穏やかな昼下がりに、騒ぎを持ち込むのは大抵ルージュの方で。 ブルーもいい加減、そんな事態に慣れ始めてはいたのだけれども。 この日の帰宅第一声は、流石に予想を超えていた。 勢い良くドアを開けて部屋に飛び込んで来たルージュは、目を剥いて息を切らせて、それはもう必死の形相で。 それだけでも何事かと思ったのに、発した言葉は更に何事かと思う様な内容だった。 「ブルーッ、騙されたーーーーッッ!!!!」 絶叫のようなその声にまず固まり。 次いで、その内容に眉を顰める。 言われた内容を思わず頭の中で反芻して。 ようやく理解してから、唖然として聞き返してみた。 「……振り込め詐欺に、か?」 「違ぁーーーーーうッ!!!!」 今頃・と思ったがやはり違ったらしく、ちょっとは安堵する。いくらなんでも自分の弟がそこまで疎いとは思いたくない。 腕を振り回してルージュが否定したから、手にした紙袋が本棚をかすめた。 そう言えばこいつ買い物帰りだったか・と頭の片隅で思い、取りあえず自分に被害が及ばない様にと、椅子毎軽く身を引く。ルージュは大小合わせて3つの紙袋を持っている。当たれば、当然、痛い。 けれどその間にも、ルージュは頬を赤くしながらも詰め寄って来た。 「そんなんじゃないよー!もー、酷いんだから!!あんまりだと思わない?!」 「その前に、何に騙されたんだ」 勝手に話を進めそうなルージュをさえぎる。興奮すると自分のペースで一気に話を進める癖は、何とかさせた方がいいか・と、そこだけ兄の頭で思う。 ブルーが身を引いた分詰め寄って来たルージュは、更に身を乗り出し、そして言った。 「リュートに、だよぉ!!!信じられないーッ!!すっごい恥ずかしかったんだから!!」 出て来た元凶の名前に、ブルーは頭から転げ落ちそうになった。 「…………あいつがいい加減なのは何時もの事だろうが」 そもそもリュートの言う事を信じる方が間違っている……少なくともブルーはそう思っている。 けれど、ルージュはそうではなかったようだ。 「だってだってー!知らなかったんだよぉ!信じちゃうに決ってるじゃない!それなのにもう、酷いんだからーー!!」 目に涙まで湛えて、紙袋を握りしめて訴えるルージュに、ブルーはがっくりと項垂れると。 眉間を押さえながら、それでも呻く様な声で尋ねた。 「………………で。一体、何を吹き込まれたんだ」 「バレンタインデー!!!」 問いに間髪入れずにルージュが叫んだ。 が、予想していなかった答えに、ブルーは1瞬返答に詰まり。 「何だって?」 思わずそう聞き直すと、ルージュは身を乗り出して叫んだ。 「バレンタインデーだよ!バレンタインデーって本当は、女の人がチョコを贈る日なんだってーーーッ!!!!」 その叫びの声の余りのボリュームと。 その内容のある意味情けなさに。 ぐらり・とブルーの身体が大きく傾いだ。 それは、バレンタインデーを翌日に控えた、穏やかな天候の日の午後の事。 傾いだ身体を起こす事も出来ず。 このまま兄弟の縁を切った所で、誰にも咎められる謂れは無いに違いない・と思いそうになって。 それでも何とかそのギリギリの1線で踏みとどまっていたのだけれども。 ルージュはそんなブルーの心情など推測する余地もなく、そのままの勢いで話し始めた。 曰く、今日はバレンタインデー用のチョコレートを買いに行ったそうだ。 そして、会計を終えた時に、見知らぬ少女3人組に話しかけられたらしい。 何だか妙に上気した顔で目を輝かせて話しかけて来た彼女達に、そのチョコを誰にあげるのか・と訊かれて。 兄と友人達に・と答えたら、異様に大はしゃぎされてしまって。 彼女達の盛り上がり方が不思議で、話を良く良く聴いてみたら。 意味ありげな含み笑いと共に言われてしまったのだ。 「だってー、バレンタインデーってフツー、女の子から男の子にチョコをあげる日なんですよぉー」 「……なんだって!酷いと思わないーーーッ?!!」 最早、完全に机に突っ伏して脱力しきっているブルーに、それでもルージュは拳を震わせて訴えていた。 「僕、そんな事まで知らなかったから、みんなにチョコあげようと思って買いに行っちゃったじゃない!!リュートのばかー!!教えるならちゃんとそこまで教えてよねぇっ!!!」 最後にはもう、涙声である。余程、恥ずかしかったのだろう。 が、ブルーには返事をする気力も湧いて来なくて。 「それもねぇ、ただ、贈るだけじゃないんだよ!愛を告白する為に贈るんだって!!友チョコとか義理チョコとかもあるけど、それはやっぱり女の子のものなんだって!普通、男の人は買わないんだってーーー!!!」 「………………<ここ>では、な」 叫び続けるルージュに、ようやくブルーがそう一言だけ返した。 その返答に、ルージュがはた・と訴えを止める。 「<ここ>では?」 その表現が気にかかり、目を見開いてブルーを見つめ返す。 ブルーはゆっくりと頷くと、のろのろと顔を上げた。 そして、疲れきった表情で、何とか喋り始める。 「……そうだ。<クーロン>では、それが主流だ」 ルージュが大きく瞬きを繰り返した。 言葉の意味を正確に理解したらしい。 「え?って事は、他のリージョンは違うの?」 「大体……半分ぐらいは、そうだ。女から男へ贈り物をする日となっている」 こめかみを押さえながらそう言うと、ルージュがぽかんと口を開いた。 「半分って、じゃあ、残りの半分のリージョンじゃ違うの?」 「そうだ、違う。元来は親しい者達に日頃の感謝を込めてプレゼントを贈る日であって、特に性別は関係ない。ついでに言うならば、贈り物の内容にも決まりは無い」 そう言うと、1度大きく息を吐いて、姿勢を正した。 「バレンタインにチョコレートを贈る・という風習は、40年程前に<シュライク>の菓子メーカーが自社CMで打ち出したコピーが広まっただけだ。本家の<シュライク>と、ここ<クーロン>、あとは<ヨークランド>や<シンロウ>なんかはこの風習だな。逆に<マンハッタン>、<オウミ>、<バカラ>なんかは本来の風習のままだ。<京>なんかだとバレンタインそのものが余り知られていないしな」 「えぇー。そうだったんだぁ」 一応、説明をするとルージュが目を丸くして聞いていた。 この程度、知っておいてくれ・とも言いたかったが、また騒ぎ出されるのも面倒なので口をつぐむ事にした。 「<スクラップ>なんかでは、男女関係なく意中の相手に贈り物をする日になっているしな……まぁ、さして拘る程でもないと言う事だろう」 そう言って一息付くと、ルージュが感心しきった表情で見つめ返していた。 「ブルー、なんでそんなに詳しいの?」 「……この程度、ちょっと調べれば直ぐに分かるだろうが」 憮然としてそう返すと、ちょっとだけ拗ねた顔になる。 それを見て口元を少し緩めると、引き出しを開けた。 「……まぁ」 声を掛けつつ、目的の物を取り出す。 片手に収まる、小さな箱。 ルージュが目を見開いて見つめ返している。 「本当なら明日渡すべきなんだがな」 そう言って、取り出した小箱を差し出した。 真っ白な包装紙には薄いライトグレーで社名のロゴが入る。 掛かるリボンは細い銀に水色の縁取り。 どこからどう見ても、プレゼント以外の何物でもないそれを。 「……バレンタイン、だ」 片手で机に頬杖をしたまま。 器用に右目だけを伏せて。 口の端を笑みの形に引き上げて。 もう片方の手で、ルージュへと差し出した。 ルージュは目も口も丸くしたまま、驚きに固まってそれを見つめ返してしまった。 「………………え・ええええぇぇえ?!!」 第一声は絶叫しか出て来なくて。 そのリアクションが面白かったのか、ブルーが目を細めた。 軽く、小箱を持った手を掲げてみせる。 「要らないのか?」 「いる!いるいるいる!!絶対、いるーーーーッッ!!!」 大慌てでルージュは小箱を受け取る。 そして、目を輝かせてその箱へと見入ってしまった。 見つめるブルーの表情が柔らかい。こんな穏やかな顔をするブルーも珍しい。 暫く箱を見つめていたルージュが、ようやく顔を上げた。 「開けていいの?」 「好きにしろ」 上気した顔のまま尋ねて来るから、思わず苦笑してしまう。 ルージュは早速、包装を開け始めた。 丁寧にリボンを解いて、破らない様に気をつけながら包装紙を開く。 出て来た箱を、そっと開いて。 その中身に又もや目を丸くした。 「……懐中時計!」 細い銀の鎖の付いた小振りな懐中時計は、文字盤や竜頭のデザインまで拘りを感じるかなり洒落た物。 ブルーらしいプレゼントに、ルージュは満面の笑みを浮かべた。 時計を強く握りしめて、嬉しくて堪らないという様に飛び跳ねる。 「ありがとう、ブルー!!わー、すっごく嬉しいーー!!どしたらいいのか解んないぐらい嬉しいよぉーー!!!」 「……そこまで喜ぶとは思わなかったが」 飛び跳ねてくるくる回るルージュに、流石にブルーも困惑気味になるが。 喜んでくれてるなら、まぁいいか・と軽く息を吐いた。 その時、不意に小さな音が窓から響いた。 振り返ると出掛けていたスライムが窓辺で身体を軽くぶつけて、開けて・と合図をしている。 その様子を見て、ルージュが窓へと駆け寄った。 「おかえり、スライムー!!見て見て、ブルーからプレゼントなんだよーー!!」 窓を開けて出迎えると同時に、大喜びで時計を見せる。 スライムは驚いた様に飛び跳ねてから、その身体をふるふると震わせた。ルージュが笑顔で答える。 「そうそう、バレンタインのプレゼント!素敵でしょー?」 そう言ってにっこりと笑う。 スライムはルージュが手にした時計に触れて、ふよん・と揺れると、不意に大きく全身を震わせてルージュの腕から飛び出した。 そのままブルーの膝へと飛び乗ると、その場で何度も飛び跳ねる。どうやら、自分の分はないのか・と、ねだっている様だ。 ブルーはあやす様に軽く叩きながら、引き出しからリングを1つ取り出した。 「お前にはこれをやる」 そう言って取り出したリングをスライムの身体へと押し当てた。 柔らかな身体が少し歪むと、中へとリングが吸い込まれる。 その様子を見ていたルージュが、驚いた声を上げた。 「あー!ソルリングじゃない!僕、それ狙ってたのに」 「……人の装備を勝手に狙うな」 ブルーが呆れてそう呟くと、ルージュはちょっと頬を膨らませる。 けれど直ぐにまた、笑顔に戻った。 スライムの身体の中で、淡く光るリングに見入る。 「良かったね、スライム。大事にするんだよ?」 そう言って指先で突つくと、スライムは嬉しそうに身体を震わせた。 丸くなったり膨らんだりを繰り返している。余程、嬉しかったのだろう。 にこにことその様子を見ているルージュに、ブルーは視線を移す。 「お前はチョコなのか?」 「うん、そうだよ。明日は忙しいから、今日、開けちゃおうか!<マンハッタン>のエレ・グランド・コンチネンタルホテルのチョコ、買ったんだよー!すっごく美味しいんだから!!」 ルージュはそう言うと、一番小さな紙袋を取り上げた。 残りの紙袋をブルーは怪訝そうに見遣る。 他にも大きな紙袋が、2つ。 「……それは?」 僅かばかりの戸惑いと、圧倒的に嫌な予感と。 その双方が混ざり合った複雑な表情で、そう尋ねると。 ルージュは溢れんばかりの笑みを浮かべて答えた。 「もちろん、みんなに配る分じゃない♪」 ブルーが思い切り眉間に皺を寄せる。 紙袋は2つ。それも、かなりデカイ。 ルージュは嬉々としてそれを取り上げると、中を見ながら説明を始めた。 「エミリア達のお店でしょ?ヒューズの所でしょ?リュートとサンダーと子供達の分と、先生にあげるのと、レオナルドの研究室に持って行くのと、それからアセルスくんの所は一杯いるから、この大箱2つが寵姫さん達のとお付きの妖魔さん達の分で、こっちがみんなにあげる分なんだー。あ・アセルスくんのはコレね。で、あと零姫のとゲンさんのとノムさん達にもあげて、それから艦長さんに届けるのと、あと……」 次々と出て来る名前に、ブルーの身体が大きく揺らぐ。 だが、それでも次の瞬間。 「1日で回りきれんだろうが!!!」 思い切り机を叩いて怒鳴ってしまったが。 ルージュはきょとんと目を見開いただけで。 にっこりと笑うと、あっさりとした口調で返して寄越した。 「大丈夫だよ、ゲート使えば」 「術を気楽に使うなと言っているだろう!」 「気楽じゃないよ。大切な事なんだから」 動じた様子も無くそう返されて。 ブルーはがっくりと肩を落とした。 「…………1人で行け。俺はいい」 「だぁめ!一緒に行くの。去年は何もしなかったんだから、今年はちゃんと2人で挨拶しにいかないと」 「………………何処の世界の風習だ、それは」 「え?当たり前の事でしょ?」 至極当然、と言わんばかりの口調に。 ブルーも一緒に行くのだ・と決めてかかっている態度に。 しかも異様に嬉しそうなその表情に。 逆らうのも馬鹿馬鹿しくて。 ブルーは大きく溜息を吐くと、脱力しきったまま答えた。 「……お前のチョコを食べてから考えてやる」 「うん!お茶、煎れるねー♪」 そんな答えでもルージュは嬉しそうに笑って、台所へと走って行く。スライムがその後を追った。 響いて来る茶器を準備する物音と、楽しそうな笑い声に。 まぁいいか・と、もう1度、そう思って。 ブルーは頭の中で明日の予定を立て直した。 明日1日、ルージュにつき合う為に。 翌日、満面の笑顔のルージュと諦めきった表情のブルーが、あちこちのリージョンで見受けられた。 感謝の気持ちのバレンタインチョコと一緒に。 7. FEB., 2008
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はい、2年目のバレンタインです♪ 2年目は無いかと思ってたんですけどねぇ。 まだネタがあったようでw ソルリングは、以前の旅の途中で手に入れた物です。 ルージュは密かに狙ってた様ですよ。 黙ってかすめ取っちゃえば気付かれなかったような気もしますが。 ブルーはあんまり物に拘らないから。 スライムにもお世話になってるので、お礼ですね。 にしても、ルージュくん。 バレンタインとお歳暮かなんかを勘違いしてそうな……w 2008.2.9 |