想いを込めて






 そっと、引き出しを開ける。
 その一番奥に、大事にしまい込んでおいたもの。
 それへとゆっくりと手を伸ばして。


 触れる事をためらう一瞬。

 息を飲む、間。

 でも。

 意を決して。


 その小箱を手に取った。
 アラバスタへ戻って来る途中で手に入れたもの。
 10cm四方ぐらいの、シンプルな小さな箱。
 だけど、それは。


 ビビが、決意と共に手に入れたものだった。











 バレンタイン・という行事を知ったのは、アラバスタを出てからだった。
 自国では馴染みのなかった風習に驚いて。
 そして、1人の顔を思い出していた。

 王女と反乱軍のリーダー。
 今の立場は対立する者だったけれど。
 元を正せば、幼馴染であり紛れも無い親友。
 彼らを止めたかったからこそ、国を飛び出してまでバロックワークスに戦いを挑んだ。

 今は対立していても。
 絶対にこの内乱を止めて。
 そして、仲直りしてみせる。
 黒幕を潰し、誤解が解ければ、それは可能だと思っていたから。
 そしてまた、平穏な日々が戻って来たら。
 その時にこそ。


 伝えようと思っていた。
 この2年間、胸に秘めていた想いを。

 ずっと暖め続けていた、この想いを。










 胸に小箱を抱きしめて。
 そして、ビビは呟いた。
「…………大丈夫」
 自分に言い聞かせる様に。
 覚悟を飲込む様に。
 決意を込めた眼差しが、彼方を射る。
「勇気なら、船で一杯貰ったんだから……!」
 その瞳が彼方の一点を貫き。
 飲込んだ決意が、身の内で力になって。
 そして、ビビは顔を上げた。
「だから……行こう!!」
 抱きしめた小箱を鞄に詰め込んで。
 ビビは勢い良く部屋を飛び出した。


「カルー!!」
「クェ?」
 小箱を入れた鞄を大事に抱えて、カルーの所へ駆け込む。
 庭でのんびりしていたカルーが、ビビの声に起き上がる。
 ビビはその背に身軽に飛び乗った。

「ユバまで、お願い!!!」

「クェッ!!」
 ビビの声にカルーは勢い良く答えて。
 そして、駆け出した。
 アラバスタ最速の脚力で。


 真直ぐに、ビビの想い人のいる街へと。




 砂塵が遥か後方へと飛び去る。
 砂漠の熱い乾いた風が頬に当たる。
 雲の無い空の、何処までも高い光。
 見慣れた砂の海を突っ切って行く。
 大きな砂丘を一息に駆け上がる。
 その視界一杯に広がる空の蒼。

 澄んだ青空が応援してくれているような気がした。





 イーストブルーでは、想いを込めてチョコレートを贈るのだ・と、ナミが教えてくれた。
 チョコレートはアラバスタではあまり流通していない菓子だ。
 それを、お土産としてコーザに手渡して。
 そして、秘められた意味を伝える。
 その手順でいこう・と決めていた。
 コーザは優しいから、断るにしても手荒な言葉は使わないだろうし。
 それに、断られてもずっと親友ではいられると思うから。

 だから……大丈夫。


 傷つくのを怖がってたら、何も出来ない。




 国を護る為に、単身バロックワークスに戦いを挑んだ王女が、今、その時以上の覚悟を決めて想い人の所へと向っていた。










 ユバの復興はもうかなり進んでいた。
 蘇った街並を見慣れた顔に挨拶しながら抜けて、コーザの居場所を訊く。
 心得ている街の人達は、直ぐにコーザに連絡を取ってくれた。
 仕事の手を休めてコーザが現れたのはそれから間もなくだった。


「ごめんね、リーダー。忙しいのに」
「気にすんな。ちょうど、一休みしようと思ってた所なんだ」
 一緒に家に行くと、コーザの両親に挨拶して部屋に入った。
 コーザがお茶を持って来て、椅子を勧めてくれた。
 向かい合う様に座って、ビビは増々緊張してしまう。
 自分の心臓の音がこんなに五月蝿いと思ったのは、初めてかも知れない。
 落ち着こうと膝の上で手を握りしめて。
 そして息を吸い込んだ。
「で?今日はどうしたんだ?」
「ッッ!!!」

 訊かれて、一段と大きく心音が跳ね上がった。

「あ……っ、あの、ね……ッ」
 声が裏返りそうになる。
 耳の奥で鳴り響く鼓動が五月蝿過ぎて、自分の声すら良く聞こえない……気がする。
 コーザがこっちを見ているのが解るから、余計に目を合せられない。
 瞬間、パニックを起こす頭を叱咤して。
 ビビは鞄から小箱を取り出した。

 チョコレートの箱を。


「こ、これ……ッッ!リーダーに!!」


 叫ぶ様に言って、両手で箱を思い切り突き出す。
 それはもう、差し出すなんて勢いじゃなかった。

 いきなり目の前に差し出された小箱に、コーザは驚いた顔をしたが。
 でも直ぐにそれを受け取ってくれた。
 かなり怪訝そうに、ではあるが。
「……?ああ、ありがとう」
 小箱を眺めながら尋ねて来る。
「どうしたんだ?これ」
「え・えと、ね、あの」
 対するビビは、もう、緊張の極限である。
 声は裏返るは、手は震えるは、顔は上げられないはで。
 頭の中まで混乱してぐるぐるになってしまって。
 それでも、伝える事は伝えなくちゃ・と、必死で言葉を絞り出した。
「チョ…、チョコレートなの!」
「へェ?珍しいな」
 コーザが目を見開く。
 特に戸惑いも無く箱の蓋を開けて。
 手を止めた。
 ビビは未だ顔を上げれずにいたから、それに気付かなかったけれど。
「そ・そうなの、珍しいでしょ。ここに戻って来る途中の港で見つけて、それで買ったんだけど……」
「ああ、それでこういうのなのか」
「え?」
 意外な返答に、思わず顔を上げる。
 向かいでコーザは箱の蓋を開けて、じっと中を見入っていた。
 それもむしろ、驚いた様な顔で。
 その表情に流石に不安になる。
「リーダー?」
「ああ、悪い。おれの知ってるチョコレートってヤツは、こう、固まりになってるって聞いてたからな。そうか、他所の島だとこういうのもあるんだな」
「え?」
 ビビの目が思い切り見開かれた。
 別に、特殊なチョコレートを買った覚えは無い。港で普通に売っている、ビビも知るチョコレートを買った筈なのに。
 どうしてコーザはこんな事を言う?
 コーザはむしろ、面白そうに笑っていて。
 ビビは怪訝そうに身を乗り出すと、箱の中を覗き込んだ。
 そして。

 ユバ中に響き渡るかのような絶叫を上げてしまったのだ。




「うそぉーーーーーーッ?!!!融けてるーーーーーーーーっっ!!!!」




 買った時は普通だった筈のチョコレートは、見事に融けて箱の中でたゆたっていた。


「ど、どうして?!!なんで融けてるのーっ?!!」
「……って、やっぱコレ、こういう物じゃないのか?」
「買った時はそうじゃなかったのにーーーッ!!!ど、どうして……!!!」
 青ざめて絶叫するビビに流石にコーザも驚いた。
 どうして・と言われても、コーザにもその答えは解らないのだが。
 ふと蓋の横に書いてある文字に目が行く。
「ここ、何か書いてあるぞ?……え、と」
 小さく書き込まれた言葉を、コーザはそのまま読み上げた。


「『  チョコレートは高温になると融ける事がありますので、
      室温18度以下の涼しい場所に保管して下さい。  』」  

 
 読み上げて、首を傾げて。
 そして、ビビへと視線を動かした。
 ビビは、両手で顔を押さえていたが。
 青ざめていた顔がじんわりと赤くなり。
 そして、一気に真っ赤になった。
「ウソ……!私、引き出しにしまっちゃったから……!!」
「ああ、それで融けたんだな」
 コーザに言われて、ビビはとうとう首まで真っ赤になってしまった。
 その様子にコーザが苦笑する。
 昔から、ビビはしっかりしてるようでいて、結構おっちょこちょいだったから。
 真っ赤になって目まで潤ませているビビに、言葉を掛けようとして。
 コーザは指に付いたチョコレートに気付いた。
 箱を持ったままだったから、液体化したチョコレートが流れて来たのだろう。
 何気にその指先を舐めて、コーザは破顔した。
「美味い!ビビ、これ融けてても十分美味いぞ!!」
「え?だけど……!」
 そう言われてもビビはまだ、泣き出しそうな顔をしてる。
 その様子にコーザは笑って箱を置くと立ち上がった。
「スプーンで掬って喰おう。本当に美味いぞ、これ」
 コーザがスプーンを取りに行っても、ビビの気持ちは晴れなかった。
 見れば確かに、蓋の横には小さく注意書きがしてある。
 大切すぎてまともに見れず、大急ぎで引き出しにしまい込んだから、気付かなかったのだろう。
 自分のミスだ・と自責の念が沸き起こる。
 もっときちんと見ておかなければいけなかったのに。
 ……どうしてもっと、注意しなかったんだろう。

 後悔は後から後から込み上げて来て。
 顔を上げる事も出来なくなっていた。



 俯いていると、戻って来たコーザがスプーンを差し出して来た。
「ビビ。ほら」
 それが視界に入っても、ビビは動く事が出来なかった。
 俯いている頭が、より一層、沈み込む。
「ビビ?」
 コーザがその顔を覗き込む。
 俯くビビの顔に浮かぶのは、後悔の色のみで。
 ビビはコーザから目を背ける様に、更に俯いてしまった。

「……ごめんなさい」

 消え入りそうな声で一言だけそう呟く。
 涙が零れそうになって、その瞼を伏せた。
 その様子にコーザは溜息を吐く。
 そして、ビビの頭を軽く叩いて笑った。
「お前のせいじゃないだろう?」
「だって……ん?!」
 ビビが反論しかけた時。
 不意に口の中に入って来た、固いもの。
 と、続いてとろりと甘い液体。
 甘くて、でもちょっとほろ苦くて。
 それが何なのか、解るのに1拍の間が必要だった。

 …………チョコレート?

 驚いて目を上げると、そこには笑みを浮かべたコーザの顔。
 至近距離の笑顔に、一瞬思考を奪われる。
 そして、理解する。
 口に入っているのは、スプーン。
 コーザがチョコレートを掬って、ビビの口に押し込んだのだ・と。

 目を丸くしてコーザを見つめ返す。
 驚きに開いた口から、スプーンが抜き取られて。
 そして、コーザが笑った。
 何の曇りも無い顔で。
「な?美味いだろ?」
 こくり・とチョコレートを飲込む。
 喉を伝う、甘い味。
 ほのかに広がる苦みが、見事に調和して。
「……美味しい」
「だろ?」
 思わず呆然と呟くと、コーザがまた笑った。
「さ、喰おうぜ。融けてたってチョコレートには変わりないもんな」
 そう言ってコーザがビビにスプーンを手渡す。
 受け取りながら、ビビはコーザを真直ぐに見た。
 向いに座るコーザは、本当に楽しそうで。
 そして、嬉しそうだったから。

 だから。

 ようやくビビも、笑う事が出来た。
 どんな状態でも、少なくとも喜んでもらう事は、出来たのだ。



「うん!」



 ようやく笑顔を取り戻したビビに、コーザがほっとした顔を見せた。







 話し始めれば、直ぐに場は盛り上がる。
 お互いに語りたい事は山程あるのだ。
 ビビの2年間。
 ユバの現状。
 アラバスタのこれから。
 話題は尽きる事を知らない。
 2人で話し込んでいると時間が経つのはあっという間で。

 ふと気が付いた時には、もう、太陽は西の空へと傾き始めていた。






「じゃあ、また来るから!」
「ああ、気を付けてな」
 カルーに飛び乗ったビビにコーザがちょっと意地悪く笑いかける。
「今日の事は、おれだけの胸に秘めておいてやるよ」
「も!もう!リーダー意地悪なんだから!!」
 ビビは直ぐに赤くなって反論した。
 頬を膨らませる姿に、コーザはますます笑ってしまう。
「土産を引き出しにしまいこんで忘れてた・なんて、お前らし過ぎるよなぁ」
「だから、それを言わないでって……え?」
 ふと、何か引っかかりを感じた。
 何かが違う。
 そうじゃない。

 でも何が?


 そして、ほんのちょっとの間、考えに浸って。



 ビビは、思い出した。

 今日の、本当の『  目的  』を。






「ーーーーーーーーーーーーッッ!!!!」






 絶句した。
 忘れていたのだ。
 「チョコレートが融けていた騒動」のお陰で。
 今日の、最大の目的を。




 『バレンタインデー』について、説明する事を。








 突然、石と化したビビに、コーザは怪訝そうに声をかける。
「ビビ?おい、どうした?」
「な  なん で    も   、ない  の      」
 カクカクとぎこちなく動いて返事するビビに、余計に懸念が募る。
「なんでもないって感じじゃないぞ。用事でも忘れてたのか?」
「そそ  う ね。そんな  とこ、かし  ら」
「?お前、大丈夫か?」
 思わず手を伸ばして、カルーの上のビビに触れようとすると。
「キャーーーーーッッ!!!!」
「は?!!!」
 凄まじい絶叫を上げられて、慌てて手を引っ込めた。
 ビビは、さっきまで石だった事が信じられない様な勢いで身を翻すと、パニックでグルグルしている目でコーザを見て、叫ぶ様な声を上げた。
「ごご、ごめんなさいッ!私、急いで帰らなきゃーーーッ!!!また、またね、リーダー!!」
 叫ぶだけ叫んで、そのままビビはカルーを走らせた。
 アラバスタ最速の脚力を誇るトリに乗ってビビがあっという間に去って行くのを、コーザはただ呆然と見送るだけだった。




「……アイツ、なんか今日は、最初っから変だったよな」
 1人、取り残されて、呆然と呟く。
 首を捻ってみても、理由は思いつかないし。
 思いつかない理由を考えてみても、埒は上がらないか、と。
「次に会うまでには落ち着いてるだろ」
 あっさりとそう結論付けて、コーザは背を向けた。
 そういえば、やりかけの仕事が残ってたな・と思い出しながら。




 一方、ビビは。




 宮殿に帰るなり、少し独りにして・と叫んで自室に籠ってしまい。
 扉の外でカルーがさかんに鳴いているのも構わずに、枕を抱えてベッドに突っ伏してしまった。
「わ、私ってば、なんてドジなの……!!」
 思い出したら、全身から火が吹き出そうな気がした。
 よりにもよって、今日の最大の目的を忘れるなんて。
 あれでは、ただ、ドジっぷりを曝しに行った様なものだ。

 コーザが喜んでくれたのが、唯一の救いとはいえ。


「ナミさん……!ルフィさん、Mr.ブシドー、サンジさん、ウソップさん、トニーくーん!」
 思わずみんなの名前を呼んでしまう。
 助けを求める様に。
 縋り付く様に。


 でも。


 名前を呼んだ事で逆に少し落ち着いた気もして。
 ビビは拳で顔を拭った。
 そして両手で自分の頬を叩く。

 少し、すっきりしたかもしれない。

 改めて顔を上げると、ぐ・と拳を握りしめた。
 窓の向こう、遥か彼方の海の、その更に向こうで。
 頑張っているであろう仲間達の事を思って。
 彼らの笑顔を思い出して。


「……負けないわよ!来年、絶対にリベンジするんだから!!」


 ビビの密かな決意は、誰にも聞かれる事はなかっけれど。
 そんな事は関係ない程に、強かった。









 アラバスタに、熱砂より熱い恋の風が吹くのは、まだ先の事になりそうだ。









 

10th, FEB., 2008





私は古い人間だから、こーゆうラブコメ大好きなんでー!
あーーー、ゴメン、ビビ!
でも楽しかったw
ビビってこういう間の抜けたドジをしそうだ。
徹夜で頑張った宿題を持って来るの忘れた・とか。
手の込んだおかず作って、ご飯炊くの忘れた・とかw

18巻のエピソード読んだ時から、
私の中で、コーザはネフェルタリ家に入り婿決定となっとるのでね。
色気の無い事だけど、政略面でもプラスになるしさ。

アラバスタにはチョコは流通してなさそう。
売ってても海岸の街だけだろうなぁ。



2008.2.10



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