青い、空。
 高い、光。

 雲は一つも無く。
 風もまるで無い。
 ただ光を湛えて遠く。
 動かぬ空が天を包む。


 光に満たされながらも熱を持たない大気が流れる事無くただ静かに停滞する。


 その天から視線を落とせば、赤茶けた大地と一面の瓦礫。
 世界には物音一つなく、静寂すら通り越した沈黙が支配する。
 その大地に疎らに残る微かな緑が唯一の生命の痕跡だった。



 かつて<マジックキングダム>と呼ばれたリージョン。
 今はただ、瓦礫と沈黙だけが広がっていた。




  




 土を掘る音が、静かに空へと吸い込まれて行った。
 遠い青空は大地に一欠片の熱ももたらさない。
 沈黙が支配する世界の一角に、その音はただ静かに響いていた。
 土を掘る音。
 微かな息遣い。
 瓦礫に響いても、残響すら直ぐに消え失せる。
 無音は圧倒的な存在を以てその僅かな物音を消し去ってしまう。
 それでも、その音は響いていた。
 音の持ち主は、諦める事無く土を掘り続けていた。
 土をある深さまで掘ると、今度はそこに苗木を1本、入れる。
 そして根の周りに土を被せ、水を注ぐ。
 1本植え終わると、一息吐いて、そしてまた土を掘る。
 次の苗木を植える為に。


 彼はずっと、ここに木を植え続けてきた。
 このリージョンが滅んでから、ずっと。
 年に1度だけとはいえ、必ず自ら訪れて。
 もう23年間ずっと、リュートはこの<マジックキングダム>跡地に若木を植え続けていた。


 次の1本を植え終わり一息吐いたちょうどその時。
 遥か高空から、シップのエンジン音が響いて来た。
 汗を拭く手を止めて見上げれば、不可思議な程に青い空から1機の小型シップが降りて来る所だった。
 蒼紺に白銀のライン、描かれた紋章は翼と錨。
 それを目に止め、口元が微かに綻ぶ。
 形取られた笑みは、何処か悲し気であった。

 舞い上がる砂塵。虚空に響く不自然に大きなメカニカルノイズ。
 無音の青空は全てをただ静かに飲込む。
 高周波混じりの甲高いモータースクリームが収まって程なく、扉が開く。
 リュートより少し年上の男性が、小型に設計されている扉を身を屈めて潜り抜けて現れた。
 IRPOの正規平服にスコップ。
 アンバランスな姿で、片手を挙げて口の端に笑みを作る。
「よぅ、トリニティ第2執政官閣下」
 その掛声にリュートは苦笑した。
「久し振り、IRPO統合長官第4幕僚閣下」
 軽口で返せば、相手も苦笑する。
「お互い、エラい名前になったよなぁ」
「そうだなぁ。……1年ぶりかぁ、ヒューズ」
「おぅ。忙しかったからな」
 再開の挨拶を交わして、笑い合って。
 そうしてリュートとヒューズは互いのスコップを手に取る。
「今年の分は?」
「ん〜。そこにあるの全部さ。あと16本、かな?」
「げ。結構、残ってんのな。……まぁ、いっか。じゃあ、俺はこっちやるから」
「おう、頼むよ〜」
 手を振る。その口調が少しだけ昔に戻っている事に、本人は気付いていない。
 ヒューズも笑みを浮かべて一纏めにしてある苗木の方へと向う。
 そうして、お互いに仕事に取りかかった。
 言葉少なに近況を語り合いながら。


 空は変わらず高く、遠く。
 ただ遥かに澄んで、見守るのみ。
 土を掘る2つの音。
 時折交わされる言葉。
 それ以外、音は無い。
 光はただ静かに世界を包む。
 廃墟の大地は物言わずに眠り続ける。

 崩れ去った瓦礫は苔むす事すら無く。
 水の流れは途絶え、空から雨が降る事さえ稀となった。
 大気に温もりは無く、そよぐ事も無く。
 全ての命は途絶え果てた。


 <マジックキングダム>は死んだ。


 最早、誰もがそう思っていた。




「……この辺はもう駄目だな」
 ヒューズの呟きにリュートは顔を上げた。
 3年前に植えた木の側で、ヒューズが難しい顔をして立っている。
 半分ぐらいの苗木を植え終えて、一息吐いていた時だった。
 その言葉にリュートも表情を曇らせる。
 ヒューズの言葉は、リュート自身も感じていた事だったから。

 3年前に植えた木の大半は、そのまま枯れてしまっていた。
 いや、それ以前から、ずっと。
 5年前のも10年前のも……20年前の木もそうだった。


 23年間、毎年この日に植林を続けて来たけれど。
 根付いた木は、1割にも満たなかった。


 疎らな、立ち枯れた木の林。
 ここはどう見ても、そうとしか表現の仕様がなかった。
 僅かに根付いた木々も細々とした葉しか付けておらず、ようやく立っているという有様だった。
 原因は大地そのもの。
 このリージョンそのものに、力が残っていないからだった。
 だから、どれだけ木を植えても、育てる事が出来ない。
 リージョンそのものが、静かにその寿命を終えようとしていた。



 それでも。



「……あいつが、さ」

 頭を掻いて、リュートが小さく呟く。
 聞き止めて、ヒューズは顔を上げた。


 リュートは静かに大地を見下ろしていた。


「ここは、緑が綺麗だった・って言ってたからさぁ…………」

 呟く声はか細く。
 大地に静かに飲込まれて。

「あいつ、あんまり<ここ>を好きじゃないみたいだったけど、だけどさ」

 ただ静かに光が辺りを満たし。
 空は高見から物言わずに俯き。 

「……<ここ>の緑は、好きだったみたいだから、さぁ…………」

 小さな声が大気を震わせる。
 瓦礫の街は黙して何も語らない。

「…………っから……、だから、いつか、さ。あいつが……」

 立ち枯れた木々はそれでも耳を澄まし。
 僅かに生き延びた葉が優しく光を弾く。

「……あいつ、が、…………って来た、時にさ……。ここ、を…………」

 震える声が風の代わりに大気に伝わり。
 枯れた大地に雨粒のように涙が落ちて。

「……っこ、を、見て…………、笑っ…………」

 零れる嗚咽にそれ以上言葉は紡げず。

「…………っ」

 声無き慟哭を天は静かに受け止め。












 無い筈の風が吹いた様に思えた。















 共に旅した無二の親友。
 23年前の今日、最後の戦いの後、彼は姿を消した。
 あの<地獄>での戦いが終わって、崩壊するリージョンから自分達を脱出させて。
 そして、彼だけが戻らなかった。
 この<マジックキングダム>跡地で目覚めた時、彼の姿だけが無かった。

 犠牲になったなどと思いたくはなかった。
 必ず戻って来ると信じ続けた。
 死ぬ筈が無いと言い張って。
 ただ、ひたすらに、還りを待ち続けた。

 毎年、必ずこの日にここを訪れて。
 彼の為に木を植えて。
 彼が還る事を信じて。


 この、23年と言う時間を過ごした。


 <ここ>に立ち入る為に、トリニティを登り詰めた。
 崩壊の危険性のあるリージョンに、一般人は立ち入る事が出来ないから。
 だから、不向きとは思ってもこの道を選んだ。
 彼が戻って来た時に、一番最初に再会したかった。
 それはヒューズも同じだった。



 23年経ち、様々な事が流れ移ろいで。
 それでも、この日、ここに来る事だけは変わらなかった。
 どんな仕事にも優先して、ここへ赴いた。
 再会の約束をして別れた友の為に。
 未だ別れを告げていない友の為に。













 気付けば両膝を付いて拳で顔を覆って泣き崩れていて。
 その背をヒューズが優しく叩いていた。
 まるで子供をあやす様に。

「……解っては、いるんだけど、なぁ」

 少し擦れた声だった。
 拳で顔を拭う。
 光はただ静かに辺りを包んでいた。

「せめて、どっちかに決着がつけば、気持ちも落ち着くんだろうけど、さ」

 背を叩くリズムが僅かに乱れる。
 息を飲む様な間に、心情を感じた。

 緩やかに顔を上げれば、変わらぬ瓦礫の街。
 静かに佇む木々が、頭を垂れ黙祷を捧げる。


「どうにも、諦め切れなくってさぁ…………」


 空を満たすのは透明な光。
 見上げる天の静かさが辛くて。

 新たな涙が零れ落ちた。






 ヒューズが煙草に火を点ける。
 結婚した時に止めた煙草に。
 今日、ここでだけ、火を灯す。
 紫煙は乱れる事無く天へと昇って行った。
 まるで、彼が戻って来る為の目印の様に。


 歌を歌った事もあった。
 祈りを捧げた事もあった。
 ただひたすら名を呼んだ事も。

 ありとあらゆる言葉を贈り。
 思いつく限りの方法で呼び。
 ただ、ただ、還りを信じた。


 もう、これ以上、自分の内から出せる物はないと言うのに。
 どうして涙だけは涸れないのか、不思議だった。







 静かな慟哭が停滞した大気に風となり。
 立ち昇る紫煙は遥かな空で雲となって。
 乾いた大地に雨の代わりに涙が染みた。










 やがて、お互いに言葉無く立ち上がって。
 そしてまた、それぞれにスコップを手に取る。
 残された時間は少ない。
 例え2人の特権を出来る限り駆使してみても、ここに立ち入れるのは今日1日限りだったから。

 手分けして残りの苗木を植える。
 何時か還る友の為に。
 ここで彼と再会する事を信じて。


 少なくとも、彼は、泣いてはいなかったから。
 あの最後の時に、涙を見せてはいなかったのだから。












 空が光を失い始めた頃、迎えのシップが高空に現れた。
 それを見て、ヒューズが立ち上がる。
「じゃあ、またな」
「ああ、元気で」
 言葉少なに別れを述べて。
 軽く手を振っただけで、自分のシップへと向う。
 変に仰々しく別れたくは無かった。
 明日また会うかの様にしなければ、却って会えなくなるようで怖かった。
 迎えにシップと入れ違いにIRPOの小型シップが飛び立つ。
 一般のシップとは駆動システムを異にする独特のエンジンスクリームが遠ざかって行った。

 迎えに来た職員に軽く礼を述べて、リュートはシップに乗る。
 上着を脱いで座席へと座りこむ。
 差し出されるコーヒーを受け取り、一口飲んだのを見計らったかの様に、シップは上昇を始めた。


 窓へと視線を転じれば、徐々に遠ざかって行く廃墟の大地。


 赤茶けた大地に疎らに残る弱々しい緑と。
 最早、復興される事の無い瓦解した街並。
 砂塵だけが静かに広がって消えてゆき。

 そして、全てがまた、静寂の内へと沈み込む。





 遠ざかる風景を焼き付けて。
 リュートはゆっくりと瞼を閉じた。
 その脳裏には消え行く風景が映っていた。
 自分達が植え続けている木々の姿が。


 赤茶けた大地と瓦礫の風景の中で。
 そこにだけひっそりと息づく緑。
 大地に根付いた木々は、中央より四方へと細く広がっていて。



 あたかもそれは……。





 ……祈りの象徴の様にも、見えた。






















 最後の慟哭は、シップのエンジン音に飲込まれて消えた。



















 何処か遠くで鎮魂の鐘が鳴る。
 全ての安らぎを祈る鐘の音が。




 定めの時は終わった、と。






 陽月、相容れし時は来た。
 対の糸の紡がれるが如く。
 寄り合い引かれし御手のままに。
 運命(さだめ)のみをその安息として。






 故に。







 此処に泪の日、来たる。



 陽月、相容れしが故にーーー。







28th. FEB., 2008




lacrimosa 完結です。
このシリーズが双子その後編と分かれているのは、こういう理由からです。
こちらの双子は、もう還らぬ人なのです。
リュートもヒューズも、解ってはいるのです。
もう感付いてはいるのです。
……でも、認めたくないのです。

先生は変わらず<クーロン>で診療所を開いてます。
ゲンさんは7年前から消息不明です。
スライムも何処かへ行ってしまいました。
その他の旅に関わった物達は、それぞれの生活に戻っています。
2人だけが、こうして<キングダム>に訪れています。

1人となった双子は、全てに納得して去りました。
そうであっても、残された者は泪を流すのです。
還らぬ者の為に、泪の日を迎えるのです。


『泪』という銘を入れる為に、敢えて2月28日に拘ってアップして来ました。
そのため、完結まで3年も掛かってしまいました。
長々とお付き合い下さいまして、ありがとうございました。



2008.2.28





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