「何を考えている?」 背後から響く声。 低く、通るバリトンは、重々しい雰囲気を伴ってはいたが。 けれど、からかいの気配が含まれている事は隠しようも無く。 また、隠すつもりも無いようだった。 振り返る必要性すら感じなかった。 ![]() 「……別に何も」 視線を転ずる事無く答える。 目の前には、未だ広がる虚空。 相対すべき者の姿は見えない。 対峙を遅らせれている事実に惑わされない様に集中を高める。 その刹那に胸中に過る微かなざわめき。 ……『何も』? 自身の答えに生ずる違和感。 それに気付いて、微かな笑みが漏れた。 「……何も、では無いか」 「ほ……ぉ。では、何を考えているのかね?」 律儀に問い直される言葉に、肩が揺れた。 軽く瞳を伏せ、息を吐く間を取る。 声音が上がるのを押さえる為に。 ゆっくりと上げた視界を蒼く染め上げる、高空の主。 白銀の月に、その面が照らされる。 挑み上げる笑みを浮かべたその顔が。 「奴を倒す」 迷いの無い答えに背後の気配が微かに揺れた。 それが、驚きなのか納得なのか、それとも嘲りなのかは解らないが。 「奴と闘い、倒し、その資質を手に入れ、そして完全な術士となる」 敢えて言葉を続けたのは、何故だろうか。 思いの外、気分が高揚していたのかもしれない。 今や目の前に迫った対峙の時。 ただ一つの命題と掲げていたその瞬間が、来る。 「……その為だけに生きて来た」 恍惚となる。 全てに勝る、唯一つの命題。 成し遂げねばならない目標。自分が生まれ落ちた理由。果さねばならない使命。 夢見続けて来た、その瞬間が。 今や、目の前に。 不完全で在る事等、許されはしない。 闘い、勝ち、完全な術士となる。 それが全てであり、それだけを目指して来た。 瞳を細める。 望みし時は、来た。 「それで良いのかね?」 その悦びに水を差すかのような声。 響く声は、単純な疑問を口にしている様には思えなかった。 「何がだ」 返す言葉に角が立つのは仕方が無い事だろう。 それでも視線を返す事はせず、前を見据えたままに問う。 その問いに相手は冷ややかに言葉を紡ぐ。 「実の弟、なのだろう?」 言葉少なに。 真実のままを。 故に、気持ちが揺らぐ事は無かった。 「それがどうした」 背後から、今度こそ驚きを含む気配が返った。 言い放った一言は、多少の意外さを与えた様だ。 何故、意外などと思うのか。 その理由の方が解らなかった。 「……いや。迷いは無いのかね」 「在る訳が無いだろう」 そこに何故、迷いが生じる事がある。 唯一つの命題の為ならば何を厭う事があるというのか。 「不安や恐怖は?」 「馬鹿馬鹿しい」 「懸念も戸惑いも、かね?」 「……良い加減にしろ」 何を問いたいのかが解らない。 対峙を前に、こんなくだらない事で時間を潰すのは我慢がならなかった。 迷いも。懸念も。
不安も戸惑いも。 ましてや恐怖など。 この瞬間を前に何故感じるのか。 望み続けて来た対峙の時。 完全な術士となる。 それだけの為に命の全てを掛けて来たと言うのに。 魂の昂揚こそ感じるものの。 惑う事など、何一つ無い。 「何が訊きたいんだ」 それでも振り返りはせず、声のみで問う。 その背後で相手が肩を竦めた気配がした。 「ヒューマンにとって身内殺しは、大罪なのだろう?」 余りに的外れな言葉に、大仰な吐息が溢れた。 読めない男だとは思った。 何を考えているのか解らない奴だと。 だが、そもそも妖魔を理解しようとする事自体が無駄なのだと思い直し。 それ以上、その存在を気にする事はなかった。 利用出来るが、信用する必要は無い。 命題を果す為に使える人材に過ぎない、と。 とうに、結論づけていた。 それだけの存在が何を言い出すのか。 思わず視線を転ずる。 冷静な表情の下の怒気を隠そうとせずに。 返す言葉を選ぶ気にもならなかった。 「くだらないことを言うな」 見据えた相手は動じもせずにただ目を細めた。 一瞬だけ垣間見えた驚きは、直ぐに含みを持った笑みに変わる。 わざとらしく首を傾いで見せる仕草に、黒髪が月光を弾いた。 「くだらない、かね?」 「当然だ」 射抜く眼差しに容赦は無い。 だが直ぐにその視線を外し前へと向き直る。 その背に尚も問いかける声は響く。 「実の弟をその手にかける、と言うのに?」 「それが何だと言うんだ」 意味が無かった。 相手が誰だろうと、そんな事は。 この命題を果す為なら、何をしようと構わない。 「その大罪を背負う覚悟が出来ている、と言う事なのかな?」 余りにも的を外れた言葉に苛立ちを覚えた。 大きく息を吐いて言葉を紡ぐ。 「そんな程度の事が命題の前に何の意味を持つというんだ?」 前を見据える。 そびえ立つのは白銀の月光に照らされた岩肌。 対峙の舞台となる場所は整っている。 その相手は未だ現れないが。 「<キングダム>に生まれ落ちた以上、命題を果す事は絶対だ。これを上回るものなど何も無い」 迷いの欠片も無く言い放つ言葉。 それは、自分の中における確かな真実。 唯一無二の絶対なる信条だった。 「家族よりも大切、と言う事か」 そんな物と比べようも無いというのに。 馬鹿馬鹿しいにも程がある。 こんな下らない問答に時間を費やす事自体が無駄以外の何物でもなかった。 「<外>の連中と<キングダム>の術士を一緒にしないでもらおうか」 怒気を隠さない硬質の声が誇りのままに言い放つ。 「奴らが寄りすがっているそんな脆弱な共同体などに意義を感じた事は無い」 そう言い切って唇を結ぶ。 最早、言うべき事など無い、とその背に示して。 流石に背後の気配も押し黙る。 小さな吐息一つが頑なな細い背に弾かれた。 双瞳を染め抜く冴え渡った蒼。 月光のみに照らされた世界は大気さえも息を潜め。 そびえ立つ岩肌に幻想の光が音も無く降り注ぐ。 その世界が微かに身震いする。 軋む様に。畏れる様に。 月光が岩肌で砕け無機質に輝いて消えた。 緩やかに右手を掲げる。 その指先に灯った光は一瞬拡散した後に凝縮され、その掌の上で固形化する。 翠玉色に輝く玉石に浮かぶ印を認め、その瞳が笑みの形を造った。 ふ、と。顎を上げた。 脳裏を掠めた言葉に。 「家族、と言ったな」 不意に放った問いに背後の気配が肯定を返す。 「……それは同じ血脈に連なる者の事であり、そういった者達で造る生活共同体の事だと聞いたが」 「色気のない物言いだな」 苦笑を交えながらも否定はしない。 その答えに口元が笑みの形に歪んだ。 「むしろ後者の方が重要だとも聞いた」 続けた言葉を訝しむ気配に、喉の奥で笑いが漏れる。 「血縁よりも共に過ごした時間の方が大事だ、と」 「……!」 背後の気配が一瞬息を飲む。 溜飲が下がる思いでそれを感じた。 それさえも僅か一時で。 直ぐに笑みまじりの吐息がその背に届く。 「……そう言う事か」 「そう言う事だ」 言葉を返す傍から、その表情から笑みが消える。 ただ蒼銀の月をその瞳に捕らえて。 「奴は『弟』と言う名の『他人』だ」 言い切る言葉には欠片の惑いも無く。 そしてこれ以上の問答を続ける意思も無く。 振り返る。 只一言だけを告げる為に。 それを以て終りとする言葉を。 「くだらないことを言うな」 見据える瞳に容赦など無く。 その声音には温もりなど有り様はずも無く。 ただ、一瞥して。 そして背を向けた。 世界が震える声を上げる。 砕け散る光が新たな共鳴を生む。 時が至った事を知る。 待ち望み続けた対峙の時が。 命題を果す、その瞬間が。 来る。 片足、踏み出そうとしたその時。 「ブルー」 不意に、掛けられた声。 「是非とも生き延びたまえ。君は……興味深い」 その真意は量りかねた。 視線すら返さず地を蹴る。 空を舞った細身がそびえ立つ岩棚の上に降りる。 時を同じくして、相対する位置に舞い降りる姿。 それは、決して正反対という物ではなく。 けれど、鏡像の如くという訳でもなく。 何処までも同じでありながら、限りなく対極に位置し。 反発し合いながらも同時に融和する物であり。 「…………ルージュ…!」 呼ぶ声に紅の瞳が震えた理由は解らなかった。 何処か遠くで始まりの鐘が鳴る。 終焉の始まりを告げる鐘の音が。 定められし時は来た、と。 陽月、相見える時は来た。 対の糸の絡み合うが如く。 手繰り寄せし御手のままに。 運命(さだめ)のみをその絶対として。 故に。 此処に涙の日、来たる。 陽月、相容れぬが故にーーー。 28th, FEB., 2006
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Lacrimosa(ラクリモーサ)
「その日、涙にくれる日よ」という意味だそうです。 タイトルは、かのモーツアルトの遺作から。 たずみさんから頂いた絵が余りにも素敵だったから、 思わず暴走してしまいました。 お目汚しだと承知の上で晒します。 イメージ崩したらごめんなさい。 まだ、<マジックキングダム>を絶対だと信じていた頃のブルーです。 「完全なる術士」になる為には何をしても良いと信じていた頃です。 ルージュの方の事情は最後の2行に凝縮したつもり。 故に、対峙の日は「涙の日」……なのです。 「陽月」とは双子の事。 お口直しに改めて素敵絵をこちらからどうぞ♪ 2006.2.28 |