<オウミ>は観光地としても知られるリージョンである。 気候が良く治安も良い、眼前に広がる輝く海に新鮮な食材を活かした料理もまた絶品・とくれば、それも無理の無い話だろう。 観光客用のリゾートホテルも多く、その中には『高級』を銘打ったものもまた、少なくない。 その高級リゾートホテルの1室で、この風光明媚なリージョンには似つかわしくない女性の絹を引き裂くような悲鳴が上がったのは、お昼も少し過ぎた頃だった。 ◇ ◆ ◇
「きゃああああああッッッ!!!!ア、アセルス様、一体何を?!!!」 「ぅわああああっ??!!な、何?!!白薔薇、どしたの?!!!!」 鳴り響く2人の悲鳴。 と、それに重なる、何か物が床に散らばる騒音。 立ち寄った<オウミ>のホテルの1室の、バスルームにそれが響き渡った。 とっさに状況を把握出来なかったのはアセルスの方だった。 後ろで上がった白薔薇の悲鳴とそれに続く騒音に、驚いて振り返る。 視界に入ったのは、元より白い肌を更に白く、それこそ紙の様に蒼白にして、可愛らしい両手で頬を押さえ、大きな瞳を丸く見開き、呆然と立ち尽くす白薔薇の姿。 と、その足下に散乱する沢山の小間物達。 蒼白な面を押さえる小さな両手は細かく震え、真直ぐに自分を見つめる瞳も驚きに震えている。 が。 「…………え、えと?」 理由が、さっぱり解らない。 今日の昼前にここのホテルに宿を決めて。 2人で昼食を取りに行って。 白薔薇はそのまま買い出しに行き。 アセルスはホテルに戻り。 <オウミ>の陽気で汗をかいたから、シャワーを浴びて。 上がった所に白薔薇が帰って来て。 …………で、この状況に至るワケで。 やっぱり考えてみても理由は見当もつかず。 これは本人に効くのが一番手っ取り早いだろうと、思い直して。 「…………し、白薔薇?あの、一体、何……?」 未だ呆然としている親友の眼前に、軽く手を振りつつ尋ねる。 白薔薇はすっかり青ざめてしまった唇を恐る恐るといった雰囲気で開いた。 「そ……それは、私の方が……アセルス様、何を……何を、なさっているのです…………?」 「え?私・が?」 何、と聞かれて、改めて自分の状況を顧みる。 シャワー上がりでバスローブ姿で。 それがどうして、と思った時に、白薔薇の視線が右手に向かうのが解った。 右手に持ったままだった物を思い出し、ああ、と呟く。 そうして思い出す。……いきなりの絶叫で失念していたのだが。 「……髪、切ってたんだけど」 「か、かみ?……御髪(おぐし)、ですか?」 「うん、そう。ほら、結構、伸びて来たからさ」 頷くと右手に持っていた物……鋏をシャキ・と鳴らして。 ホラ、と声をかけて、おもむろに前髪を摘んで切ろうとする。 その瞬間、白薔薇が再び絶叫を上げて、アセルスに飛びついてきた。 「……おっ、お止め下さい!!あああ、どうかその様な恐ろしい事は!お止めになって下さいませーー!!!」 「わあああぁ!!!あ、危ないって、白薔薇、鋏が!!解った!解ったから離れてーーー!!!」 「後生ですから!!どうぞどうぞその様な事はなさらずにーーー!!!!」 「解った!!!解ったからぁーーー!!!ちょ、マジで危ないってばーー!!!!」 …………この騒ぎが収まるまでは、もう少し時間がかかったという。 ◇ ◆ ◇
「…………落ち着いた?」 「はい……大変、お恥ずかしい所をお見せしてしまい、本当に…………」 「いいよ、それだけ心配してくれた・って事だもんね」 ようやく一騒動が終り、バスルームから部屋へと場所を移して、2人は向かい合う様に座り直した。 自分のしてしまった事が恥ずかしいのか、白薔薇の頬には僅かに赤みがさしている。 それでも・と、顔を上げてアセルスを真直ぐに見つめて聞いた。 「けれど、何故、ご自分で御髪を切ろう等と思われたのですか?何時もきちんと専門の職人に任せていたではありませんか」 「専門の……って、美容室の事だよね。うん、まぁそうなんだけどさ」 白薔薇の言い回しに苦笑しつつも、自分の髪を軽く摘んで答える。 「ホラ、この色だと・ね。……色々言われてんのも聞こえちゃうし」 緑の髪というのは、自然の色では無い。当然、染めたとしか思われない色だ。染めるにしても勇気のいる色だから、滅多にいない。 ましてやアセルスは外見上は17歳である。未成年なのに、こんな派手な色にして……そういった非難を陰でされる事は度々だった。面と向っては、お洒落だ・とか素敵だ・とか言っておきながら、陰でコソコソと非難されると言うのは性に合わなかった。 「それは……アセルス様のせいではないでしょう?」 「うん、そうだけどさ。私、そういうのって好きじゃないし」 唯一<マンハッタン>の店では非難されなかったが、何しろ値段が他の店の数倍もした。流石にその値段では、通うワケにもいかないだろう。 「だから、そんな思いしてまで切ってもらうぐらいならね、いっそ自分でやっちゃおうかな・って思って」 そう言って両手で自分の髪を持ち上げて、にっこりと笑ってみせた。 努めて明るく言いながら、ね?と白薔薇に同意を求める。 けれど、その様子に白薔薇は軽く目を見張り。 そして唇を噛み締めて俯いてしまった。 膝の上で細い両手が握りしめられる。 どこか思い詰めた様にもみえるその仕草に、アセルスは不安になって白薔薇の顔を覗き込んだ。 「白薔薇?」 尋ねる声に、白薔薇は少し身を固くして。 そして、意を決したように顔を上げた。 「…………解りました」 その言葉にアセルスがほっとして笑みを零した、その時。 白薔薇が胸に手を当てて宣言したのだ。 「ではこれからは、私がアセルス様の御髪を切らせていただきます!!」 「はぃ?!え、あ、あの?!!」 予想外の返答に、アセルスは驚き言葉に詰まって。 その間に白薔薇はアセルスの手を両手でしっかりと握りしめた。 「し、白薔薇ぁ?!」 「アセルス様がそれ程お心を痛ませているとは存ぜぬに……お詫びのしようもありません。ですからせめて、そのぐらいの事はさせて下さいませ。これからは私が責任を持って御髪に当らせていただきますわ!」 「いやホント、あの、自分で」 「いいえ、成りませんわ!万が一、お怪我でもなさったらどうなさいますか!どうぞ私にお任せ下さい!!」 「や、あのね、だから」 「アセルス様!御身一つの問題ではありませんのよ!アセルス様の身にもしもの事があったら、私は……私はこの命をもってしても償い切れません!!」 「わわ、解った。解った。白薔薇に任せる!」 白薔薇の気迫に押され、結局、最後は強引に納得させられて。 首がもげそうな勢いで頷くアセルスに、それでも白薔薇はほっとした顔をみせた。 では、と椅子から立ち上がる。 「散髪の道具を揃えて参ります。申し訳ありませんが、もう少々お待ち下さいませ」 「え?鋏ならあるよ」 思わずそう言って、さっきまで手にしていた鋏を持ち上げると、とたんに白薔薇の表情が険しくなる。 「アセルス様!それは子供の玩具ではありませんか!そのような物でアセルス様の御髪を切るなぞ、私には」 「わー!!ご、ごめんごめん、そうだよねー!!うん、白薔薇に任せるよ!!」 慌てて手を振って謝る。謝った者勝ち・といった風情ではあるが。それに確かにアセルスの使っていた鋏は、普通の工作鋏だったので、髪を切るには難のある物ではあったし。 白薔薇は納得したように微笑み、それから行儀良く頭を下げた。 「では、言って参ります」 「うん。お願いね」 優雅に背を向けて、でも少し小走りに出かけて行く細い背中に、アセルスは気付かれない様に溜息を吐いて。 それでもちょっと照れくさそうに微笑んでいた。 ◇ ◆ ◇
ふわり・とシーツが身体を包んで。 細い指が髪を梳き上げる。 髪を切る音が、どこか心地良く響いた。 断続的でぎこちなくはあるが、でもその音には懐かしさが籠っていて。 ふと、過ぎ去った風景を思い出す。 ……そういえば、小さい頃はこうやって小母さんが髪を切ってくれたっけ。 闊達だったアセルスは髪を切られている間もじっとしていなくて。 怒られたり宥められたりしながら髪を切ってもらっていた。 もう戻れない風景は懐かしくて。 とても遠い昔の様にすら思えてくる。 懐かしさと寂しさと。 それと同時に込み上げてくる温もりは。 ……失ったと思っていた風景に近しいものを、取り戻した嬉しさかもしれない。 姉の様にも思う、大切な親友。 何よりも大事な人が、失った風景と同じ様に、同じ事をしてくれている。 もう戻れない日々に替わる新しい日々。 ゆっくりとその時間を噛み締める。 その確かな倖せを、温もりと一緒に感じながら。 「前髪を揃えますので、目を閉じていただけますか?」 「…………うん」 促されて目を閉じる。 その瞼の裏に、懐かしい庭が広がっているような気がした。 ◇ ◆ ◇
「さ、出来ましたわ、アセルス様」 「わぁ。白薔薇、ありがとう」 顔に零れた髪を白薔薇が払ってくれて。 瞳を開くと、目の前に嬉しそうな笑顔があった。 つられて笑みを返して、それから立ち上がる。 白薔薇が身体を包んでいたシーツを取り払ってくれている間に、鏡を探す。 部屋に備え付けの大きな鏡を見つけ、視線を向けて。 そして。 そこで、アセルスの思考が石と化した。 「……………………」 「あ……あの、アセル……ス様…………?」 鏡を見て固まってしまったアセルスに、白薔薇は恐る恐る声をかける。 「お気に……召しませんでした…………か……?」 返事が無い。 鏡を見て石化してしまったまま。 「あの私……御髪を切らせて頂くのは初めてで……あの何かご無礼を…………」 「……は……じめ、て…………。そ、か。そーだよね………」 呆然とアセルスが呟く。 確かに、考えてみればそうだろう。あの針の城には沢山の『お付きの妖魔』が居たワケだし。当然、こういった専門の分野はそれぞれに専属の者が決まってたんだろうし。 白薔薇は『寵姫』だったから、当然、そういった仕事まではしてなかっただろうから。 だから。 あるいは。 考えついても良かったのかもしれない。この可能性を。 「………………まえがみがまっすぐ…………」 ものの見事に横一直線に切り揃えられた前髪は、むしろ芸術の域かもしれなかった。 「…………も、申し訳ありません!!お気に召さなかったのですね!!何てご無礼を……!私……、私、何とお詫びすれば…………!!!」 後ろで上がった悲鳴のような声に、我に返る。 慌てて振り返ると、白薔薇は細い両手で顔を覆って泣き出した所だった。 「わーーーーーー!!!ち、違うよ、白薔薇!!そうじゃないよーーー!!ちょっと……ちょっと、そう、ビックリしただけだから!!」 泣きじゃくる白薔薇の肩に両手を置いて、必死で慰める。こうも泣かれると、正直、弱い。 「むしろスゴいよ?!上手じゃないか!!フツー、初めてでこんなにキチンと切れないから!!結構、難しいよね、ヒトの髪、切るのって!」 きちんとし過ぎてる気もするけども。それを言ったら泣き止まないし。 「結構ガタガタになっちゃうのにさー!!白薔薇、スゴいって!!才能、あるんじゃないか?!うん、スゴいよ!!」 「アセルス様…………」 才能……はあっても、磨かなければ意味が無い・とも言うけど。 今はとにかく。 この状況を打開するには。 「そうだ、これからもカットは白薔薇にお願いしていいかな?!!」 あ。 ……言っちゃったぁ。 と内心、思いはしたけれど。 「アセルス様……何とお優しい事を…………」 白薔薇の顔に、ぱぁ・と赤みがさす。 顔を覆っていた手で、今度は口元を押さえて。 泣きはらした瞳に光が灯って。 「うん!それがいい!!これからはカットは白薔薇に任せるから!!!」 アセルスが笑顔を作ってそう言うと、白薔薇が感極まったという風情でわぁっ・と泣き崩れた。 「ありがとうございます、アセルス様……!!私…………私、精一杯、務めさせて頂きますわ……!」 「うんうん、頼むよ、白薔薇!」 白薔薇は、本当に感激していたのだ。 自分の失態を責めもせずに、褒めてさえくれたアセルスに。 オルロワージュであれば、消されてしまっても仕方が無い状況だったろうに。 自分を気遣って慰めてくれた、そんなアセルスの優しさに。 本当に、心から感激して。 同時に、何としてでもこの恩義に応えよう・と決意していたのだった。 で、泣きじゃくる白薔薇の背を撫でながら、アセルスが考えた事は・と言えば。 …………まさか、自分で切り直すワケにもいかないし。 とりあえず、ムースかなんかで軽く分ける・か。 そうじゃなかったら、後ろに流しちゃうのもアリかなぁ。 でも、何とかしなきゃな。 頑張ってくれた白薔薇に申し訳ないもんな。 と言うような事であって。 見事にすれ違った気持ちのまま。 でもお互いを思い合う気持ちだけは本心からのものだったので。 それぞれに、それなりに倖せを噛み締めた、<オウミ>の午後の日差しの中だった。 4th, MAY, 2007
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………………ゴメンナサイ。 って、謝るべきですよねー!うがー!! な、なんか、凄まじくアホな話を書いてしまったでス。 何でこんなネタに・・・・・最初はまともだったのに・・・・・・。 絵を描いててふと「アセルスの髪は白薔薇が切ってたんだったら面白いよなー」 とか思ったのがきっかけでした。 『BATTLE with』です。だから、あの絵のアセルスは後ろ髪が長いんです。 あの髪は白薔薇と離れていた時間を意味してるのです。 でも、流石の白薔薇も、髪を切った経験はないだろうな・と思って。 ・・・・・そしたらこんなオチに。 ファンの方、申し訳ないです。 あの、一応念の為…………、私もこの2人は大好きですよ……? 説得力皆無??(汗) ホント、落とすかどうかで悩んだんですよぅ。 このままホノボノ終わってもいいかなぁ・とも思ったのに。 ・・・・・地ボケ体質がorz すんません。ホントすんませんでした。 2007.5.4 |