夢のような日々・その1
  


 ぽふぽふぽふぽふぽふぽふ。
 突然、そんな音が響き出したのは、ある日の長閑な午後の事。

 ぽふぽふぽふ。ぽふぽふ。
 奇妙に呑気で間の抜けたその音は唐突に鳴り響き始めて。

 ぽふぽふ。ぽふ。ぽふぽふぽふぽふぽふ。
 そしてそれから時々止まりながらもずっと鳴り続けている。


 長閑で呑気な昼下がり。
 今日は<クーロン>にしては天気も穏やかで。
 窓辺のテーブルで読書なぞするにはうってつけの日和だったのだけれども。


 ぽふぽふぽふぽふぽふぽふ。ぽふぽふぽふぽふぽふぽふぽふぽふぽふ。

 ……奇妙で奇怪で耳慣れない、その上異様に能天気なその音が、そんな雰囲気をあっという間にかき乱してくれた。



「………………おい」
「なーに?」
 声をかければ明るい返事。その瞬間、音が止まる。
 そして。

 ぽふぽふぽふぽふぽふ。

 ルージュが寄って来る……音と共に。
 視界に入る物体に、ブルーは思い切り眉をしかめた。
 そのまま『それ』を凝視してしまう。
 視線は下。ルージュの足元に固定されたまま。
「どしたの?」
 片や、きょとんとしてしまったのはルージュの方。
 ブルーに呼ばれて来てみたはいいが、当のブルーはなんだかじっと足元を見て硬直してるし。
 はて何事・と首を傾げて、視線を追って視界を巡らす。
 同じ様に下を向いたルージュの目に、自分の足が入って来た。
 そして思い至る。
 思わず手を打った。
 同時に、ブルーがようやく口を開いた。
「…………何だ、それは」
「ああ!コレ?すごいでしょ!!」
 ブルーが思い切り不快そうに眉間に皺を刻んで問うのと、ルージュが全開の笑顔で嬉しそうに声を上げるのは全く同時だった。

 奇妙な音の源で、ブルーの怪訝な視線の原因は、ルージュの足に付いている『道具』。
 普通なら靴があるべき箇所にルージュが履いていた物は、何をどう見てもフロアモップだった。

「……何だってモップを履いて歩いてるんだ、お前は」
 あり得ない物を見た・と言わんばかりに身を引くブルーに対して。
 ルージュは嬉しくて堪らない・と言いたげに身を乗り出して喋り出した。
「違うよー!コレはねぇ、便利グッズなんだよー。その名もずばり『お掃除スリッパ』だって!!」
 余りのネーミングにブルーの身体がぐらりと傾ぐ。
 気付かずにルージュは高揚して喋り続ける。
「雑貨屋さんで見つけたんだけどね、アイデアだよねー!これを履いて歩くだけでモップがけが出来ちゃうんだよぉ」
 わざわざ足を持ち上げてまでそのアイテムを見せてくれる……が。
「感動しちゃったから、即、買って来たんだー。で、今日が初お目見えってワケ!」
 そう言ってパシリと自分の足首を叩く。
 それはもぅ、心から嬉しそうに、上機嫌で笑って。
 誇らし気に自慢げに、満面の笑顔を浮かべてその『道具』を見せてくれたのだけれども。

 ブルーの口から漏れたのは、深い深ぁい溜息だった。


「…………意味が無いだろうが、ソレは」
「えええぇ?!!そんな事、ないよー!!」
 自慢の道具を否定されて、ルージュは思い切り反論したが。
 ブルーの憂鬱顔は直らなくて。
 ちらりと寄越した視線は、苦悩に満ちた物だった。
「……モップと言う物は、床を滑らせるようにして使う物だろう?」
 片手をテーブルに投げ出し、もう片手で眉間を押さえて、脱力しながらブルーが言葉を紡ぐ。
 ルージュはちょっと口を尖らせながら、小首を傾げた。
「うん、そうだよ?」
「じゃあ、ソレが意味の無い物体だと言う事も解るだろうが」
「だからどうして」
「…………お前な」
 実は馬鹿か?と口にしようとして止めた。反論されるのも面倒臭い。
 その代わりにゆっくりと大きく息を吐いて。
 そして、言葉を選んで説明をした。

「わざわざ足を滑らせる様にして歩く人はいないと思わないか?」



 深い蒼の瞳がじっとルージュを見つめた。
 明るい紅の瞳が数回瞬きを繰り返す。
 それから、ん?と呟いて、ちょっと上を仰ぎ見て。
 そうして、ようやくルージュは納得した様に手を打った。



「あああ!そっかぁ!そうだよねーー!!」
「そう言う事だ」
 笑顔で答えたルージュに、ブルーも安堵した表情を見せた。
 ルージュは頬を上気させて、納得した様に何度も頷く。
「そうだよね。ごめん、僕ってば気付いてなかったよー。もぅ、盲点だったなぁ」
 少し照れくさそうに頬を指先で掻いて笑う。
 その仕草にブルーの表情が和らいだ。
 モップを上から叩く様にして使う人はいないのだから、これを履いて普通に歩いても意味は無いだろう。
 ルージュがその事に思い至らなかった・という事実は、なんだか微笑ましいような気がした。
 失敗失敗・と笑うルージュを見て。
 これでようやく、あの奇怪な音が止む・と安心してブルーは本に向き直る。
 そして再び、本に没頭しようとした。






 ………………のだが。






 次の瞬間、ルージュが取り始めた予想外の行動に、再度硬直するハメに会う。
 ルージュは、足を滑らせる様にして歩き始めたのだ。


 すーーーーいっ。すーーーーいっ。すーーーーいっ。すーーーーいっ。
 足を床から離さないで、滑らせる様にして歩く奇妙な音と。

 すーーーーいっ。すーーーーーーーーっ。すすーーーーっ。すーーーーいっ。
 両手でバランスを取りながら足を滑らせて行く、奇怪な歩き方に。

 すすーーーーーいっ。すーーーーいっ。すーーーーーーいっ。すーーーーーーーーーっ。
 …………今まで以上に集中力を乱される事になった。



「………………何をやってるんだ、今度は」
 呆然とそう聞くと、ルージュは不思議そうに振り返った。
「え?だから、掃除だよ?」
「……は?」
 今、その道具は役に立たない・と言ったつもりだったが、通じなかったのだろうか。
 目を見開いて唖然としているブルーを、ルージュは逆に怪訝そうに見つめ返して。
 それから笑って言った。



「やだなぁ。ブルーが今、教えてくれたんじゃない。コレは足を滑らせる様にして歩かないとダメだ・って!」



 それはもぅ、あっけらかんと。
 これ以上はないぐらいのにこやかな笑顔でそう言われて。

 ブルーの思考は完全に石と化してしまった。




 ルージュは楽しそうに、床の上でフロアスケートもどきを繰り広げている。
 ノッて来たのか、鼻歌まで出て来た。
 その内、くるくる回り始めるかもしれない……いやきっとやるだろう。
 歌って踊りながら掃除する・というミュージカルばりの行動を。


 その顛末が目に見えるような気がして。


 ブルーは無言で本を閉じると立ち上がった。
 そのままリビングを横切って玄関へと向う。
「あれ?出掛けるの?」
 ルージュに尋ねられて、頷いた。
「……ああ」
「ん。いってらっしゃい。夕飯は?」
「…………それまでには戻る」
 基本的には掃除なのだから、幾ら何でもそれまでには終わっているだろう……きっと。
 ブルーが苦悩の表情を浮かべている事には気付かずに、ルージュは笑って手を振った。
「解った。じゃあ、ブルー」
 手を振って、玄関へと向う背中にルージュが言った事は。

「帰りにピーナッツクリームとじゃがいもと唐揚げ粉買って来てねー」



 ブルーは思い切り、玄関のドアに頭をぶつけそうなった。



「何で俺が!」
「だってスーパー、帰り道じゃない。僕、掃除してるから、買い物行けないと思うし」
 怒鳴りつけてはみたが、まるで堪えていない笑顔が返る。
 それどころか。
「あ!牛乳も切れそうなんだ!それもお願い。あと果物も何か買って来て?この前アニーから貰ったヨーグルト掛けて食べようよ」
 にこにこと曇りの欠片も無い笑顔で追加も言い渡されて。


 ……完全に、反論する気力を奪われてしまった。


「………………覚えてたらな」
「うん。いってらっしゃーい」
 それでも憎まれ口の一つは叩いてみたのだけれど。
 それさえも実にあっさりと笑顔で返されてしまう。
 何だか今日は、コイツに勝てる気がしない・と諦めて。
 ブルーは億劫そうにドアを開けた。

 後ろからまた、例のスリッパを滑らせる音が響き始める。
 その音を伴奏に、ルージュが楽しそうに歌う声も。



 正直に言って、血が繋がっている筈の弟の思考回路を疑ってしまったが。
 ……別段、誰かに迷惑を掛けている訳ではないし。
 いや、自分は被っているけれども、それは自分だけが我慢すれば済む事だし。
 それよりも、本人が何だか異様に楽しそうだから。

 好しとするか・と。
 諦めと共にそう思って。




 ブルーは部屋を後にした。
 取りあえずは何処へ行くか・と考えながら。





13th. JAN., 2008




ルージュが壊れたような気が……ゴメンナサイ。
ブルーが苦労人になってます……スイマセン。
日常小ネタ。
……こんな日常なのかなぁ、この2人。

お掃除スリッパ。
もう何年も前に、通販で見かけた気がしますが。
最近は無い……ですよね?
ルージュは何処で見つけて来たんでしょ。
もしかして、只の売れ残りとか……w

タイトルはまたもやB'zです。
最初は「あいかわらずなボクら」にしようと思ったんですけど。
こっちの方が合ってるかな・とw
こんな感じの小ネタのシリーズにしようと思ってます。

あ・スライムは外出中です。
忘れてたワケではないですよ、決して!



2008.1.13





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