例えばそんな愛の形



「ごめんね、本当にごめんねー!」
「いいのよエミリア。気にしないで」
 頭を下げて、必死の表情で謝り倒すエミリアに、ライザを始めとするメンバーは笑顔で応えていた。
「そうよぉ、新婚さんなんだから♪」
「そうですよー、エミリアさん。気にしないでデートして来てください」
「ううぅ、でもぉ。……お店、忙しいでしょ?本当にごめんね」
 笑ってもらっても、それでもエミリアは申し訳なさそうに両手を合わせる。
 その仕草が子供の様で、ライザはつい手を伸ばすとその柔らかな髪を撫でてしまった。
「また新婚さんに亀裂が入る方が大変よ。いいから気にしないで休みなさい」
 ライザに撫でられて、エミリアは小さく頷く。
 それから手にしていた大きな紙袋を差し出した。
「これ、チョコレートケーキなの。みんなで食べて?」
 紙袋に書かれた高級菓子ブランドの名前に、みんなが一斉に歓声をあげる。
 今日は既に、ライザからもチョコレート詰め合わせの差し入れがあったが、そうであってもエミリアのケーキは格別なのだ。
 代表してアニーが袋を受け取った。
「ありがと!今日の賄いにもらうね。さ、もういいから行きなよ!待ち合わせに遅れるよ!」
「う、うん!ごめんね、みんな!お先にー!!」
「はい、お疲れさまー!」
 手を振って駆け出すエミリアをみんなが笑顔で見送る。
 エミリアは、今日これからデートだ。
 結婚して1年以上経ったが、それでもあの夫婦はまだ新婚の雰囲気を漂わせているから。
「今年はケンカしないですむかな」
「本当ね。去年は大変だったし」
「そもそも、ケンカが原因でグラディウスに入ったんですもんねー」
「でも、エミリアさんには絶対に倖せになってほしいです!」
「そう!不幸になったら今度こそレンさんをぶっ飛ばす!」
 みんな口々にエミリアへの思いを口にする。
 エミリアは、ここグラディウスではとても大切にされているのだ。
 普通の幸せを諦めたようなメンバーが多い中、1人の女性として最愛の人と波乱を乗り越えて無事に結ばれた彼女は、どこか憧れの具象化のように思われている所があったから。
 みんながエミリアの恋を応援していたから。
 だから、バレンタインデーを迎えた今日、エミリアが4時でお店を上がろうとも、誰も文句を言わなかったのだ。


 バレンタインデーは、飲食店も書き入れ時だ。
 特に<クーロン>では一層忙しい。なにしろ、既に出来上がっているカップルは、チョコレートと食事がセットになっている場合が圧倒的だからだ。
 男性が食事をセッティングして、女性がその席でチョコを渡す・というのが、最近の主流なのだ。
 ここ、グラディウス経営のイタメシ屋でも、既に予約で大半の席が埋まっていた。
 だから、本来ならばメンバー全員フル稼働しなければならないのだが。


「ま・あたしら、エミリアには甘いもんね」
 アニーがあっさりと笑う。
 厨房の中は夕方からの食事の準備で大わらわだ。さながら戦場の様に沢山の音が鳴り響いている。
 その音から逃れる様にこっそりと、アニーはライザに顔を寄せる。
「で?ライザはどうなの」
「どうって何が?」
 冷静に問い返すライザに、アニーはちょっと含みのある笑みを見せた。
「ごまかさないの。ルーファスとの予定はどうなのさ?」
 悪戯っ子のように目を細めて笑うアニーに、ライザは軽く目を見開いた。
 でも直ぐに肩をすくめると視線を外す。
「何、言ってるの。とっくにそんな関係じゃないわよ、私達は」
「まーたー。意地っ張りなんだから」
 くすくすと笑うアニーをちらりと見て、ライザも意地の悪い笑みを浮かべる。
「そういうアニーはどうなの?今年こそ本命は?」
「いないよ、そんなの。義理なら何個か配ったけどね」
 あっけらかんと答えるアニーに、ライザは溜息を吐く。
 本当はアニーにも、きちんとパートナーとなれる人物を見つけて欲しいのだが。
 生憎、この年下の親友はなかなかそういう相手を見つけて来ないのだ。
 男友達なら沢山いるようなのに、どうしてみんな、この美人を放っておくのか。
 そう思うとついつい溜息が出てしまう。

 話はいつの間にか逸れていたようで、チョコともバレンタインとも違う話題になっていた。
 そんな状況も直ぐに終わってしまうのだけれども。
 最初の予約客が店の扉を開ける。
 そして直ぐに、追われる様な忙しさに飲込まれ、世間話をするヒマなどなくなっていた。





◇       ◆       ◇





「じゃ、お先に失礼しますー!」
「ええ。お疲れさま」
 厨房を最後まで片付けていたメンバーを見送って、ライザはようやく息を吐いた。
 事務室の椅子の上で、大きく伸びをしてしまう。
 今日は本当に忙しかった。去年の3割増の忙しさだったような気がする。
 表の顔に過ぎない筈のこの店がこうも忙しいというのは、何か間違っている様な気もするのだが。
 そんな事をつらつらと思っていると、不意にドアが開いた。
 顔を出したのはルーファスだ。
「すまないが、下にコーヒーを1杯、もらえるか」
「分かりました」
 それだけ言って、ルーファスは下へと降りて行く。
 下・とは、グラディウスの支部の事だ。さっきまで戦場の様な厨房でフライパンを握っていた男は、どうやらこれから組織の仕事に取りかかるつもりらしい。
 仕事熱心なのは構わないが、もう少し自分の身体を考えてはどうかと懸念してしまう。
 尤も、言ってみた所でさして聞き入れはしない事はもう、経験から知っているのだが。
 席を立って、厨房へと戻る。
 広い厨房はさっきまでの喧噪が嘘の様に静まり返っていた。
 綺麗に片付けられ、調理台もきちんと拭かれていて、汚れ一つない。

 ・・・・・いつもなら、そうなのだが。


 今日は何故か、箱が一つ、調理台の上に乗ったままだった。


 仕舞い忘れだろうか・と思ったが、近づいただけで違うと分かった。
 調理台の上に乗っていたのは、純正ココアの箱。
 そして側には、メモが1枚。
 取り上げてみると、見慣れたアニーの字で簡単なメッセージが記されていた。


『  ルーファスに出してあげなよ!  』






 メモの向こうでアニーが笑っている様な気がした。






「…………馬鹿ねぇ」

 言葉とは裏腹に口元が綻ぶのを感じる。
 押さえようとしても、どうしょうもなく笑みが浮かんで来る。
 アニーの心遣いが嬉しくて。

 でも。

 そっと箱を取り上げると、ライザはそれを棚に片付けてしまった。
 代わりに何時ものコーヒーを取り出し、コーヒーメーカーの準備を始める。
 小さめのケトルに水を張って、コンロに掛けた。
 業務用のコンロである。直ぐに湯は沸くだろう。
 ルーファス常用のコーヒーカップを取り出し、コーヒーメーカーに並べて置いた。


 何時ものコーヒーを、何時もの様に出す。
 それでいいのだ。
 ココアなんて、普段から出した事も無いのに。
 今日、この日にそれを出したら、却って気を遣っているのが見え見えだ。



 バレンタインデーだからといって、特別な事をするような仲ではないのだから。



 湯の湧いた音を聞いて、ライザはケトルをコンロから下ろした。
 コーヒーメーカーに注いでから、カップにも湯を張る。
 直ぐに厨房は、何時ものコーヒーの香りで満たされる事になった。







 何時ものコーヒーを、何時もの様に。
 特別な事なんて、何も必要ない。
 バレンタインデーに拘る様な関係じゃないし。
 そんな事を意識するなんて、今更すぎる。



 普段通りで良いのだ・と。
 そう思いながらも。
 ふと脳裏を掠めた考えに、ライザは小さく笑みを漏らした。



 ほんのちょっとした、悪戯に。






◇       ◆       ◇





「失礼します」
 軽く扉を叩いてから、執務室の中に入る。
 ルーファスは机に向い、書類の束と格闘していた。
「ああ、済まない」
 湯気の立つコーヒーカップを机の上に置くと、顔も上げないで返事をする。
 だが、次いで響いた何かを置く音に、ようやくその顔を上げた。
 ルーファスの視界に入った物は、コーヒーカップと並んで置かれた小皿が1枚。
 その皿には、チョコレートケーキが一切れと小粒のチョコが数個乗っていた。
「これは?」
 怪訝そうに顔を上げて問う。
 ルーファスは普段からあまり甘い物を口にしない。それなのに何故、チョコが付いて来るのか。
 サングラス越しの視線を受け止めて、ライザはにっこりと笑った。
「差し入れですって。バレンタインデーだから」
「ああ。成る程」
「ケーキはブランデーを使っているし、チョコはビターを選んで来たので口に合うと思うけれど」
「そうか。済まないな」
 簡単に礼を言うと、チョコを1粒手に取って口に入れた。
 吟味する様にゆっくりと味わい、飲込んで、納得した様に頷く。
「中々、良い味だ」
「ありがとうございます」
 笑みを崩さないで頭を下げる。
 ルーファスはまた、書類へと向き直った。
 ライザもトレイを手に背を起こす。
「カップとお皿は厨房に戻しておいて下さいね。じゃあ、お先に失礼します」
「ああ、お疲れ」
 書類から顔を上げる事も無く片手を上げるルーファスに1礼して。
 そしてライザは執務室を後にした。





◇       ◆       ◇





 すっかり夜も更けた<クーロン>の街へと歩き始めて。
 どうしても口元が綻ぶのを押さえられなかった。
 気を抜けば笑い出してしまいそうだ。

 ……さっきのルーファスの反応を思い出すと。



 確認もしなかったのだ。あの男は。
 チョコレートが、『誰から』の、差し入れなのか。



 ケーキはエミリアからの物だけれども。
 チョコが自分からだと知ったら、どんな反応を示すのだろうか。
 見てみたい気もしたけれど。
 見なくてもいいようにも思った。






「……本当に、気が利かないんだから」






 知らなくても良い事を、無理に掘り返す事は無い。
 今の関係を壊すつもりもないし。
 これは、ただの悪戯だから。
 バレてもバレなくても関係ないのだ。


 それでも妙に胸元がくすぐったいように感じながら。
 ライザは家路に着いた。




 何時もよりも妙に軽い足取りで。











3rd. FEB., 2008




ルーファスを何度かルーファウスと書いてしまったですよ……w
実はどっちがどっちか混乱する事が結構あったりします。

エミリアは、言うならばグラディウスのアイドルなのです。
みんなに可愛がられて大切にされているのです。
みんな、自分達は諦めてしまった倖せを手に入れて欲しいと思っています。
表のお店には手伝いに来ますが、裏の仕事はもうやっていません。
今の立場は、あくまでも『お店のバイトさん』なのです。

さて、ライザ姐さん。
本チョコでしょうか。義理でしょうかw
それは想像におまかせしちゃいます♪


2008.2.4





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