてなくなる訳は無く。
 何度も伸ばしては引っ込めていた手を、ルフィは漸く伸ばし直した。
 恐る恐る・と言った風情で、升を手に取る。
 ゴクリ・と大きく息を飲み込んで、ルフィは豆を手に取った。
 ……ほんの数粒だけだったけれど。

「…………お、オニ、は、そとぉっ」
 声を振り絞って、豆を投げる。
 本当はやりたくないけれど。
 でも、やらないと悪いオニが家に居座って、みんなに迷惑をかけるから。
 ……ゾロは、悪いオニじゃないから、多分、ダイジョウブ……きっと。
「ふくは、ウチ!」
 これは大きな声で。
 福は楽しい事や嬉しい事だから。これはいっぱい欲しいから。
 だけど。
「おー……、オニは……、そと」
 豆がパラパラと床に転がる。
 ……本当に、ゾロ、出て行かないだろうか。
 確かにゾロは悪いオニじゃないけど、でも。
「ふくはウチィッ!!」
 反動の様に大きな声が出た。
 豆を手に取る。……2粒だけ。
「オ……ニはぁ、……オニ、は…………」
 そと・って言って、いいのかな。
 オニを追い出すための豆。
 ゾロは悪いオニじゃないし、それに強いから。
 豆ぐらいじゃ追い出せないとは思うけど。
「そとぉ……」
 2粒の豆が床に落ちた。
 そのままルフィも俯いてしまう。
 唇を噛み締めて。瞳を震わせて。
 升を持つ手も、小刻みに震えている。
「ふくはウチーーーッ!!!」
 福も驚いて逃げ出すんじゃないだろうか・という様な、ヤケっぱちの声。
 叫んだら弾みで、涙が溢れ落ちた。
 慌てて拳でそれを拭う。
 歯を食いしばって豆を摘んだ。
 たった一粒だけだったけれど。
 その一粒を投げようとして。

 そこで手が止まる。

「お、おに、は……」
 声が出ない。

 豆まきしないと、悪いオニがくる。
 それはイヤだ。絶対にイヤだ。
 でも。

「お……に、はぁ…………」
 視界がぼやけて、慌てて目をつむった。
 食いしばった歯の間から、微かなうめき声が漏れる。
 豆を持ったまま、止まった手。

 豆まきしたら、ゾロは出て行く?
 悪いオニじゃないけど。
 強いけど。
 でも、もしかして怒るかもしれない。
 怒って、出て行っちゃうかもしれない。


 そんなのは、絶対にイヤだ。


「う……ううぅ……ッ。お、オニは……ッ」


 オニは、追い出さなくちゃダメだ。
 でも、ゾロが出て行くのはイヤだ。


「おー、に……、は……ッ」



 息を飲んで。
 歯を食いしばって。

 そして。






「オニは外だけど、ゾロはウチーーーーッッ!!!!」







 思わず叫んだその声に。

 後ろから笑い声が答えた。





「ハハハッ!なんの遊びだ?ルフィ」





 実に楽しそうな、ゾロの笑い声が。











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