想いを秘めて






 比較的、穏やかな日々が続くグランドラインで。
 取り立てて、大きなもめ事なく航海を続けるサウザンド・サニー号から。
 まぁ別段、珍しくも何ともない罵声が響き渡った。


「いい加減にしやがれ、このクソゴムがーーーーーッッ!!!!」


 声はサンジの物で。
 時刻は午後2時49分。
 ……何時もの様にあとちょっとを待ち切れないルフィが、キッチンへとつまみ食いに行き。
 そして、何時もの様にサンジに蹴り出された様子であった。
 余りにも日常の風景だったから、クルーは誰一人として気に留めなかったが。



 間の悪い人と言うものは、何時の世にもいるものである。



 サンジの蹴りをマトモに喰らったルフィの身体が、キッチンのドアから勢い良く飛び出して。
 そして、綺麗な放物線を描いて甲板へと落下して来る。
 ドアが壊れなかった理由は、ただ単にルフィが最初から閉めていなかったからに過ぎないが。
 それでも船にとって最小限の被害だけで放り出されたルフィの身体が宙を舞う様を、ウソップは半ば唖然として見守ってしまった。
 ぽかんと口を開けて見上げていたが、その落下地点が自分のすぐ側だと気が付くと、大慌てでその場から飛び退いた。
 直後、ウソップの残像を貫いてルフィが甲板へと落下する。
 物凄い轟音を立てて、芝生に顔面から落っこちたルフィに、ウソップは恐る恐る声を掛けた。
「ル……ルフィ?おい、大丈夫か?」
 ゴムだからさしてダメージは無いと解ってはいるが。
 それでもこの見事な落ちっぷりには、声を掛けずにはいられなかった。
 ルフィは芝生にめり込んだ顔を、引っこ抜こうともがいている。
 引っ張った方がいいのか・と思いかけた時、響き渡った声。
「テメェ、今度つまみ食いしに来やがったらタダじゃおかねェからな!!!」
 振り返るとそこには、キッチンのドアの前で仁王立ちしているサンジの姿。
 こめかみに青筋を立てて、歯を剥き、怒りの形相で睨みつけている。
 思わずウソップが逃げ出しそうになった時、ルフィが芝生から顔を引っこ抜いて叫んだ。
「何言ってるんだ!!つまみ食いは船長の特権だぞ!!!」
 怒鳴るルフィの横で、芝生に残った顔型を見て、後でロビンが冷ややかに怒るに違いない・とウソップは怯えた。
 その間にも2人の会話は進んでいく。
「あァ?!クソふざけた事言ってんじゃねェよ!!このおれがそんなマネを許すワケがねェだろうが!!」
「おれはハラが減ってんだよー!!つまみ食いすんのは当然だ!!」
「何が当然だ!!!いいか、今度おれの許可なくキッチンに入ってみやがれ!夕飯からテメェの分だけ、肉全部抜くからな!!!」
「ええぇーーーーーーーッッ!!!!」
 悲壮なルフィの絶叫を聞きながら、内心で拍手をしてしまった。
 夕食そのものを抜くと、夜中に空腹に耐え切れなくなったルフィがキッチンへと忍び込むのは目に見えているから。
 だから、夕飯そのものではなく、好物の肉だけを取り上げる・という、新戦法に出たのだろう。
 効果は覿面だったようだ。
 ルフィが言い返せずに口をパクパクさせている隙に、サンジは今度はウソップへと声を上げる。
「ウソップ!そのクソゴム、しっかり押さえとけ!!おれが呼びに来る前にソイツがキッチンに来やがったら、お前も同罪だからな!!!」
「なっ?!!何でおれもだよ!!!」
 いきなりの暴言に反論するが。
 サンジの本気の一瞥に、それ以上、抵抗出来る訳も無く。
 身震いしながら大慌てで頷くウソップに、サンジは鼻を鳴らすとそのままキッチンへと戻って行った。
 それを見て、ルフィは慌ててその後を追おうとする。
「あ!待てよ、サンジ!!」
「わーーー!!お前が待てーーッ!!」
 そのルフィにしがみついて何とか押し留める。
「何だよ、ウソップ!!おれ今、忙しいんだぞ!!!」
「忙しいって、そうじゃねェだろ!!!つまみ食いに行くな!!肉抜きになるぞ!!!」
「何言ってるんだ!おれは肉も喰うし、チョコも食うぞ!!!」
「いや頼むから行くな!な、おやつまでもうちょっとだし、待てるだろ?!!」
「待てねェ!!!」
「だから待てってーーー!!!」
 暴れるルフィを必死で押し止めながら、居合わせた自分の不幸に、密かに涙を流すウソップだった。






「……ったく、あのクソバカヤロウが」
 一方、サンジは・と言うと。

 毒づきながらもキッチンへと戻ると、改めて今日のおやつの作成に取りかかる。
 調理台の上には、ほぼ完成に近いケーキが乗っている。
 ココア生地のスポンジに生クリームをコーティングし、あとはチョコで模様を描いてナッツを飾り付ければ完成だ。
 その為のチョコレートクリームを作ろうと、湯煎の準備をしている所にルフィが乱入してきたのであった。
 目を輝かせるルフィから、大事なチョコレートを死守するのは大変な事だったが。
 それでも、今日のケーキの為には、1欠片たりともムダに出来なかった。
 何しろ今日は、バレンタインデーなのである。


 サンジが半生を過ごしたイーストブルーでは、女性から男性にプレゼントを贈るという風習が一般的だった。
 けれど、基本的にチョコレートは女性の方が好む菓子なのだ。
 バラティエでも、この日の為に特別に用意したチョコレートケーキは、女性の方に人気があった。
 だから、サンジは今日のおやつには、必ずチョコレートを使おうと心に決めていたのだ。
 この船に乗る、2人の麗しきレディの為に。


 ボウルを手に取り、中に湯を注いだ時に、再びキッチンのドアが開いた。
 静かな開け方に、ルフィでは無いと解ったから、怒鳴らずに振り返る。
 そして、入って来た人物の姿を認めた瞬間、サンジの頭の天辺から蒸気が上がった。
「ナミさん!どうされましたか?」
 入って来た人物は、ナミだったのだ。
「ちょっと喉が渇いたから。……それより、凄い匂いね」
「ああ。今日のスペシャルおやつがもうちょっとで出来上がる所なんで」
「へェ。チョコレート、使ってるの?」
 そう尋ねながら、近寄って来たナミがサンジの手元を覗き込む。
 サンジは得意げに笑いながら、ボウルを持ち上げてナミに見せた。
 ボウルの中には砕いたチョコレート。
 いびつな形の欠片を覗き込んでいたナミが、ふとサンジの方へと向き直った。
「ねェ、サンジ君?」
「はい、何でしょうか」
 目をハートにして返事をするサンジに、ナミは笑いかける。
 ……それも、上目遣いに見つめながら。

 ウソップ辺りが見れば、悪魔の微笑みだ・と震え上がっただろうけれど。
 残念ながらサンジには、天使の微笑みの様だ・と映ってしまったらしい。

 完全に上気してナミを見つめ返すサンジに。
 ナミは止めの様な笑顔を向けて言った。
「一つ、貰ってもいい?」
「はい!喜んでーーー!!」
 迷いの欠片もない即答だった。ルフィがこの場いたら、不公平だと大騒ぎしただろう。
 けれどサンジはお構い無しでナミの方へと自分からボウルを差し出した。
 すっかり笑顔にほだされて、大事な筈の食材を明け渡してしまう。
 ナミは笑みを絶やさずに礼を言うと、ボウルからチョコレートの欠片を一つ摘まみ上げた。
 少し大きめのその欠片の端に、カリ・と噛み付く。
 吟味して飲込むと、満足そうに笑った。
「ん、美味しい。流石サンジ君ね、いいチョコ選んでる」
「光栄ですーーーー!!!」
 ナミからのお褒めの言葉に、サンジは喜びの絶叫を上げた。
 完全に舞い上がりきって、恋の蒸気を噴いているサンジをちらりと見て。
 そしてナミは小さく笑った。

 くるりとサンジへと振り返ると、にっこりと笑う。
 今度は、何の含みもない顔で。

「サンジ君、口、開けて?」
「へ?」


 いきなりの言葉に、咄嗟にサンジが反応し損なう。
 口は笑顔の形に開けたままだったが、完全に虚を突かれて瞬き1つ返しただけだった。
 けれど、その隙にナミは行動を起こしていた。





 つい今さっき、1口齧ったチョコレートの欠片。

 それを、開いたままのサンジの口へと放り込んだのだ。

 そして、そのまま指先がサンジの唇を閉じる。

 細い指が、サンジの唇を軽く弾いて離れた。





 サンジは、その1連の行動を、ただ呆然と見送ってしまった。





 条件反射的に口の中のチョコレートを飲み込んで。
 咀嚼していない固まりが、喉を押し開いて胃へと通り抜ける。
 遅れて、甘い甘い後味がようやく口の中に広がり。
 後を追う様に、食道を通って胃へと流れ落ちた。


 そこまで至って、やっとサンジは事態を飲み込む事が出来た。




「ナ……ッ、ナ、ナナ、ナミさん?!!!」
 真っ赤になってどもりながらその名前だけを叫ぶ。
 口を押さえ、身を引いて叫ぶ姿は、まるで唇を霞めとられたかの様だ。
 反対にナミは、平静そのもので。
 むしろ3倍増しの笑顔を向けて寄越す。
「ハッピー・バレンタイン、サンジ君♪」
 人差し指を軽く唇に当てて笑う姿に、サンジの顔が一段と真っ赤になって。
 その表情を楽し気に見ながら、ナミは手を振り。
 そしてさらりと言った。

「あ、ホワイトデーの事は気にしなくていいわよ?」



 そりゃもう、確信犯の一言を。



 そう言い残して、キッチンを出て行こうとする。
 サンジは我に返ると、その背に叫んだ。
「もちろんッ、ホワイトデーは10倍返し致しますからーーー!!!!」
「うん、楽しみにしてるわね」
 あっさりとそう笑って、ナミはキッチンを後にした。
 後には、すっかりとゆで上がってしまったサンジが残された。
 仕上げるだけの状態のケーキも。
 湯煎にかけなければならない筈のチョコも。
 必死にルフィを食い止めているであろうウソップの事も。
 全部、綺麗さっぱり忘れ果てて。
 たった今、得たばかりの倖せに、どっぷりと浸りきっていた。







 


 ……何だか微妙に哀れな気もするけれど。
 本人が幸せなら、まぁそれでいいんだろう。









9th, FEB., 2008





ナミwwww
サンジが用意してたチョコを貰って。
それをサンジに上げて。
それでバレンタインって。
10倍返しもなんも、原価1ベリーもかかってないじゃないかー!
でもそんなナミさん、らぶw



2008.2.9



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