ひとときだけのコイビト





「レッド。あんた、暇でしょ?ちょっと頼まれてくれない?」




 携帯が聞き慣れた着メロを奏でたのは、ちょっと曇りがちの日曜日のまだ朝早い時間。
 ヒマってなんだよー、俺だって予定あるんだぜ・と軽口を返しながら、もう心は決っていた。
 何たって呼び出し相手は、かつてブラッククロスと戦った時に世話になった人だし。
 それに、そんな恩は差し引いても魅力を感じずにはいられない美女だったのだから。


 アニーに呼び出された場所は、<シュライク>のシップ乗り場近くあるフォトスタジオ前。
 最近出来たばかりのこの建物は、外観が目立つ事と入口の前をちょっとした広場として解放している事から、新しい待ち合わせ場所として定着しつつあった。
 そこで、アニーを待つ事、5分。
 現れたアニーは笑って手を振ると、あっさりとレッドと引っ張ってそのスタジオの中へと入って行った。
 ここで待ち合わせてから何処かへ移動するのだと思っていたから、ちょっと驚いた。
 その上、中では何かの撮影準備の真っ最中。
 なので、撮影の雑用とかやらされんのか・と思ったのだけれど。
 予想はことごとくくつがえされる。

「じゃあ、レッド、着替え終わったら集合だからね」
「はい?!!!」

 あっさりと投げ落とされた爆弾発言。
 ここに至って、ようやく、レッドは自分の置かれた状況に気が付いたのであった。



「ちょちょ、ちょっと待てーーーーッッッ!!!!何だよ、コレ!!!アニー、説明しろって!!!」
「はぁ?何ニブい事、言ってんのよ。解るでしょ?バイトよ、バイト」
「バイトって、だから、何のバイトだコレはーーーーッッ!!!」
「……レッド。バカじゃないんだから見当付くでしょ」
「け、けんと、って……じゃ、あ、やっぱ、これって…………モ……モモ、モデ……」
「あー、鬱陶しい!はっきり言いなよね!コレは、モデルのバイト!!はい、解ったら準備に入る!!」
「…………〜〜〜〜〜〜ッッッッ!!!!」
 一瞬の絶句。
 そして。

 完全防音のスタジオの壁さえ突き破りそうなレッドの絶叫が響き渡った。

「いやだーーーーーーッッ!!!!おっ、俺はイヤだからなッッ、そんなバイト!!!いくらアニーの頼みだからって、出来る事と出来ない事があるんだーーーッッ!!!!」
「何、大げさな事、言ってんの。別に普通のポスターのモデルよ?ヤらしい写真じゃないんだから、いいじゃない」
「そーゆぅ問題じゃないだろーーーッ!!!モ、モデルだなんて、そんなこっぱずかしいマネ、出来るかーー!!!」
「……あんたその台詞、エミリアの前で言える?」
「あいつはプロだからいいんだよ!!!俺は出来ねぇっつってんの!!!って、しかも何のポスターだよ?!!!」
「ショッピングモールのバザールだって。ELESSEってトコ」
「げーーーッッ!!!!地元じゃねーかッッッ!!!尚更できねぇよーーッ!!!」
「あら、何で?」
「当たり前だろが!!!ダチとかに見られんだぞ?!!何、言われっか解ったもんじゃねーよッ!!!ムリだ、ムリムリムリーーー!!!!絶っっっっ対ぇーーーーーーに、ムリッッ!!!!」
「…………ふーん。あ・そう、残念」
 真っ赤になって怒鳴るレッドに、アニーはそう言うと口の端を上げる。

「すっごく身入りがいいのに、ね」

 その一言にレッドが固まった。
「………………え?」
「あああ、本当に残念だわー。あんた金欠だって言ってたし、これなら大した労力も払わずに大金手に入るから、大喜びでやってくれると思ってたのになぁ」
「そ、そんなに……って、アニー?ちょっと?」
「でもそこまで言う程嫌なら、しかたないね。解った、今日は帰っていいよ。悪かったね、急に呼び出してさ」
「おお、おい?アニー?」
「じゃあ、代わりを誰に頼もうかな。う〜ん、他のメンバーも今日は忙しいし、急に呼び出せそうな男友達も限られてるし、ソイツらも今日は日曜だから予定ありそうだしなぁ。いっそ、ヒューズでもいっかな。黙ってれば2枚目半だし、ノセればその気になるし……」
「アニーってば!!!」
「何?レッド。まだ居たの?帰っていいってば」
「いや待て、その前に、訊きたいんだけど!!!!」
「……なぁにを?」
 チラリとレッドを見上げて、アニーが小さく笑う。
 が、不幸にしてレッドの視界には入らなかったようだ。
 ぐ・と拳を固めて、アニーに顔を寄せる。
「身入りがいいって…………ど、どれ…ぐらい?」
 異様に真顔で訊いて来るレッドに、アニーは笑って1枚の紙を差し出した。
「はい、契約書。あ・金額はココね」
 アニーの差し出した紙に顔を近づけて、レッドは内容を凝視する。
 そして、指差した箇所へと視線を走らせて。

「…………ッッ!!!!」

 次の瞬間、思い切り全身を硬直させていた。
 そこには、レッドのバイト料約半月分に匹敵する金額が提示されていたからだ。


 石の如く固まり切ったレッドに、アニーはにっこりと微笑んだ。
「ん・で?どうする?」
 石化したレッドの額を汗が伝う。内心の葛藤が手に取る様に解る。
 解る……ので、追い打ちをかける。
「止めるんなら今のうち、だけどねぇ」
 レッドの顔をだらだらと汗が流れ落ちる。契約書を握りしめた手が震え始めた。
 ここまでくれば、あと一押し。
「あ・勿論、無理強いはしないから。もしどうしてもヤだって言うんなら、ヒューズでも呼び出し」
「わーーーーッッ!!!ちょちょっと、待て!!!」
 ヒューズの名前を出したとたんに、レッドが絶叫した。どうやらヒューズを呼び出すのだけは徹底的に嫌らしい。
 アニーが口をつぐむと、レッドも押し黙る。
 そのまま息を飲むような沈黙があって。
 実際、レッドが息を飲み込む音が響いて。
 そして。


「………………やる」


 絞り出すような返答に、アニーが破顔した。
 その笑顔だけでも、決意して良かったかな・と思ってしまう、まだまだ青い19歳だった。







 さて、肝心の撮影は・というと。







 プロ並みにしっかりとポーズを決めて、表情も作っていたアニーに対して。
 レッドは、と言えば、これがお約束そのもので。
 ド素人丸出しで固まりまくってしまい、どうやっても引き攣った笑顔しか出来ないし、ちょっと移動するだけでも足がもつれてすっ転んだりもしていて。
 初めのうちは難航していたのだけれども。
 カメラマンも、やはり、プロ。その上、アニーとは昔からの友人、とくれば。
 言葉巧みに素人君を操っておだててその気にさせて。
 最後にはレッド自身もすっかり乗り気で撮影に励んでくれて。
 予定より1時間オーバーとは言え、そこそこ順調に終わったのであった。
「バイト代はまとめてあたしの口座に振り込まれる事になってるから、週明けにでも店に取りにきてくれる?」
 アニーにそう言われて、大喜びで頷くレッドだった。






 そして、数日後。


 レッドが<クーロン>のイタメシ屋を尋ねたのは、昼の混雑が一段落した頃だった。
 奥のテーブルで向かい合って座り、満面の笑顔を浮かべ、期待に満ち溢れた表情をしているレッドにアニーはちょっとだけ苦笑して。
 それから、おもむろに白い封筒を取り出した。
 テーブルの上に置くと、レッドの方へとつい・と差し出す。
「はい、コレ。約束のバイト料ね」
「おおお!」
 喜びの歓声を上げ、レッドが瞳を輝かせる。
 封筒を両手で取ると、感謝を示す様に軽く押し抱いてから、封を切った。
 中から出て来る1万クレジット札の枚数を数えていくウチに、目が潤んで来ている。
 そんな様子をアニーは頬杖を付いて笑顔で見つめていた。
「すっげー!!ホントに入ってるよ〜〜〜っ!!やべぇ、俺、マジ感激してきた……」
「うんうん、良かったねぇ」
 瞳を潤ませて感慨に浸るレッドに、アニーは嬉しそうに笑いかけて。
 そして。

「じゃ、これもお願いね」

 その一言と一緒に、A6ぐらいの小さな紙を束ねたものを差し出して来た。
「へ?」
 唐突な申し出に、レッドはきょとんとする。
 思わずアニーの顔と紙の束を交互に見遣ったりもして。
 その仕草にアニーが、にっこり笑うと更に紙の束を押しやって来た。
 レッドは改めてその紙の束に視線を落として。
 そして、ようやくそこに書いてある文字に目が行き、そのまま硬直した。


「…………『請求書』?」


 はっきりと踊るそれ以外に解釈のしようのない言葉。
 目の前に差し出されたのは、どうやら請求書の束らしかったけれど。
 でも、どうして?
「何でこんなモノ……って、ちょっと待てーーーーーッッ?!!!」
 そう問いかけて、そして初めて気付く。
 この請求書の束の、宛名が『自分』である事に。
「俺宛の請求書?!!!なんでこんなモンがあるんだーーーーッッ??!!」
「何、言ってんの。当然でしょ?」
「当然て、だからなんで当然なんだよ?!!」
「…………あんたねぇ」
 身を乗り出して怒鳴って来るレッドに、アニーは溜息を吐いて。
 そして、爆弾を落とした。

「ウチの店のツケが幾ら溜まってると思ってんの?」

「…………!!!!」
 その一言にレッドはものの見事に固まったけれど。
 次の瞬間、物凄い勢いで喰ってかかっていた。
「ツケって、何だよそれーーー!!!!あれ全部、ルーファスのオゴリだろーーーッッ?!!!」
「誰がそう言ったの?」
「ルーファス本人が言っただろうが!!!喰ってけ・って!!!!」
「当たり前でしょ?店に来たお客さんに、喰うなって言う訳ないじゃない」
「そーゆう意味じゃないだろ、フツー!!!喰わせてくれるって意味だろーがよーーーッッ!!!!」
「それ、あたしに言った?」
「……へ?」
 ファイティングポーズで思わず固まる。
 アニーは向かいで涼しい顔。
「ア・アニー、に?って、中でそういう話は伝わってるんじゃあ……」
「じゃあ、ダメだね」
 戸惑うレッドに、あっさりすっぱりと言い切った。


「料理作るのはルーファスだけど、経理はあたしなんだから」


 それはもう、ありとあらゆる抵抗を無効化する一言を。

 呆然とするレッドに、ルーファスの奢りならそうだってちゃんとあたしに言わないとダメだよ・と追い打ちをかける。
 冷や汗を流す姿に更に、ヒューズはそう言ってくんだけどねぇ・とトドメを刺して。
 完全に汗を流す石像と化したレッドに、まぁ、全部は無くならないでしょ?と笑った。

 そう言われても、レッドも返し様はなくて。

 確かに、全部はなくならない。
 でも確実に3分の2は、飛ぶ。
 だけど、それでは困るのだ。
 この金額が手に入ると思っていたから、もう既に予算は立ててしまっているのだから。
 貯金する分、家に入れる分、整備士の資格講習のために貯める分、母と妹にクリスマスプレゼント、あと欲しいゲームもあるし、友達と遊ぶ分だってちょっとは欲しい。
 だから……そんなに取られたら、かなり、困る。
 困るのだ…………けれども。

 向かいでアニーは涼しい顔。
 頬杖を付いて小首を傾げてこっちを見ている。
 口元には微笑も浮かべて。
 まさに、小悪魔。そうとしか言いようがない。


 こんな顔されたら、勝てない。絶対。


 勝てない……けど、でも、このお金を手放すのは辛すぎる。
 辛すぎるけど、だけど、アニーの理論武装を破る自信は、ない。
 ましてやこの笑顔にこの態度。
 こんな美人にこんな態度を取られては、勝因は1%も見つけられず。
 だからと言って、この支払いは余りにも痛すぎる……だけどでも。

 ぐるぐると思考が頭の中を回り巡り。
 バランスの取れた天秤はどっちにも傾けずにぷるぷると震えて。
 身体は石化したまま、汗が滝の様に流れ落ちる。
 終いには視界が潤んで来た。……さっきとは別な涙で。


 拳を固めたまま、身体を硬直させて、目に涙を浮かべ始めたレッドを見て。
 流石のアニーも可哀想に思ったようだ。
 苦笑一つ浮かべると、大きく溜息を吐いてみせた。
「…………まぁったく、もぅ。仕方がないなぁ」
 その言葉にレッドがびくん・と震える。
 まるで怒られてる子犬みたいな反応に、込み上げる笑いを押し殺して。

「今日の所は勘弁してあげるよ。分割でいいから少しずつ払いにおいで」

 そう言ったら、レッドが泪目で叫んで来た。
「チャラじゃねーのかよーーーーーーッッ!!!!」
「ウチだって慈善事業でやってるんじゃないんだよ?解るでしょ?」
「だ、だからって、こんな金額……っ!!!!」
「だぁかぁら、分割でいいってば」
「ぶ……分割って……何回だよ」
「ん?ちょっとずつでいいよ。ウチはローン会社じゃないんだからさ」
 立ち上がってしまったレッドを見上げて笑う。
「余裕がある時とかに、払える分ずつ払えばいいでしょ?こっちだってアンタを破産させたいワケじゃなんだから」
 そう言うと、泪目がすがる様に見返して来る。
 ね?と笑って鮮やかなウィンクを一つ。
 その効果は覿面で、レッドは一瞬、押し黙ると。
 不承不承と言う感じで、頷いた。
 これ以上、引き下がり様がない事を察したのだろう。
 それに、全額まとめて返済よりはマシだと思ったらしい。

 封筒をカバンにしまうと、まだ何処か気落ちしたままレッドは立ち上がった。
 んじゃまた・と告げる声に力がない。
 そして、まだ何処かよろめく足取りで歩き出した。
 その様子にアニーの顔に苦笑が浮かぶ。
 情けない後姿は妙に哀れで、思わず声を掛けたくなる。
 こいつのこういう所って、得だよね・と思いながらアニーも席を立った。
 その背中を追いかけて、軽く叩きながら言葉をかける。
「次からは、ちゃんとあたしに言うんだよ?」
 レッドは拳で涙を拭いながら、うんうんと頷いていた。






 放心したままイタメシ屋を後にして。
 ちょっと朦朧とシップ乗り場へと向いながら。
 ふと、レッドの脳裏を過った事は。

 ……でも良く考えたら、これでちょくちょくアニーを訪ねる立派な口実が出来たんだよな。

 と言う事であって。
 そう思ったらちょっとだけ気分が浮上した。
 今までは当然、何かを食べに行くぐらいしか訪ねる理由はなかったのだから。
 でもこれからは、支払いに来た・と言えばそれで済む訳だし。
 ちょっとずつでもいい・ってアニーも言ってくれたし。
 というか、いっそ回数を多くすればそれだけ何回も会いに行けるのだし。


 それなら、まぁいっか・と笑ってしまった現金な19歳の若者であった。










 結局、何だかんだと上手くアニーに乗せられている訳だけれども。
 レッド本人が、その事実に気付いていないので。
 それが倖せなのか不幸せなのかは、誰にも解らない。





 

29. NOV., 2007




書いてるうちに、アニーとナミが被って来ました(笑

当初は、バイト料はその場で現金支給されて、
そこからアニーがツケを差し引いた分だけを取り出してレッドに手渡す・という予定でした。
しかも、ツケ分はしっかりと徴収されて、レッドが半泣き状態で終わる・という救いの無さでしたよ。
それじゃあ余りにも哀れなので、本編のように変更しました。
私もレッドに甘いなぁ。

でもレッド、撮影中は倖せだったと思いますよ。
だって、アニーと肩組んだり寄り添ったり甘えたりべったりしたり出来たんだから〜♪

カメラマン氏には深い意味も無くゴートンと名付け、
『28歳・黒髪・メガネ・髭あり・アニーとは昔馴染み・類友』と設定してました。
出番は無かったですけどねー。



2007.11.29





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