「いっや〜〜〜〜〜!おっはよぅ、諸君!!いい朝だねェ!!」 花を振りまきそうな浮かれきった態度でヒューズが姿を現したとき、その場にいたIRPOの隊員は全員大きく溜息を吐いてしまった。 その後の反応は、無視するもの・苦笑するもの・迷惑そうな顔をするもの、と様々であったが。 そんなものをものの見事に無視して、異様な陽気を振りまきつつ、ヒューズは自分のデスクに向う。 向いつつ、きょろきょろと辺りを見回してお目当ての人物を捜していたのだが。 ドアが開いてその姿が入って来ると、とたんにその表情を引き締めようとした。 ……したが、引き締めようとしても締まりきらず、真顔にみえて逆に頬の緩んだ奇妙な表情になったのだが。 「おはよう、ドール」 「おはようございます」 入って来た人物……ドールはそんな事を気にも掛けずに、他の隊員達に挨拶をしながら歩いて来る。 ヒューズは懸命になんでもない振りを装いつつ、その姿を横目で見ていた。 ヒューズとドールのデスクは背中合わせである。そのため、ドールはヒューズの方へと歩いて来る形になる訳だが。 歩み寄って来るとそのまま、ヒューズには一瞥もくれずに自分の席へと向ってしまった。 頭からコケそうになったヒューズは、それでもめげずにドールに声をかける。 「ドール、朝からそれはないんじゃないか?ああ、それとも、無視したフリして俺の気を引こうっていう新戦法かい?」 その声にぴくん・と反応したドールが振り返る。 そこにヒューズの姿を認めると、軽く目を見開いた。 「あら、いたの?ヒューズ。遅刻じゃないなんて珍しいわね」 「お……おいおい、それはないだろう」 あっさりとそう言われ咄嗟に言い返すのが遅れると。 「いっつも居ないから、てっきりそこには猿の人形を置く事にしたんだと思ったわ。それにしても、貴方が定刻通りに来てるなんて……今日は荒れるわね」 「言い過ぎだろ、それは!……って、それよりも、ドール、何か忘れてないか?」 「別に何も?」 「何もって……おいおい、今日は何の日だ?俺に渡すものがあるんじゃないかなぁ〜」 ヒューズがそう言った瞬間、それまで淡々として目も合わせなかったドールが、勢い良く振り返ったのだ。 あまりにも急で、ヒューズの方が驚く程だった。 ドールはそのままじっとヒューズを見入っている。 「貴方からそう言ってくれるとは、思ってなかったわ」 「え?!」 その言葉にヒューズの顔が輝く。 周りの隊員達も、驚いて2人のやり取りを見遣っていた。 ヒューズがドールに言い寄っているのは何時もの事で、そしてその結果は、ドールがヒューズをあっさり振って終わるというのが、普通だったから。 ドールのこの反応には、周りも驚いてしまったのだ。 「ちょっと待っててくれる?」 そう言うとドールはヒューズに背を向けデスクの方を向いて。 そして振り返ると、ヒューズにそれを差し出した。 凄まじい量の、書類の山を。 「んなッ?!!」 思わず身を引くヒューズに、ドールは尚もそれを突きつける。 過去に浮かべた事がないような、満面の笑顔で。 ……しかも、こめかみに青筋たてて。 「ドッ、ドール?!!おい、なんだよコレ?!!」 「見れば解るでしょ?始末書の山よ」 「はぁ?!何だってこんなもんが……ッ!!」 「貴方が今まで溜め込んでいた分、全部よ。今日中に提出して頂戴。報告書まで溜めてたでしょう」 「今日中だぁ?!!ふざけんなーーーーッッ!!!出来るワケねぇだろーがッ!!!」 「溜め込まなければ平気だったわよね」 そう言ってヒューズの胸元に書類を突きつけるのだが。 ヒューズが両手を引いて、断固として受け取ろうとしないものだから。 ついにドールはそれを、直接ヒューズのデスクに置いてしまった。 山を軽く叩くと、きつくヒューズを睨みつける。 「今日中に、間違いなく提出して。外回りは行かなくていいわ。行ったら帰って来ないつもりでしょう?」 ヒューズが完全に固まった。 ドールは部署を見渡すと、他の隊員達に声をかける。 「みんなも、今日1日、この机には触らないでくれる?あと、手伝ったりしないでね?図に乗るから」 「ほーい」 「了解〜」 「……だッ、だから、ちょっと待てーーーーッッ!!!!」 書類を置くとさっさと背を向けてしまったドールに、ヒューズは慌てて声をかける。 ドールは思い切り鬱陶しそうに振り返った。 「何?」 「そうじゃねぇだろ!!チョコ!先にチョコをよこせーーーッ!!」 「子供じゃあるまし、なぁに?その理屈は」 「なに言ってやがる!!バレンタインだろが、今日はーーー!!!チョコだ!俺はチョコを要求する!!チョコくれるまで、絶対にやらねぇぞ!!!」 余りの屁理屈に、ドールは眉間を押さえると深く溜息を吐いた。 「……本当に子供ね」 「うるへーーーー!!!チョコよこさねぇ限りは絶対にやらねぇからなーーーーッ!!」 「…………チョコレートをあげれば、やるのね?」 「おお、やってやらぁ!!!」 「そう」 鼻の穴を広げて右手を差し出し断言したヒューズに、ドールは1つ頷くと。 小さなチョコレートを取り出した。 それは、20クレジットで買える、王道の駄菓子チョコだった。 「はい、チョコレート」 「…………ッッ!!!!」 目の前に突きつけられたそれに、ヒューズが言葉も返せずに絶句する。 ドールは冷たい眼差しでそれを見遣ると、無言で固まったままだったヒューズの右手にそのチョコを乗せた。 「確かにあげたわよ。じゃあ、あとは頑張って」 そう言うとくるりと背を向けて。 「サイレンス!今日のパトロール、私が一緒に行くわ。ヒューズはデスクワークに変更だから」 声をかけると、サイレンスは特に動じもせずに頷いた。 そのまま2人はパトロールに向う準備を始める。 他の隊員達も、苦笑しつつもそれぞれ仕事に取りかかりだして。 部署の中が何時ものざわめきに包まれた頃。 ようやく、ヒューズの金縛りが解けた。 「……って、待てやコラーーーーッッ!!!!」 慌てて怒鳴った時には、既にドールはサイレンスと行ってしまった後で。 周りを見渡せば、全員揃って目を背けてくれるし。 恐々、デスクへと視線を向ければ、幻であってくれ・と願いたくなる様な書類の山が確かに鎮座する。 天を仰いでも、そこにはただ無機質な天井があるのみで。 まわりは素知らぬ顔。 日常のざわめきに、独り、取り残されて。 暫く呆然と佇んでいたが。 やがて。 その拳を震わせると、絶叫した。 「…………やってられるかあぁッッ!!!!」 虚しいその絶叫に答えはなかったけれど。 ◇ ◆ ◇
結局、その日1日、隊員全員が何だかんだと理由をつけて、ヒューズの側には寄ろうともせず。 せめてレンに手伝わせようとしても、そこはしっかりとドールにガードされており。 サイレンスは表情1つ変えず素通りし。 ラビットには、ドールが先に「手出し無用」の特殊命令をプログラムしていて。 コットンはそもそもデスクワークが出来るワケも無く。 他の隊員達には部長が先回りして違う指示を与るという行動まで取っていて。 誰一人、助けを求める事も出来ない状況のまま。 昼食すら、出て行くより早くドールにパンを押し付けられて、デスクで取る事を強要されて。 半ば、監禁にも近い状態のまま、終了時刻を迎える事になった。 ◇ ◆ ◇
「ドール!」 「あら。お疲れさま、レン」 帰り際、職員玄関付近で声をかけてきたレンに、ドールが振り返る。 同期であるレンにドールは他の人よりは穏やかな表情を良く見せる。今も浮かべているのは柔らかな笑顔だ。 対してレンは、不安そうに後ろを振り返った。 「いいのかい?先輩に、ちゃんとチョコあげなくて……」 困惑気味に言うレンに、ドールは楽しそうに笑う。 「ちゃんとあげたでしょ?」 「いや、あの、アレじゃなくて……義理でいいから、もっときちんとしたのをあげないと、明日から色々とうるさいんじゃないかと」 レンはレンなりに心配しているのだ。……ヒューズの機嫌が悪くなる事を。 なにしろ、真っ先に八つ当たりされるのは、自分なのだから。 安物でも大量生産品でもいいから、アレよりはましなチョコを贈らないと、明日以降のヒューズの急降下振りは目に見えている。 けれど、そのレンの心配を余所に、ドールはくすり・と笑った。 「だからあげたわよ。ちゃんとしたヤツを・ね。ま、今日中に食べられるかどうかは本人次第だけど」 「え?」 くすくす笑うドールをレンは驚いて見つめた。 今日、1日のドールの行動を思い出しても、そんな素振りは見当たらなかった。 昼に買って来たパンの中に、嫌味の様にチョココルネが混ざっていたけれど、まさかそれの事ではないだろう。 何よりも、チョコレートを貰っていたのなら、もっとヒューズの機嫌が良くなっていた筈なのだが。 眉間に皺を寄せて首を傾げるレンを見て、ドールは笑みを深くする。 「そんな事よりも急いだ方がいいんじゃない?エミリアちゃんとデートでしょ?」 「あ!う、うん、そうなんだけど」 途端に顔を真っ赤にするレンに、ドールは楽しそうに笑った。彼女のこんな笑顔は珍しく、通り過ぎる職員が思わず振り返る。 「今年はチョコはないから、心配しないでね。他からも貰ってないんでしょう?」 「大丈夫!今年はコレ1個だけ」 レンは口元を引き締めて頷く。今年、レンが受け取ったチョコレートは、女性隊員が割り勘で隊員全員に買った義理チョコ1個である。 去年は、義理とは言え幾つものチョコレートを貰ってしまい、それが原因でエミリアとケンカしてしまったのである。 ドールも同期のよしみとして個人的にチョコレートをあげていたので、ちょっと責任を感じていた。 今年唯一貰ったチョコレートは隊員全員に配られたものだから、流石にエミリアもこれぐらいは許容してくれるだろう。それに、いくら何でもそこまで同僚をないがしろにも出来ないし。 頷きながら、大丈夫・と繰り返すレンをドールは姉の様に微笑んで見つめて。 そして、その背を軽く叩いた。 「じゃあ、後は遅刻しないだけね。さ、行ってらっしゃい!」 「うん!ありがとう!」 軽く頬を染めて笑顔で手を振り返して、レンは走って行った。 その背を見送ってから、ドールは少しだけ後ろを振り返って。 小さく笑うと、後は振り返りもせずに帰路に着いた。 ◇ ◆ ◇
「………………信じられねぇ」 呆然と、そう呟く。 その声に答える者は、誰もいない。 昼の喧噪は嘘の様に消え去っていた。 「マジでみんな帰っちまったぜ……」 時刻は午後7時38分。 みんな、次々と理由を付けて帰ってしまい。 部署に残っているのは、今やヒューズただ一人になっていた。 書類の山は、まだ半分以上残っている。 幾分低くなったとはいえ、依然としてうずたかく積み上がったそれを、イヤそうに見遣って。 ヒューズは溜息を吐くと、カップへと手を伸ばした。 すっかり冷めきったコーヒーを一気に飲み干す。 そして、このカップと乱暴に置くと。 今日、何度目かも解らない絶叫を上げる。 「いい加減にしろってんだーーーーーーッッ!!!……っと、やべ!!」 思わず拳まで振り上げたものだから、その手が書類の山へとぶつかってしまい。 そうじゃなくても不安定だった山は、隣のデスクへと崩れ落ちて行ったのだ。 何枚かは床へと散らばってしまう。 「がーーー!なんだってこぅ、余計な事まで起きるんだよ!!」 怒鳴りつつ散らばった書類をかき集めて、崩れた山を直そうとして。 ふと、その手を止めた。 書類の中に埋もれていたものを、見つけて。 書類と書類の間。 それも、かなり下の方に。 こっそりと隠す様に挟まっていたもの。 それは、スクエアチョコレートの箱だった。 それを手に取って、暫し呆然と見つめる。 なんでチョコが書類から出て来るのか。 その理由へと考えを巡らせて。 そして。 「あ!!!」 破顔した。 そのまま、思い切り声を立てて笑う。 納得したのだ。 その理由に思い当たって。 この、山の様な書類。 触れた人は、自分の他にはただ独り。 昼食もここで取ったから、間違いない。 朝、ここに積み上げたドールだけだった。 「あのヤロウ」 チョコを眼前にかざして苦笑する。 「渡すなら、もっと解りやすく渡せってんだ」 手作りではないけれど。 名の通ったメーカーのチョコレート。 しかも、書類の山の、かなり下の方に入れてあった。 終わった時に、ご褒美として出て来る予定だったのだろう。 偶然にも崩してしまったから、早く見つけてしまったけれど。 「このチョコ1枚で、やる気が変わるんだぜ?……ったく、解ってねえなぁ」 無造作に包装を破り、チョコを1枚、取り出す。 ビターのほろ苦い味が、ドールの選択らしかった。 旨い、と頷いて、デスクへと向き直って。 おもむろに腕まくりをした。 「……明日を覚えてろよ?」 楽しそうに笑いながら、書類との格闘を再開する。 妙に燃えたぎった闘志を背負いながら。 ちなみに、このチョコレート。 本来ならば、『全部終わってから食べる事』というメモが貼ってあったのだが。 崩れた時に、そのメモが外れてしまったのだったりする。 ヒューズはその事を知らないで食べてしまった訳なのだが。 翌日、その事が原因で、結局またドールに怒られるハメに会うのだった。 11th. NOV., 2008
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ドールさん、義理チョコだとは思いますけどw オチは普通かな・と思ったけれど。 でもまぁ、王道もいいか・と言う事で、このままいきました。 ルーファス×ライザの方でちょこっと触れた、去年のレンとエミリアの喧嘩。 こういう真相ですw あ・でも、エミリアの名誉の為に言うと、ただレンがチョコを貰って来たから怒った訳ではないのですよ。 そのチョコの中に、明らかに義理ではない・と解る物が混ざっていたから怒ったのです。 手の込んだ手作りとか、高級品とかですね。 で、ドールのチョコも怒りを爆発されるきっかけになってしまっているので。 なので、ドールもちょっと気にしてるのです。 ここまで入れると長くなり過ぎるので割愛しました。 あ・もちろん、誤解は解けてます。 今ではドールとエミリアも、好い友人です。 しかし、これでいいのか、ヒューズ……w 2008.2.13 |