嵐の始まり






 風が吹き抜けて行った。
 空は淡い光を帯び。
 その中空には大きな月が浮かんでいる。

 辺りはただ静寂。
 物音一つせず。
 気配すら無い。

 吹き抜ける風と。
 降り注ぐ月光。


 それらに包まれた世界は、どこまでも広がる砂の海だった。




「砂漠…………?」
 呆然とウソップは辺りを見渡した。
 視線の届く限り、目に入るものは一面の砂しか無い。
 青い月光に照らし出された砂の海。
 乾いた音を立てて風が吹き抜けて行く。

 その砂漠の中。
 辺りには誰もいなかった。

「みんな……どこ行ったんだ?」
 見渡す世界はただ砂漠のみ。
 仲間達の姿は、何処にも無い。
 不安と焦燥に駆られ、もう1度周りを見渡して。
 そして、皆の姿を見つけた。

 すぐ側にある大きな砂丘。
 その斜面を皆は歩いていた。

「お……、おおーーーーい、みんなぁ!!」
 安堵と共に大きく手を振る。
 砂丘を昇って行く仲間達の姿に。
「そんなトコにいたのか!待てよー!おーい!!」
 慌てて後を追う。
 崩れる砂を踏みしめて走り出す。
 けれど、その足下は脆く、昇る傍から崩れてしまう。
「歩きにくいな、こりゃ……。お、オイ!!待てって!!」
 皆は砂など気にもせずに昇って行く。
 その歩みが滞る事は無い。
 まるで平地を歩いているかの様に、先へと進んで行く。
 いつもの様に、楽しそうに笑いながら。
 その先には大きな月。
「待ってくれ!!おい、置いてくなよ!!おれがまだここに居るんだぞ!!!」
 声が届かないのか。
 姿が見えないのか。
 皆、足を止めようとはしない。
 振り返ろうとすらしない。
「待ってくれよ!!ルフィ!!みんな!!!……なんで、オイ!!」
 姿がどんどん遠ざかる。
 走ろうとするのに、足下の砂は崩れるばかり。
 砂丘が目の前にそびえ立っていく様。
 遠ざかる距離。
 小さくなる姿。
「待てってばよ……!おれを……置いていくのか!!」
 叫びが届かない。
 姿が見えなくなる。
 遠く……遠く。
 砂と月の境界へ向って。
 懸命にその後を追おうとするのに。
 走ろうとすればする程、砂は崩れて行く。
 その足が不意に何かにつまずいた。
「……ッ!!!」
 足を取られ、砂に倒れ込み。
 慌てて上げた視界の中。


 仲間達の姿が月光の中に揺らいで消えた……。


「……ウ……ソだろ……。オイ…………ッ」
 呆然と見上げる。
 仲間達が消えて行った砂丘の果てを。
 その姿を飲み込んで悠然と輝く月を。
 風が吹き抜ける。
 砂が乾いた音を立てて世界を叩く。
「なん……で…………」
 取り残された・という事実が、唐突に重くのしかかる。
 見開いたままの瞳に、もう仲間達の姿は無く。
 ただ、月だけが冷たいまでの光を放つ。
 砂が砂丘に降り注ぐ音だけが響く。

 誰の気配も無く。
 他の物音も無く。


 只1人。

 ここに残されたのだ……と。







 ーーーーーじゃあな……ウソップ。


 不意に耳に蘇る声。


 ーーーーー今まで…楽しかった。









「…………ッッ!!」
 聴いた事も無い程に固いルフィの声。
 突きつけられた現実。
 そう……自分は。



 見限られた……んだ。





 風が砂を巻き上げて吹き抜けて行った。









 呆然と立ち尽くしていたその足下に。
 何かの姿が浮かび上がる。
 吹き抜ける風が、砂丘の下に埋もれていたそれを露にする。
 砂が払われて。
 少しずつ姿が現れる。
 見覚えのあるその形に、ウソップの目が見開かれた。

「……メ……リィ……?」

 砂丘に埋もれて。
 半ば倒れる様に。
 そこに横たわっていたのは、間違いなくゴーイング・メリー号だった。


「メリーッ!なんで……なんで、お前がこんな所に……?!」
 見間違え様の無い船首像に駆け寄る。
 砂丘の中から現れたその姿に呆然となる。
 大海原を駆ける船が、何故こんな砂漠の只中にあるのか。
「どういう事なんだ……一体、何が……」
 その姿だけでも衝撃だったのに。
 更に目にした現象が、ウソップの全身を凍り付かせた。

 メリー号の船体に当る風。
 その風が、メリー号を砕いて行く。
 風の当る場所から、その船体が壊れ、砕け散っていく有様に。

「……ぅ、あああああ!!!!」

 絶叫を上げ、メリー号へとしがみついた。
「ダメだ!!やめろ!!メリー……メリー!!やめろよ!壊すな……壊さないでくれ!!!」
 懸命に手を広げ、縋り付き、その船体を護ろうとするけれど。
 風の吹き付ける範囲を覆いきれる筈も無く。
 船体が砕けて行く。
 風に砕かれ、砂に紛れて行く。
 船であった筈の物が、只の木切れになり、そして砕け消えて行く。
「ダメだー!!メリーはおれの大事な……っ!!この船は……カヤが……!!!!」
 船体がほぼ砕け散ってしまい、残ったのは船首像のみとなり。
 ウソップは懸命にその船首像を抱きしめた。
 せめて、それだけでも護ろうとするかの様に。


 …………なのに。


 抱きしめた腕の中で。
 その船首像が砕け散る。
 余りにも脆く、儚い音を立てて。
 粉々に。
 欠片すらも残らない程に。





「……………………ッッ!!!!」




 絶叫はもはや、声にすらならなかった。













 風が吹く。

 全てをただ取り巻いて。

 冷たいまでに無情に。


 人の微かな機微など意にも介さずに。



 風がただ吹いていた。










 いつの間にか波の音が響いていた。















◇       ◆       ◇




 見開いた視界に入るのは、夜明け間近の空。
 雲が黄金色に輝いて流れて行く。
 動きが速い。上空はかなりの風の様だ。
 吹き抜ける風も何時に無く強い。

 マストの先端で海賊旗がはためいていた。


 まだ朦朧とした意識に届く、耳に馴染んだ波の音。
 身体に感じるのは船体の揺れと。
 湿り気を含んだ潮風。

 それらがゆっくりと意識を覚醒へと導いた。


 輝きを帯びた空に、夜明けが近い事を知る。
 そして、自分の居る場所を自覚する。
 ここは……ゴーイング・メリー号の甲板だ。
 どうやら甲板で一晩明かしたらしい。
 そして…………夢を見ていたらしい。
 あまり思い出したくも無い様な夢を。

 起き上がろうとして、全身に走る激痛。
 痛みが、全ての感覚を覚醒させた。
 思い出す、昨日の夜の事を。




 昨夜、ルフィと決闘をして。
 そして、敗れたのだ……。




 痛みを堪えて身体を起こす。
 視界に入る船には……何も残っていなかった。
 誰の気配も無い。
 波の音と船体の軋み以外は何も聞こえない。
 手向けの様に残された海賊旗だけが、マストの上で翻っていた。


 目を覚まして、改めて突きつけられた現実。
 夢の中でも、夢から覚めても。
 ウソップは独りだった。

 独りきりだった…………。





 ゆっくりと立ち上がる。
 痛みに身体のあちこちが軋んだ。
 踏みしめた甲板が微かな音を立てる。
 何処か遠くで海鳥が鳴いていた。

 金色の雲が風に流されて行く。

 痛む身体で船首像へと歩み寄る。
 身体の何処よりも痛む箇所がある様に思ったが、今は無視した。
 暁の空が青から透明へと輝きを変えて行く。
 遥かな水平線まで波頭が白く光を放っていた。

 船首像の上にルフィが居ない事に違和感を覚えた。

 そっと手を伸ばして。
 一瞬思い出した夢の感覚に、その手を止めたけれど。
 それを振り払う様に、船首像に触れる。
 柔らかな木の温もりが寂しかった。
「…………メリィ」
 静かに船首像を撫でる。
 慈しむ様に、優しく。
「大丈夫だ、メリー」
 想いを込めて声をかける。
 優しく、柔らかく撫でながら。
 静かに囁く様に。
「おれは……お前を見捨てたりしねェから」

 語りかける声が震えた。

「ずっと一緒だ……。おれは……おれだけは、何があっても」
 船首像へと腕を回す。
 そっと……包み込む様に抱きしめる。
 唇を噛み締めて。
 震える息を逃して。
「絶対にお前を見捨てねェから……」


 誓いの様に。
 覚悟の如く。


「だから……心配、するな…………」




 朝日が昇っていた。




 雲が金色から白金へと輝きを変えた。
 追われる様に流れて行く。その形を変えながら。
 波頭の輝きが海を満たす。
 白く透明な光が空を染め上げていた。

 幾度となく見た、船上の夜明け。
 その風景は何時もと何ら変わりなく。
 昨夜の出来事など、まるで知らぬかの様に。



 だから。



 ウソップは顔を伏せずにはいられなかった。
 船首像に顔を埋める。
 きつくその腕に力を込めて。

「…………心配……するな………」





 波の音も。
 海鳥達の声も。
 船の揺らぎも。
 潮風の香も。

 夜明けの風景も。


 余りにも何時も通りで。





 世界は、余りにも何時も通り過ぎたから。












 …………怪我をしていない筈の箇所が何よりも痛んだ。






「…………ィ」


 小さな声は潮騒に飲み込まれて消えた。















 顔を伏せたままのウソップの頭上を雲が流れていった。
 その速い動きは上空の風の強さを物語っていた。



 その風が告げていた。
 言葉無く。けれど明確に。
 嵐が迫っている・と。







 夜明けが訪れていた。
 嵐の始まりの、朝が……。











22th, MAY, 2007





37巻でのフランキーとのやりとりを思うと。
ウソップは。
……メリーと心中するぐらいの覚悟でいたんじゃないかなぁ・と。
メリーがもうダメだと解っていても見捨てられなかったんだから。
一緒に海に沈んでもいい・ぐらいの気持ちがあったんじゃないかな・って。
そんな風に思った。

どれだけ泣こうとも。
苦しくても辛くても傷ついていても。
世界は何も変わらない。
それが時として救いになり。
そして逆に残酷さともなる。


何か、臆病でもビビリでも最後は震えながら闘う所とか、
ポップ(ダイの大冒険)に似てるな・と改めて思った。
いっそ、ポップのメドローアのように、
主人公を食っちゃうぐらいの究極技を身に付けちゃいなさい。



2007.5.22



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